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結婚で名前を変えた私は、すぐにそれを後悔した

1年が経ってやっと、その理由がわかりはじめた。

男女が結婚して、女性がサーネーム(姓)を夫のものに変える場合、実際にはどの時点で名前が変更されるのか、ご存じだろうか?私はずっと、結婚の後だろうと思っていた。あるいは、その直前か。実を言えば、特に気にしていなかったので、深く考えてみたことはなかった。あなたも特に気にしていないかもしれないけれど、ともあれ、事実を伝えたいと思う。

名前を変えるタイミングは、米国の場合、結婚許可証を申請するときだ。ニューヨーク州では、シビルウェディング(婚姻証明書を受けとる儀式)の24時間以上前にあたる。そう聞いても、別に気にしない人もいるだろう。けれど、私は驚いてパニックになった。

私たちはお昼休みに市庁舎で落ちあい、結婚許可証をもらうつもりだった。けれど、その日の午前中、私の結婚相手が、いくつかの書類を事前にオンラインで記入できることを発見した。私たちはふたりとも仕事中で、Googleのチャットツールで話をしていた。彼はフォームに記入しながら、こんなことを言ってきた。あれ、ここできみの名前を変えるみたいだよ。名前を変えたい?

嘘でしょ。そんな思いが、職場のデスクに座っていた私の頭をよぎった。いま、それをするの?いまなの?私はパニックになった。そして名前を変えた。

私のファーストネームは「エスター」。人気がある名前でも、当世風の名前でもない。けれど、広く親しまれている名前だ。ユダヤ系の人なら、形ばかりの親戚だとしても、その名を持つ大おばが少なくともひとりはいるだろう。成長するにつれて、私はその名前が好きになった。はるか昔、メソポタミアの豊穣の女神イシュタルから脈々と受け継がれてきた名前だ。現在の名前というより、ずっと存在している名前。私にとってこの名前は時を超越しているのだ。

私のミドルネームは「チャナ」。その発音は、コサックから隠れてチキンスープの鍋をかき混ぜながら咳払いするときの音にそっくりだ。ラストネームは「ワーディガー」。「価値があること」を意味するドイツ語の「würdig」に由来している。私の祖父の一族はポーランド出身だけれど、実際のところ、ユダヤ人は常にあちらこちらへ移り住んでいた。祖父たちがポーランド人でいられた時期はどのくらいあったのだろうか。

ワーディガーは、よくある名前ではない。というのも、ワーディガーの名を持つ大半の人がホロコーストで殺されてしまったからだ。この名前には、私たち一族の物語と苦難が刻まれている。そして、同じような物語――軍靴と、列車と、犬と、死の行進の物語――を持つ一族の出身者と私とをつなぐ名前でもある。それは、ほとんど部族のように感じられる絆だ。

この名前はまちがって発音されることが多いし、私の発音はアメリカ人とは少し違うので(私はオーストラリア育ちだ)、口に出すときはゆっくり発音しないといけない。けれど、それはまったく気にならない。ワー・ディ・ガー。真面目なやりとりでは、できるだけアメリカ風に聞こえるアクセントで発音するようにしている。ちょっと妙な感じはするけれど、電話で顧客サービス担当者と話すときには効き目がある。

私の一族はかなりの大人数だ。世界中の正統派ユダヤ教徒のコミュニティで、少なくとも一族の誰かは必ず知られている。私の名前は、ある意味で私をつなぎとめるものだった。人と打ち解けるのに役立つし、見られている、知られている、という感覚を与えてくれた。

私たち一族のあいだには、自分たちの物語を語らなければならない、という義務感に駆られる傾向が強くあった。なにしろ私たちは、あらゆる逆境に耐え、ホロコーストを奇跡的に生き延びた者の末裔なのだから。私たちは、枠に押しこめられたり、ひとくくりにされたり、ひと目見ただけで判断されたりするのを拒んできた。

たしかに私たちは、とても敬虔なユダヤ教徒だ。けれど、教育を受け、自由な考えを持ち、私たちと同じように見える人だけでなく、あらゆる種類の人と親しく付き合っている。私の家族は昔から、そうした考え方を大切にしてきたと思う。

自分の一族には、何か素晴らしいものを象徴していてほしいし、私たちの名前はそれを完璧に体現するものであってほしい。私はそう思っていた。けれど、そうした物語を信じていられたのは20代はじめくらいまでだった。私の一族は素晴らしいけれど、それは私自身とは違うと悟ったのだ。

私が一族に対して抱いていた忠誠心をいま振り返ってみると、教えられることが多い。いまの私は、違う角度から物事を見ることができる。そうできるようになったのは、一族と自分の境界はどこにあるのか、ずっと考えつづけてきたからだ。そして、あの日、パニックになって名前を変えたからでもある。

彼がチャットでその質問をしたとき、私が思ったのは、名前を変えたらパスポートも更新しなければいけない、ということくらいだった。パスポートの名前は、法律上正式な名前と同じでなければならない。婚姻証明書を持って旅行すればその限りではないけれど、それで大丈夫なときもダメなときもある。私が考えたのは、そのことだった。

