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Rebecca Hendin / BuzzFeed

インドの女性が語る「口答えすることの必要性」

インドの子どもたちは、目上の人に対して異議を唱えるのは失礼だと教え込まれて育つ。そして大人になってからも、社会について批判的思考を持つことができない。

「お友達と遊びに行ってもいいけれど、男の子はだめよ」

「ママ、どうして? 男の子だってお友達なのに」

「文系の大学はだめだ」

「父さん、どうしてだめなの? 私は文系が得意なのに」

「おじさんに口答えしてはいけないよ」

「どうして? おじさんの意見には賛成できないのに!」

「言う通りにしなさい」

「だめなものはだめだからだ」

「年長者には敬意を示さなくてはならない」

あとは何を言っても無駄だ。

インドの子どもたちはみな、こうした経験をしている。私たちは誰もが、程度の差こそあれ、何らかの行動を禁止されてきた。その理由は、大人が認めないからというだけであり、詳しい説明はなされなかった。そして、大人の意見に疑問を呈したり、楯突いたりすると、「敬意がない」と言われてしまう。

耳にタコができるほど聞かされ、無条件に受け入れられている「敬意」。これこそが、すべての忌々しい家族の価値観を生みだしている。敬意は、論理や話し合いよりも重視され、「筋が通った主張」を「古風な従順さ」へとすり換えてしまう。

三角法さえろくに理解できないのに、名門インド工科大学に進学して、エンジニアになるよう強いられる。嫌だと言えば、年長者に敬意を払っていないと言われる。

妻に暴力をふるうおじに対して、挨拶として足を触るよう促される。それを拒否すると、年長者に対して敬意が足りないと言われる。

性差別的な発言をしたおばと言い争いになり、謝るよう諭される。それを拒むと、年長者を敬っていないと言われる。

それよりはるかに深刻な問題がある。例えば、結婚相手を親が決めることについて考えてほしい。

インド人なら、家族が決めた赤の他人と結婚して一生をともにする決意をした知人が何人かいるはずだ。経済的に自立していたとしても、年長者に「家族ならそうすべきだ」と言われてしまうと、異議を唱えようとしない。

インド人の多くは、それがあるべき形だと信じて育つ。口答えしたり、異議を唱えたり、抵抗したりするのは行儀の悪い子どもだけだ。真面目な良い子どもは、親に認められる従順さをもって、言われた通りに行動する。

親から承認を得ること自体は、本質的に問題はない。家族が私の幸せを願っていることは信じられる。

それに、危険を回避しなさいという親の月並みなアドバイスに従うと、けっこう上手くいくものだ。

とはいえ、事態が理不尽かつ権威主義的な様相を見せ始めると、問題が発生する。親が口にする教えや期待、価値観に思想的な欠点を見つけても、私たちはそれについて懸念を示したり、疑問を投げかけたりせず、ぐっと我慢して黙り込み、ただ従ってしまうのだ。

盲目的かつ無条件に敬意を示すことは、独裁的に支配されるのに近い。実際、そのせいで私たちはひどくつまらない集団になりつつある。

大げさに言っているわけではない。

無条件に受け入れるという文化がはびこっているせいで、批判的な視点に立って社会を考える力が鈍るのだ。

批判的思考は大事だ。批判的思考があったからこそ、はるか昔、年老いたある男性は、世界一の組織力を誇った強大な宗教に立ち向かって「地球は丸い」と言ったのだ。

そうした姿勢を持つことで、私たちは自分で考えられるようになり、議論の弱点や理論の欠点を見つけたり、善悪を判断したりするのに役立つのだ。

批判的思考を抑え込み、疑問を呈することを良しとしない環境で育つと、大人になるころには、似たような人間ばかりになってしまう。そうして、権威に対して挑戦しようとしない世代が誕生する。大人にとっての権威とは、上司や政府、宗教指導者、政党だ。

ありとあらゆる社会的・政治的な運動と同様、権威に疑問を突きつけるという姿勢は、何よりも小さいころから、家庭内で学び始めることが肝心だ。そう考えると、子どもにとっての権威とは目の前にいる親だ。その親に対して「なぜ?」と疑問を問いかけてもいいはずなのだ。

問いかけなければ、人はみな、ほかの人と同じやり方に従うようになる。それが正しかろうが間違っていようが、危なかろうが安全であろうが関係ない。

年長者に無条件で敬意を示す姿勢は、価値体系として欠点を持つ。なぜなら、年長者だというだけで敬わなければならないという考え方が土台になっているからだ。若者より賢くなくても、親切でなくても、頭が良くなくてもいい。成功さえ不要だ。単に年上であればいいのだ。

年齢と敬意の間には、とりたててつながりはない。しかしその関係は、最悪な場合、危険をはらんでいる。長生きして「経験」をたくさん積んでいるというだけで、世界の秩序全体を正当化することなどできない。年を取れば必ず賢くなれるわけではない。そして言うまでもなく、両親や年長者が子どもにとって「ベスト」だと考えることでも、実際にそうだという保証はない。

