私の彼はソウルメイトというより、ニンジン

    ショーンと私はお互いに相手と付き合うのがうまい。それは努力してきたからであって、最初からそうだったわけではない。

    私には10年以上付き合っているボーイフレンドがいるので、交際に関するアドバイスを人からよく求められる。でも私に言わせると、そんなことは馬鹿げている。この10年間で、私は1人の相手としか付き合ってこなかった。過去10年間で1度しか飛行機から飛び降りたことのない人と、何度も何度も飛び降りている人がいるとする。あなたなら、どちらの人にスカイダイビングのアドバイスを求めるだろうか。この2つの選択肢について考えてみてほしい。

    こんなにも長くショーンと私が付き合ってきた理由も秘訣も、私にはさっぱりわからない。毎朝目が覚めると私は、朝の透き通った光に照らされて眠るショーンの顔を見つめながらいつも思う。(いったい全体どういうわけで、この人がまだ私のボーイフレンドなわけ?)と。「もうたくさん!」という意味で、ではない。「私たちの関係がまだ続いてるなんて、素晴らしいじゃない」という意味で、だ。この10年以上の間、私はとても壊れやすいドライフラワーをポケットに入れたまま辺りを歩き回ってきたような気がしている。そして時々、そのドライフラワーがまだ粉々になっていないことを自分でも信じることができない。

    ほかの人からは、私たちがいまもいっしょにいるのは、私たちがソウルメイト(魂の伴侶)だからだとよく言われる。そんな風に言われると、ただ笑ってうなずくしかないが、私は自分たちがソウルメイトだなんて思っていない。特定の誰か2人がソウルメイトであるという考え自体を私は信じていないのだ。あたかも1人につき1人の「魂の伴侶」がこの地球上にいるかのように信じられているが、そうすると、私はたまたま自分のソウルメイトといっしょに同じ高校に通っていたことになる。その確率はどのぐらいなのだろう?70億分の1?だとしたら、宝くじに当たって、歩いて家に帰る途中でサメに襲われ、搬送先の病院の先生がキム・カーダシアンで、おまけに彼女から「ちょっと待って、あなたのおばさんは私の会計士よ」と言われる確率のほうがまだ高いだろう。


    もしソウルメイトなるものが本当にいるとしたら、その人は、よく言われるような「見つけるべき存在」ではなく、「つくるべき存在」なのだと私は思う。1人につき1人ではなく、何人もの候補がいて、そのなかから自分がいちばん好きな人(あるいは私が子供のころにそうしたように、自分の家のいちばん近くに住んでいる人。クリスマスをどこで過ごすのかを決めるのが、ずっと簡単になる)を選ぶ。そして、長年にわたっていっしょにいる努力をしていると、やがて2つの自己は絡み合うようになる。

    以前私は、オレンジがかった二重らせんのように絡み合いながら成長した2本のニンジンの写真をネットで見たことがある。もしこれら2本のニンジンを引き離して1本だけを人に見せたら、その人は、そのニンジンは対になった存在の片割れであること、そのニンジンは別のニンジンと長い時間をともに過ごしてきたこと、そしてだからこそ、そのニンジンの存在がより興味深いものになっていることが、すぐにわかるだろう。それがソウルメイトだ。ソウルメイトとは、あまりにも長い時間をともに過ごしてきた2本のニンジンなのだ。

    ショーンと私はお互いに相手と付き合うのがうまい。うまくなるように努力を積み重ねてきた。私たちがとりわけ得意とするのが、コミュニケーションだ。たぶんこれは、カップルセラピストがその重要性を力説する要素ではないだろうか(カップルセラピーを受けたことがないので、よくわからないけれども。でも時々、セラピストが「あなたたち、ここに何をしに来たの?すごくうまくいってるじゃない!」と言うのを聞きに行きたいと思うこともある。何だかんだ言ってもミレニアル世代の私は、自分の正当性を絶えず確認することで成長するのだ)。そんな私たちが好んで行うのが、2人で何時間もドライブしながら、相手の話をうまく聞き出しつつ、お互いの感情について語り合うことだ。


    たとえば以前の私は、自分の怒りを表すいちばんいい方法は、ガードを固めて、相手がいちばん傷つくことを言うことだと思っていた。徹底して意地悪になれるほう(つまり私)がケンカに勝つと私は思い込んでいた。でもショーンが私に教えてくれたのは、この考え方は正しくないということ。口論の解決は、ひどい侮辱を口に出して言うのではなく、お互いが自分の言い分を相手に聞いてもらっていると思えるように努力することでもたらされるのだ。もし私たちが付き合っていなかったら、このことを知るまでにどのぐらいの時間がかかっていたのだろうかと思うと、私は背筋が寒くなる。でも、誰かと付き合うことで、もっと良い人になる練習ができる。ジャグリングやサーフィンと同じで、10年続けるとそのコツがつかめてくるのだ。