結婚したらグリーンカードの申請資格ができる、という考えも頭をよぎった。グリーンカードを取得するには、できる限りの手を尽くして、結婚が実体のあるものだと証明しないといけない。名前を変えれば、結婚の正当性を証明するのに役立つのはまちがいない。

それから、子どもたちが名乗ることになる名字についても考えた。親子で名字が違っていたら、私は気にするだろうか。夫と私の名字をハイフンでつないだら、さぞかし格好悪い響きになるだろう、とも思った。

医師である私の母は、ずっと2つの名前を使っていた。仕事用の名前と、プライベートの名前だ。私が5年生のとき、母が私の学校に来て、クラス全員の前で思春期について話したことがあった。それはまったく意外なことに、予想されるほど屈辱的な体験ではなかった。母はクラスの皆に、医師として使っている仕事用の名前で紹介された。授業のあと、何人かのクラスメイトから、なぜ母のラストネームが私とは違うのか、と訊かれた。母が医師になったのは結婚する前だったから、医師名としてそのラストネームをずっと使っている、と私は説明した。

当時はそれで説明がついた。けれど、こうしたことはひとりでに起きるわけではない。名前を変えるのも、変えないのも、私たちが主体的に選択することだ。2つの名前で生きるという選択は、2つの人生を生きたいという願いのあらわれなのだろうか?

そうすると、夫の気持ちは傷つくだろうか、と考えた。それから、怒りと混乱を覚えた。そもそも、結婚と名前にどんな関係があるのだろう?「娘は父親の所有物であり、そのあとは夫の所有物になる」という考え方を押しつけているだけなのではないのか?

私は「旧姓」という言葉を思い浮かべ、たじろいだ。指が許す限りのスピードで、パニック状態でめちゃくちゃにチャットをしながら、そうしたすべてのことを、ほんの10秒ほどのあいだにいっぺんに考えた。

そんなに難しい話じゃないよ、と夫は私を安心させようとした。それはそうだけど、でも、あなたには誰も、あなたの名前を変えろとは言わないでしょう? あなたにはきっと、この気持ちは理解できない。「あとでパスポートや何かの名前を変えないといけないのが気になるだけなら、それは名前を変えない理由にはならないんじゃないかな」と彼は言った。

「選ぶのは君だよ。でも、とにかくこの書類を書き上げないと」。私は反抗的ではあるけれど、諍いが嫌いで、優柔不断で、パニックになりやすい人間だ。わかった、名前を変える、と私は彼に告げた。

そのあとは、奇妙な夢を見ているようだった。私は市庁舎で彼と落ちあった。ちなみに、そこは私がニューヨークでも特に気に入っている場所だ。結婚に旅立つための魔法の空港。あらゆる種類の人がいる、美しいところだ。

私たちは整理番号が呼ばれるのを待ち、残りの書類に署名した。その書類には、名前を変える方法がたくさんあることが書かれていた。ハイフンを使っても、使わなくてもいい。自分の名前のあとに配偶者の名前をつなげても、配偶者の名前を先にしてもいい。配偶者も名前を変えられる。ここに書いた選択肢は、どれも配偶者が選択することもできる。

もちろん、ほとんどの男性はそれを不条理だと思うだろう。私にとってもそれは不条理なことだった。エスター・C・ワーディガー。エスター・C・ワーディガー。頭のなかで、私はそう言い続けていた。繰り返しているうちに、次第に消えていく電球のように、その特別な力が少しずつ流れ出ていった。「アンセストリー・ドットコム」(自分のルーツ探しが簡単にできるサービス)で、静かな編集が行われたというわけだ。もう手遅れだった。

元の名前に戻したければ、また何もかも一からやり直すか、少なくともそれに近いことをしなければならないだろう。もしかしたら、かなりのお金もかかるかもしれない。済んでしまったことは仕方ない、と私は思った。

1週間後、夫の継母から、私たちふたりにメールが届いた。航空機のチケットに私の名前をどう書けばいいか、という問い合わせだった。家族全員での大旅行を計画していたのだ。夫は、私より先に返信した。「シルバーマン」、と夫は書いていた。それで私の運命が決まった。私のパスポートも、チケットと同じ名前にしなければいけなくなったのだ。

パスポートの名義変更は、驚くほど簡単だった。銀行口座、内国歳入庁(IRS)、ソーシャルセキュリティ(社会保障制度)の名義もそう。それぞれの窓口に婚姻証明書を持っていくだけで、担当者が受理して変更してくれた。私が行った日の午前中は、ソーシャルセキュリティ事務局は空いていて、私が履いていたブーツについて、感じのいい警備員とひとしきりおしゃべりを交わした。楽しい経験だった。

数カ月後にグリーンカードを申請したときに、担当の弁護士が、名前を変えたのは正解だったと請けあってくれた。単なる気休めの言葉だとわかってはいたけれど、それを聞いて私はほっとした。それ以外の場所では、名前は変えていない。ソーシャルメディアサイトや、署名入りの記事では、基本的には以前の名前を使っている。