それどころか、真に賢明であるには、変化し続ける世界と、その世界において変化し続けるルールに対して、偏見を持たない心が必要だ。本当に賢明な年長者なら、自らが偏見や先入観をもたないか絶えず疑問視し、若者の話に耳を傾け、学ぼうとするだろう。

私の母方の祖父母は、娘である母の幸せを望んだ。そして祖父母の経験に照らし合わせれば、「幸せ」とは学校を卒業したらすぐに結婚することだった。しかし母はそれに抵抗して大学に進み、仕事を持った。そうした母のやり方は確かに「敬意を欠いていた」が、奏功したのは言うまでもない。

私の場合、大学に進学したいと言って親に反抗する必要はなかったが、希望する職業に就くためには親と戦わなくてはならなかった。私の両親はインドの一般的な中流家庭の人間であり、私には、平凡な仕事をして平凡な人生を送ってほしいと考えていた。私の専攻は法律だったため、両親が望んだ仕事は、裁判官や弁護士、公務員だった。

両親は、私にはそういった職業が最適だと考えた。経済的に安定しており、働きやすく、名声を得られるからだ。自分が楽しめる職業に就き、「夢を追求する」という考え方は、両親にはなじみのないものだった。

けれども私は幸運だった。両親の考えに立ち向かわずに済んだし、話し合いさえ可能だったのだから。私の話に耳を傾けてくれた両親は評価すべき存在だ。

とはいえ、誰もがこんな幸運に恵まれるわけではない。私たちは、周囲の期待に同調することが少なくない。自分の考えや言葉、野望を検閲し、修正してしまうのだ。人の話を聞いて、従順になろうとする。というのも、何年も条件づけされてきた結果、家族の承認は不可欠であるように思えるからだ。家族からの同意なしに先に進むなど、無礼極まりない行為のような気がするのだ。

私のおばが、頻繁に暴力を受けていたにもかかわらず離婚しなかったのは、「家族の価値観」に対する「敬意」(と、そのいずれかに異議を唱えることは嫌悪すべきだという教え)という理由があるからだ。私のいとこも同じ理由から、自分のキャッシュカードを夫に引き渡し、自分の収入に対する権利は一切主張しなかった。

2017年であるにもかかわらず、ムンバイやデリーの高学歴者が暮らす優越感漂う地域でさえ、生理中の女性は、家族と一緒に食事を摂ることを許されない。

自宅の食卓で一緒に席につこうとすれば、年長者に敬意を払っていないと言われてしまう。

進歩的で自由な考えを持つ家庭で、夫婦ともにフルタイムで働いていても、仕事を終えた夫は毎晩ゆったりとくつろぎ、妻は夫と義理の両親のために夕食を準備する。

どうして夫は手伝わないのかと言おうものなら、年長者に敬意を払っていないと言われてしまう。

国内各地には、芸術家やミュージシャン、ライターになれる高い能力を持った人たちがいる。でも彼らは、講師やITの仕事をしたり、コールセンターで働いたりしていて、才能を台無しにしたりしている。ノーベル賞やグラミー賞をとることはない。

ひたすら夢を追い続ければ、年長者に敬意を払っていないと言われてしまうのだ。

いったん、システムに屈してしまうと、行く道はそれしかないと思い込みやすい。そしてやがては、こんなふうに考えている自分に気づく。「自分は両親に従ったのだから、子どもたちも同じように私の言う通りにすべきではないか」

結局のところ、両親の世代も同じように言われて育ったのだし、その前の世代もそうだった。考え方に欠陥があっても、それがずっと繰り返されていけば、正しいような気がしてくる。

しかし今こそ、実にインド的なこの罪悪感を振り払うべき時だ。着たい服を着て、望む仕事に就き、好きな時に好きな相手と結婚することで生じる罪悪感に、別れを告げるべき時だ。

家族に認めてもらえない決断だからといって、その価値が失われるわけではない。

頭の固いおじの発言に賛成できないときに「口答えする」ことは間違いではない。自らの偏見に対する反論を受け入れられないのなら、年齢を重ねるに従って身につくはずの「賢明さ」が欠けているということだ。

メッセンジャーアプリの家族グループ内で誰かが発した性差別的な発言に異議を唱えても、失礼ではない(はっきり言って、もっと早く誰かが何とかすべきだったのだ)。

2001年のインド映画『家族の四季‐愛すれど遠く離れて‐』を覚えているだろうか。大富豪のラーイチャンドは頑固な階級差別主義者で、何でも自分の思い通りにしないと気が済まない人間だ。そして、長男ラーフルを勘当してしまう。自分が決めた結婚相手とは違う女性と恋に落ちたからだ。家族は、何も言わずに父親の決断に従い、つらい日々を送る。しかし次男のローハンは、父親の考えが間違っていることに気づき、何とかしようと決心する。

私たちもみな、ローハンから学ぶことがあるのではないだろうか。


この記事は英語から翻訳されました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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