私の兄は障害者。でも彼は「かわいそうなお話」ではない

    私にはジャックという兄がいて、私たちは双子で、たまたま彼には障害がある

    私の兄は障害者だ。その事実を誰かに指摘されたことはないが、説明しなければならない状況になることは、しょっちゅうある。

    兄弟か姉妹はいるかと訊かれたら、私は「兄がひとりいる」と答える。歳を訊かれたら、双子だと答える。そう答えると、聞き手はすぐに興奮する。同じ学校に行ったのか、同じ顔をしているのか、テレパシーで意思疎通ができるのか、といったことを知りたがるのだ。

    でも、兄が重度の障害者であることを告げると、会話がぎこちなくなる(「大きな障害」を表すのに、「重度」よりもいい言葉があればいいのにと、いつも思う)。教師たちは黙りこみ、その場を離れる。顔見知り程度の友人なら、それが自分のせいだとでも言うように謝る。たいていの人は、そもそもそんな質問をしてしまったのを気まずく思っているような顔をする。まるで、私がものすごく個人的な家族の悲劇を告白したかのような。

    一番ありがたいのは、次々と質問をしてくる、好奇心のとても強い人たちだ。もっと知りたいという欲求が、気まずさに勝るのだ。私が逆の立場に置かれたら、臆病すぎてその手の人にはなれないだろう。けれど、彼らが会話を続けてくれるのはとてもありがたい。普段の私なら、自信たっぷりの人には少し押され気味になってしまうのだが、兄のことを果敢に質問してくれる人には、そんなふうには感じない。

    兄の名前はジャック。私たち双子は予定日より11週間早く生まれた。ジャックの体重は約1420グラム、私の体重は約1190グラム。出産の数日後、ジャックは脳出血を起こし、脳性まひ、水頭症(脳に液体がたまる症状)、てんかんを抱えることになった。ジャックは歩くことも、話すことも、見たものを解釈することもできない。

    両親にとって、それを知るのはつらい体験だったにちがいないが、私はそのときのことを何も覚えていない。いまと違う状況を、私は知らない。物心ついたときから、うちの外には、いつも障害者用の駐車スペースがあった。飛行機に乗るときには、いつも先頭に並んでいた。そしていつでも、ジャックを楽しませるためのたわいもない家族の習慣があった。

    幼いころのジャックは、車が赤信号で停まると、よく叫び声をあげていた。だから私たち家族は、ジャックが笑い出すまで、「赤信号だよジャック! 赤信号だよジャック!」と歌ったものだ。ジャックは泣き出しそうになると、少なくとも1分は下唇を突き出したままでいる。そんなときは、「その唇をしまってよ、ジャック」の歌の出番だ。

    食事の時間には、ジャックを退屈させないように、クイズをしたり、アルファベットを使った言葉遊びをしたりする。我が家を訪ねてきた親戚や友人も、それに巻きこまれる。初めて我が家にやってきた人が、Qで始まるフィクションの登場人物名を思いつこうと奮闘するのだ。ジャックがいなければ、我が家の来客たちとの交流が、いまよりもずっと退屈なものになっていたのはまちがいないだろう。

    子どものころ、障害のあるきょうだいを持つ子の視点から描かれた2冊の本を読んだ。どちらの本も、私の体験を映し出してはいなかった。そのうちの1冊では、障害のある弟が2歳で死んでしまう。もちろん、そんなこともある。私の身にだってじゅうぶん起こりえたことだ。唯一、実際とはかけ離れていると感じた部分は、主人公の学校の友人たちが、弟に生まれつき障害があると知ったとたんに、主人公をからかうようになったことだ。この本が出版された1988年と比べて時代が変わったのかもしれないが、1992年以降の私の子ども時代の友人たちは、良い子ならジャックに親切で、悪くても無関心なだけだった。

    もう1冊の本では、障害のある姉に会わせたくないからという理由で、主人公が友人を家に招くのを気まずく思っていた。それも本当のこととは思えなかった。障害のある姉は主人公より年上なのだから、主人公にとって、その姉がいるのはあたりまえのことだったはずだ。私の友人たちは、ほとんど全員がずっと前にジャックに会っているので、私はそのときのことを覚えていない。そして、大学の友人にジャックを紹介するころには、みんなおとなで分別があるはずだと思えるようになっていた。

    だからといって、子ども時代の私に、ジャックにまつわる負の経験がまったくなかったと言っているわけではない。友人たちが兄弟姉妹と遊んでいるのを見て、妬ましく思うことはしょっちゅうだった。10歳のころには、友人の家に泊まりに行ったときに、友人が妹の顔を蹴っているのを見て、私も友人を蹴ってみたことがあった。そんなことをしたのは、幸運にも障害のないきょうだいを持つ人が、いったいなぜそんなふうにきょうだいを痛めつけたいと思うのか、理解できなかったからだ。いまではよくわかる。私には、その友人や妹と同じようにジャックと喧嘩をする理由が、まったくなかったのだ。

    私とジャックのあいだには、両親の注目をめぐる争いは一度もなかった。ダイヤルアップ接続しかなかった時代に、インターネットを使う順番で言い争いになったこともない。持ち物をめぐる喧嘩も、学校の成績の競争もなかった。ジャックと私が比較されることはない。なぜなら、私たちは同じ尺度では測れないからだ。両親が私たちを等しく愛してくれていると、私は信じている(少なくとも、私が訊いたら母はそう答えた)。私が何かを成し遂げたからといって、それがジャックの至らなさと見なされたりはしないのだ。