私たちはシビルウェディングに臨んだ。とても楽しかった。最初に結婚許可証を取りに行ったときとは違って、市庁舎を存分に満喫することができたからだ。私たちに同行したのは証人の2人だけだった。すてきな執行担当者が、「この式をキスでしめくくることができます」と言った。夫が身をかがめたとき、私はどういうわけか恥ずかしくなり、うしろに身をそらせてしまった。そのせいで、すごくぎこちないウェディングキスの写真ができあがった。

イライラさせられることもある結婚の因習的な側面と、素敵な側面とのあいだで、人はいったいどう折り合いをつけているのだろうか?あるいは、結婚とフェミニストであることを、どう両立させているのだろうか?私は名前を変えたことを、ほとんどすぐに後悔した。フェミニズムの基本に背いたような、何かそんな気分になって、動揺したのだ。

私には、フェミニストの伝統的な意思表示をするチャンスがあった。自分の名前を守るチャンスがあった。それなのに私が考えたのは、パスポートと、まだ見ぬ我が子と母のことだけだった。自分が本当は何を望んでいるのか、私にはわからなかった。ほんの一瞬でも、名前を変えたほうが、良き妻に、あるいは将来の良き母になれると思わなかっただろうか? 自分のなかで、ぱちん、とスイッチが切り替わるように何かの変化が起き、その変化を「人から自分がどう呼ばれるか」に反映させなければいけない、と考えなかっただろうか? 

結婚の準備をしているあいだずっと、気持ちは混乱していた。私はできるかぎり自分自身を主張しようとしたけれど、その一方で、しょっちゅう矛盾した言動をとった。婚約指輪は欲しくなかったけれど、装飾的な白のドレスを着た。ベールには抵抗したけれど、結局はかぶった。ユダヤの伝統的な結婚式は、花嫁以外は男性だけで執り行われるので、自分の結婚式には女性を参加させようと考えたけれど、結局そうしなかった。

どの決断も、期限に迫られ、プレッシャーのなかで下されたものだ。その決断のひとつひとつが実際にどれほどの意味を持つのか、私は理解していなかった。ベールを身につけるのは数時間だけだ。それなのに、自分らしさをとことん追求する必要があるのだろうか? たった1日だけのことでしょう、と言う人は多いだろう。ほんの数時間、ただのパーティー、ただのドレス。ドレスは象徴にすぎない。なにも、ひとつひとつの決断の重みに打ちひしがれることはないでしょう、と。

そのとおりだ。私は乗り越えた。もちろん、乗り越えた。いまでは、これまでと同じように、自分は自分だと感じている。当然のことだ。どんな名前だろうと、私は自分のなりたい人間になれる。それはわかっている。本当にわかっている。少なくとも、理性のうえではわかっている。それでも、もしもう一度チャンスがあるなら、自分は名前を変えないだろうこともわかっている。

数か月後、名前を変えた日の混乱と不安を打ち明けたら、夫は落ち込んだ。それを見て、私の気持ちも沈んだ。でも実を言うと、夫と私の記憶は食い違っていた。夫の記憶によれば、あの日のチャットで、私の名前を変えたほうがグリーンカードの申請に有利になると、ふたりで決めたという。私がどんな気持ちだったかについては夫は覚えていない。私が自分の気持ちを正確に言い表せなかったからだ。きちんと説明できるほど、自分の気持ちを理解できていなかった。

その日の昼、市庁舎に行ったときも、その話題を持ち出すことはなかった。というのも、その数時間は、名前にまつわる不安を、興奮がすっかり覆い隠していたからだ。状況が落ち着いた数週間後にようやく、最初のパニック的な思いと、そのあとに抱いた後悔を振り返ることができるようになった。

1年以上が経ったいまは、もう起きたことを気にしてはいない。最高の選択なんてものはないし、人生を台無しにしてしまう最悪の選択といったものも存在しない。お金を払えば元の名前に戻すことはできるけれど、そうするつもりはない。名前を訊かれて、その相手が銀行やIRSや運輸保安局(TSA)だったら、シルバーマンと答える。けれど、私の通り名は、いまでもエスター・C・ワーディガーだ。

多くの人、特に年配の人たちは、私が名前を変えたのは当然だと考える。変えない理由などないと思っているからだ。私が受けとる郵便物は、どちらの名前宛てにも送られてくる。でも正直に言えば、どちらにしてもそうなっていただろうと思う。手紙を送る人たちは好きなように名前を書くし、それはそれでかまわない。

以前の私は、新しい名前になったら、それを家父長制の遺物のように感じるだろうと思っていた。でもいまでは、ちょっとした記念品のように思うようになった。それは、自分が望めばどんな人間にもなれるのだということを私に思い出させてくれるのだ。



この記事は英語から翻訳されました。翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:中野満美子/BuzzFeed Japan

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Esther Werdiger is the Art Director of Tablet Magazine. She also draws, writes comics, and makes a podcast.

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