    ショーンと私はいっしょに育ったので、いろんなバージョンのお互いと付き合ってきた。高校時代の一時期、私は「幻滅屋」のショーンと付き合っていた。当時の彼はファッションを一種の社会的概念と決め込み、4カ月間ずっと白いTシャツと青いジーンズ、黒いスニーカーしか身につけなかった。まるでアニメの『ヘイ・アーノルド!』に出てくる登場人物と付き合ってるみたいだった。でも、私はそんな彼が好きだった。アバクロのTシャツが幅を利かせる校内でファッションブランドを拒絶する彼が思慮深く思えたし、何となくジェームズ・ディーンみたいにも思えた。

    大学時代のある冬、私は「ダーツプレイヤー」のショーンと付き合っていた。ある晩、テレビのチャンネルをカチャカチャ変えていた彼の手が、誰も見ないESPNのチャンネルを通過して、ダーツのトーナメントで止まった。そして「ねえ、僕だって、やってみればなかなかの腕前だと思うよ」と言った。彼は町内にある店でダーツ用具一式を買い込み(そう、私たちが育った町にはダーツ専門店があるのだ)、チームに所属して、ニュージャージーのまったく記憶に残らない地味なバーで開かれる大会に参加した。まったく、いい迷惑だった。トーナメントに向けての練習とはつまり、彼の家の凍えるように寒いガレージで、何時間も彼といっしょにダーツを投げるということだったのだ。金属製のダーツを手にして氷点下のなかに佇むなんて、私にはとうてい我慢できない。

    大学を出たあとは、私は「世界一うわべだけのポットヘッド(マリファナ常用者)」のショーンと付き合っていた。この状態が続いたのは、せいぜい2カ月だった。いまでも私たちは、当時の彼が見せていたこのペルソナへの傾倒ぶりについて議論する。私の記憶のなかの彼は、1本のジョイントに4~5回火をつけながら、本棚の本を並べ直したり、ベッドの下をそうじしたり、ベッドルームの窓外の屋根に座って、私たちが夜空と呼ぶニューヨークの街の光害を見上げたりしていた。一夏の間中、ハイな状態だったと彼はいまも言い張る。でも、ドラッグなんかに手を出しちゃダメ。ドラッグは、「一夏の間中、ハイな状態ではなかった」ことを思い出す能力も低下させるのだから。

    交際期間が1~2カ月だけであれば、人はこうした一時的なアイデンティティによって、かつての交際相手のことを記憶するのではないだろうか。「私が付き合ってたあいつのこと覚えてる? ショーンよ。ダーツプレイヤーの」。けれども、私とショーンのように交際期間が長い場合は、相手が進化する過程を目の当たりにする。このダーツのようなものはアイデンティティのひとつであり、その人をその人たらしめるタペストリーのなかの鮮やかな一本の糸に過ぎないということを知るのだ。ショーンと私にうまくできていることがひとつあるとするなら、それは、そのとき魅力的に見えるどんな色の糸でも選べる自由を相手に認めることだ。たとえ密かに「うわ、シャルトリューズ(薬草系リキュール)を飲むの?」と思っていても。


    BuzzFeedで働きはじめたことは、私にとって飛び切り鮮やかな一本の糸だった。唐突にライターとしてのアイデンティティを自分に見つけた私は、自分と同年代のクールで面白い仲間をたくさん雇っているBuzzFeedで友情を育んだ。ショーンがこうした人間関係を築く自由を私に与えてくれたおかげで、BuzzFeedでの最初の1年間、私は数えきれないほどデートをキャンセルし、思い出したくもないほどたびたび、ブランチやカラオケナイトに繰り出した。いまの私は、ブランチとカラオケを嫌う自分を自覚している。午後1時に酔っぱらって15ドルの卵を食べるのは土曜日の無駄遣いだし、カラオケは、歌える人が称賛を集めるためだけに存在しているのだ。とはいうものの、そのころのことはいまでもなつかしい。私のブランチ仲間が出世して編集長になったり、深夜番組の作家になって「ピープルズ・チョイス・アワード」を受賞したりしたことをうれしく思っている。

    だが、1年ほど前にこんな金曜日があった。BuzzFeedが聖パトリックの祝日を祝うウィスキーの試飲会を開いてくれた。金曜日の夜は大抵、仕事終わりにそのままマンハッタンでビールを1~2杯飲み、そのあとクイーンズにある我が家に帰って、ショーンといっしょに晩ご飯を食べることにしていた。その日の出勤前、私は彼に、試飲会が長引きそうだから私を待たないように言っておいた。

