日本の教科書では語られない 人種差別のおそろしい真実

たった60年前のこと。アメリカ人は凄惨な歴史の再来を恐れている。

「アメリカは根本的に白人の国だということを体現すると極右は喜んだ」。

著名な権利擁護団体「南部貧困法律センター(SPLC)」が指摘するトランプ大統領当選後のアメリカ。白人ナショナリズムの台頭を指摘する。

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1970年に4.7%だった外国生まれの住民は2015年に13.7%まで増えた。移民が押し寄せた1910年(14.7%)や1920年(13.2%)と同水準だ。白人の割合は減り続け「白人アイデンティティの崩壊を生んでいる」という。

そして人々は恐れている。ジム・クロウと呼ばれる人種差別の再来を。白人と黒人を分けるアメリカ南部の州法。1964年の公民権法によって違法になったが、いまでも差別はアメリカ社会に根深く残る。

「ジム・クロウ時代」に、どんなに憎しみが広がり、暴力が横行していたかは、日本はおろか、アメリカでも伝えられることは少ない。

「クリスマスに欲しいのは唯一、クリーンな白人専用の学校」「人種隔離を守れ」。学校で人種隔離を続けることを求める白人女性ら。警察官に向かって叫ぶ。

Bettmann / Bettmann Archive

1960年11月15日、ルイジアナ州のウィリアム・フランツ小学校。白人専用だったが、裁判所が隔離をやめるように命じた。黒人の子どもが登校し始めて2日目の抗議活動。

「ネグロ(黒人の差別的表現)は俺たちの学校に必要ない」「ネグロと一緒の学校には行きたくない」「ストライキ 人種融合に反対」

AP Photo

1956年8月27日、テネシー州クリントンのクリントン高校。同州で初めて、州がサポートする人種統合学校となった。(左から)バディ・トラメル、マックス・スタイルス、トミー・サンダース。

(左)人種隔離に反対する運動に参加して、暴行を受けた白人の学生。「裏切り者」としてターゲットにされた。(右)黒人の学生を蹴り上げる元警官と歓声をあげる野次馬たち

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(左)1961年5月20日、アラバマ州モンゴメリーのグレイハウンドのバス停留所。ジェイムズ・ズワーグは、公共交通機関での人種差別に反対する「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」に参加し、襲われた。「白人の救急車」が拒否し、1時間ほど路上に放置された。(右)(撮影日不詳)元警官のベニー・オリバーが黒人の学生メンフィス・ノーマンを蹴りつけた。

「われわれの白人コミュニティは、白人の住人を必要としている」

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1942年、ミシガン州デトロイトに立てられた看板。連邦政府の公営住宅である「ソジョーナー・トゥルース・ホーム(Sojourner Truth Homes)」に黒人が移ってくるのに反対した。

吊るされたキング牧師の人形

Bettmann / Bettmann Archive

1963年5月6日、アラバマ州バーミンガム。極右「ナショナル・ステイツ・ライツ」党の本部前。公民権運動に反対するエドワード・R・フィールズとジェイムズ・ムレイ。

「報奨金 ニガー(黒人の蔑称)の耳1ダース(12個)に200ドル」

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1956年8月31日、テキサス州ダラス。マンスフィールド高校の人種融合に反対する標語が書かれた車。立っているのはロイ・リー・ハウレット(14歳)

「我らの子どもを黒い疫病から救え」

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1956年1月24日、テネシー州ナッシュビル。知事クレメントは人種隔離支持者の代表者と面会。人種隔離の州法を拒否した知事として知られるが、このときは「地元の問題だ」として干渉しない立場を表明した。

「ネグロ(黒人の差別的表現)の待合室」

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1955年11月25日、オクラホマ州オクラホマシティのサンタフェ駅。後に州議会議員を務めたハンナ・ディッグズ・アトキンズと、夫のチャールズ・N・アトキンズ。息子のエドモンド(10歳)、チャールズ(3歳)と。

新たに人種融合教育が進められた高校から締め出されて自主勉強会を開く9人の生徒

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1957年9月13日、アーカンソー州リトルロック。人種融合が決まったリトルロック・セントラル高校だったが学校が始まる4日、知事が州兵を送って黒人生徒の登校を阻止し大ニュースに。23日に初登校すると暴動が起こり、昼には休校となった。翌日、市長の要請によって大統領アイゼンハウアーは空挺団を送り、黒人学生は守られて登校した。「リトルロックの9人」として知られる。

(左)白人だけが住む地域に初めて越してきた黒人一家に罵声を浴びせる少年たち。(右)「南部の白人はネグロ(黒人の差別的表現)の最良の友人だ。だが、融合はノー」。少年が着るのは、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の装束

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(左)1963年、ペンシルベニア州フォルクロフト。白人だけが住んでいた「デルマー・ビレッジ(Delmar Village)」に黒人のベイカー家が引っ越してきた。(右)1956年4月14日、KKKの装束を着て集会に参加する7歳の少年

黒人が通う教会が火事で燃えた。黒人の投票登録に関する集まりが開かれた後で、放火と見られる。

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1962年8月15日、ジョージア州リースバーグのシェイディ・グローブ・パブティスト教会。瓦礫に立つのは公民権運動を率いた牧師のラルフ・アバナシー(左)とワイヤット・ティー・ウォーカー。

(左)警官に連行されるマーチン・ルーサー・キング・ジュニア。(右)「隔離があることは民主主義がないことだ ジム・クロウを葬り去らねばならない!」

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(左)1958年9月3日、アラバマ州モンゴメリー。牧師のラルフ・アバナシーを襲った男の裁判が開かれる裁判所に着いたキング。二人の警察官に連行された。(右)1960年11月1日、 人種隔離政策に反対する人たち。ジム・クロウは、アメリカ南部にあった人種差別の州法一般を指す。人気ミュージカルに登場する黒人の名前が語源。1964年の公民権法によって差別は違法になったが、いまでも人々の心に根付く差別を指して使われる。

指紋を取る警察官をじっと見つめるローザ・パークス

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1956年2月22日、アラバマ州モンゴメリー。 パークスは1955年12月1日、バスで白人に席を譲らなかったという理由で逮捕された。これをきっかけにキングはバスのボイコット運動を先導した。翌年11月、連邦最高裁が違憲だと判断。12月21日、キングらがバスに乗車し、ボイコットの成功を祝った。

「I Am a Man(わたしは人間だ)」。清掃員らが起こしたストライキ。州兵が銃剣を振りかざした。

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1968年、テネシー州メンフィス。劣悪な労働環境や低賃金に抗議して、立ち上がった。「メンフィスの清掃員ストライキ」として知られる。

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