    私は恵まれていた。ジャックの容体が危険なほど悪化し、死のおそれさえあったとき、私はとても幼かったので、何が起きているのかわかっていなかった。あるいは、あえて知らされていなかったこともある。ジャックの頭部に施された、髄液を排出するためのシャントは、2度つまったことがある。1度目は私たちが3歳のとき(ジャックの「具合が悪い」とわかっていたことを、ぼんやりと覚えている)、2度目は13歳のときだ。13歳のときには、医学的な状況はわかっていたし、ジャックが入退院を繰り返していたのも知っていた。けれど、ジャックが死ぬかもしれないとは、誰も教えてくれなかった。

    当時の日記を読み返すと、本当にぞっとする。ジャックの入院にちょっと触れたかと思ったら、あとはもう、学校で誰かにひどいことを言われたエピソードが長々と続く。ジャックがひどく危険な状態だったと私が知ったのは、のちに彼が危機を脱したあとのことだ。みんな、私を心配させたくなかったのだ。

    ジャックがもたらす最大の感情的な苦痛は、私の心配のしかたが足りないのではないかという不安だ。けれど、それは贅沢な悩みだろう。ジャックは大丈夫だ。4人の若い障害者たちとひとつ屋根の下で暮らし、24時間の介護を受けている。ジャックの世話をしているのは、ほとんどありえないほど素敵な人たちだ。私たちの誕生日には、4羽の本物のフクロウをジャックのホームに来させてくれた。フクロウたちはホームを飛び回り、ジャックの膝に止まった。

    彼らのようなプロの介護士たちがしていることは、私にはできないだろう。ジャックには常に注意を払っていなければいけない。本を読み聞かせ、話しかけ、食事をさせ、着替えさせ、体を洗ってくれる人たちが必要だ。妹の私は、普通のきょうだいなら当然すべきだと思う以上のことは、いっさいしていない。シャワーやトイレに関する世話は、一緒にお風呂に入っていた小さいころを除けば、一度もしたことがない。食事の世話も、ひと口以上はしたことがない。

    私がするのは、本を読んだり、歌を歌って聞かせたり、といったことがせいぜいだ。それは私にとって、ジャックに障害がなかったらしていたであろう会話にあたるものだ。そして実を言えば、私のほうも恩恵を受けている。私が歌う調子っぱずれの「サウンド・オブ・ミュージック」全曲版を喜んでくれるのは、ジャック以外にはいないから。

    ひとつだけ、私が経験しそこなったと感じていることがある。それは、双子ならではの体験だ。私はこれまで、ほかの双子、特に男女の双子と長い時間を過ごしたことはないが、その機会があったとしたら、きっと悲しい気持ちになっただろうと思う。

    私が努めて想像しないようにしている、いまの世界とはまったく違うパラレルワールドがある。その世界では、ジャックと私が「双子」だということを誰もが知っている。私たちは同じ学校に通っていて、ジャックの友達は私の友達で、私たちはいろいろなことで喧嘩をする。障害がなかったら、ジャックはどんな姿をしていたのか、はっきりと思い描くことはできない。ほかの人たちと同じように成長していたら、どの政党を支持していただろうか。どんな鬱陶しい癖を持っていただろうか。ほかにはどんなことで、私をあっと言わせていただろうか。私にはわからない。

    ジャックは私がこれまでに出会ったどんな人とも違うけれど、彼ほど純粋な善人には、いまだに会ったことがない。私は心のどこかで、人はみな(自分自身や、私の愛する人たちも含め)ちょっとしたろくでなしだと思っているのだけれども。

    ジャックには、いらいらさせられることもある。叫び声をあげるし、不機嫌になる。iPodでどんな曲を流しても、どんな本を読み聞かせても、満足してくれないこともある。けれどジャックには、意地悪になるほどの知的能力や情緒的能力はない。

    ジャックに障害があるのは、いいことではないけれど、それはたとえて言うなら、はるか昔に起きた悲しいできごとのような感じだ。私はジャックの2分後に生まれた。だから、ほかのことを期待するような機会はなかった。同じ誕生日を共有するすばらしさは変わらないとはいえ、普通の双子ならではの体験は、私にはできなかった。けれど、もしジャックがいなかったら、私は内気すぎて、ほかの障害者のいるところではくつろいだ気分になれなかっただろう。いまの私は「能なし」という言葉を使うのにためらいを感じるけれど、ジャックがいなければ、そうならなかったかもしれない。

    いまの私は、たいていはジャックの障害を意識していないが、だからといって、どんな障害者も意識しないというわけではない。いまではほかの障害者にもずいぶん慣れたが、子どものころ、母と一緒にジャックの学校に迎えに行ったときには、はかりしれない障害を持つたくさんの人たちを意識し、ジャックだけは違う存在に見えたものだった。

    だから、私が「障害のある双子の兄がいる」と告げたときに、その相手が気まずそうになると、誤解させてしまったような気分になる。実際のところは、私にはジャックという兄がいて、私たちは双子で、たまたま彼には障害がある、というだけの話だ。兄は「かわいそうなお話」ではない。ジャックはジャックなのだ。


    翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:中野満美子/ BuzzFeed Japan

    この記事は英語から翻訳されました。