    同僚も私も、相当量のウイスキーを試飲した。会がお開きになっても、まだ何人かが、手つかずのカップに入っているウイスキーを試飲し続けていた。それは魔法のような一夜だった。顔ぶれやアルコールの量、金曜日の雰囲気など、すべての要素がうまく噛み合っていた。同僚のマットがしゃべっている時、別の同僚のアイザックが彼の話の腰を折った。

    「まつげがついてるよ」とアイザックは言い、自分のほほを指差して確認を促した。

    マットは頬を払ったが、まつげは落ちなかった。

    「俺がとってやるよ」とアイザックは言い、テーブルの上に身を乗り出して手を伸ばし、まつげを親指と人差し指でそっとつまんだ。「願いごとをしろ」(訳注:まつげを吹き飛ばしながら願いごとをする習慣がある)

    マットは目を閉じ、アイザックの親指からまつげを吹き飛ばした。私たちはまつげが、目眩がするような渦を描きながら宙を漂う様子を見守っていた。それがテーブルの下に滑り込んで、私たちの目の前から消えるまで。

    しばらくしても、誰も動こうとはしなかった。ようやく同僚のサラが「すごくきれいだったわね」とつぶやいた。みんながどっと笑い、またウイスキーに手を伸ばした。


    結局、私たちは、終業を告げる6時のベルが鳴ったずっとあともオフィスに残っていた。1時間ごとに1人ずつ同僚が重い腰を上げ、予定を入れたことを後悔しながら帰っていった。そして9~10時ごろ、気がつくと私は空っぽのオフィスに1人取り残されていた。

    誰もいないオフィスに1人でいるのは奇妙な感覚だ。社員食堂やトイレなど、いつもざわついているエリアも暗くて静かだが、スイッチの入っていないオモチャのような親しみも覚える。私は少し時間を取って「すべてがないこと」の意味を味わおうとした。そしてコートを羽織って出口に向かった。

    いつもの習慣で、私は階段を利用しようとした。階段のドアを押し開けると、上から吹いてくる涼しい風が肌に感じられた。ふと見上げると、上の階(つまり最上階)のドアが開きっぱなしになっていた。最上階で工事が行われていることは知っていた。ハンマーやドリルの音が一日中ひっきりなしに聞こえてきていたからだ。どんな様子かちょっとのぞいてみようと私は思った。

    ドアの隙間からのぞくだけのつもりだったが、気がつくと私は敷居をまたぎ、なかの様子をまじまじと眺めていた。そこは私たちのオフィスの完全なレプリカだったが、まったく何もない空間だった。まるで誰かが「Ctrl+A」ですべてを選択し、何もかもを削除してしまったかのようだった。机や椅子はもちろん、BuzzFeedが以前に作成した、俳優ライアン・ゴスリングのダンボール製パネルもなくなっていた。

    ひんやりとした風の出所はすぐにわかった。窓が開きっぱなしになっていて、さわやかな3月の空気が流れ込んできていたのだ。窓を閉めようとした私は、私たちの階とは違って、この階の窓のすぐ外側にはテラスのような屋根があることに気づいた。どうせ上がってきちゃったんだし……と私は思い、窓をさらに開け、腹這いになって体をくねらせ、窓の外に出た。


    夜のマンハッタンで屋根の上に一人きりという経験は、なかなか得られるものではない。街が発するくぐもった音が、風に巻き込まれたように舞い上がってくる。通りのすぐ先に鎮座するフラットアイアン・ビルディング、遠くのほうで光を放つフリーダムタワー(1ワールドトレードセンター)、そして何と言っても、わずか10ブロック先で北の空を支配するエンパイア・ステート・ビルも見えた。

    レッジ(軒の突出部分)のところまで歩いてみると、目が潤んでくるのが感じられた。ウイスキーと冷たい風、自分の人生が映画のワンシーンのように思えるときに必ず恥ずかしいほどこみ上げてくる感情による相乗効果のせいだ。私は眼下の通りを見下ろし、深夜の通勤者がピクニックのアリのように乱れた列をなして23丁目を行き交う様子を眺めた。喉元でコートの襟をつかむ手、ポケットに突っ込まれる手、そして私の映画にエキストラとして出演していることを知らない、それらの手の持ち主である人々の姿を思い浮かべた。

    でも、もっぱら私はエンパイア・ステート・ビルを見つめていた。子供のころの私は、生まれ故郷の郊外の町で高いところにのぼっては、エンパイア・ステート・ビルの姿を一目見ようとしていた。大抵は、尖塔の赤い先端しか見えなかった。町を訪ねてくる人たちに必死で指し示したが、それはとても小さくて、訓練していない目には見えないことを私はすぐに学んだ。でも、今夜のエンパイア・ステート・ビルは月をこするほど高く、その白く眩い光が私のコートのジッパーを輝かせるほど近かった。

    もちろん、私はセルフィーを撮りまくった。

    そこから離れたくはなかったが、そもそもここに来たこと自体が調子に乗った行為だったことを私は自覚していた。だから私は、360度写真でその景色の全貌を取り込み、その夜の思い出にさらに何枚か写真を撮って、そこを離れた。私は、窓をもとの高さまで下げ、開いたままのドアの隙間を滑り抜け、階段を下りてロビーに向かった。建物を出る途中、私は退屈そうにしている警備員に挨拶してから、地下鉄Nラインでクイーンズの自宅に戻った。


    翌日の土曜日、私はひどい二日酔いで目を覚ました。私がうめき声を上げると、ショーンが寝返りを打った。

    半分眠った状態で、「おはよう(グッドモーニング=いい朝だね)」と彼が言った。

    右目の上の鋭い痛みをマッサージで取ろうとしながら「これがいい朝なの?」と、私は答えた。

    「昨日の夜はどこにいたの?」と彼が尋ねた。

    「ウイスキーをがぶ飲みして、私のオフィスが入ってるビルの屋根の上にこっそりのぼったの」と私は答えた。

    ショーンは枕から頭を上げて、開いている片方の目で私の顔をまじまじと見た。「どうやら、その話のうちのひとつは本当らしいね」

    私はナイトスタンドの上に置いていたスマホをつかみ、彼に写真を見せた。しらふの目で見ても、それらの写真は素晴らしかった。光を放つ巨大なエンパイア・ステート・ビルが画面全体を満たしていた。

    「スゴイな、僕も連れてってよ」

    「ダメよ」と私は言って、枕の下に頭を押し込んだ。

    ショーンが枕の角をつまんで持ち上げた。「どうしてさ?」

    「たぶん犯罪だから!」と私は言った。「不法侵入罪か、不法侵害罪か、人の職場をコソコソ嗅ぎまわった罪か……」

    「犯罪になるのは捕まったときだけさ」とショーンは反論した。

    「あれは間違いだったの」と私は言って、枕をまた引き下ろした。「もう2度とあんなことをするつもりはない」

    二日酔いが治まってくると、今度は遅発性のパラノイアが私を襲ってきた。私は、この悪ふざけの罪を逃げおおせたと思っていた。警備員に挨拶をしたとき、たしかに彼は、防犯カメラの画面に映っていたはずの、部外者立ち入り禁止の建設現場に忍び込んでいた人物が私かどうか尋ねてはこなかった。でも、あとになって私は、もしかすると、週末に撮影された防犯カメラの映像を月曜日に見直すのが一般的なのではないだろうかと疑い始めていた。ショーンは、そんなわけはないと断言した。通常業務に加えて、60時間にも及ぶ防犯カメラ映像をわざわざ見直すような時間も余裕も警備員にはないというのだ。

    「でも、もし事件でもあったら? 何かなくなってたら? そのときは映像を見直すでしょう? あそこには私しかいなかったのよ」と私は言って、いつもの朝と同じように、ショーンのマグカップからコーヒーを一口すすった。

    「なるほど。万一、君がいるビルの最上階が週末に強盗犯の標的にされていたら、そのときは困ったことになるかもしれないね」とショーンは言って、湯気の立つマグカップを私から奪い返した。


    自分が過剰反応していることはわかっていた。けれども公平を期すために言っておくと、私の疑念もあながち事実無根というわけではなかった。私たちがオフィスを移った最初の週、1階のホームセンター「ホームデポ」で銃の乱射事件があった。私たちがそのビルを出て約1年後、今度はそこから西に1ブロックしか離れていないところで爆発事件が起きた。さらには数日前にも、私は財布から、40ドルと、記念にとっておいたブラジルのレアル紙幣を抜き取られてしまった。犯人は、開いた状態の私の財布をロビーで見つけた見知らぬ人物だった。ニューヨークでは四六時中、犯罪や事件が起こるのだ。

    月曜日が近づいてくるにしたがって、この深夜の悪ふざけを後悔する気持ちはどんどん大きくなっていった。日曜日の夜、写真(つまり証拠)を自分のスマホから削除すべきかどうか思案しながら、私は寝返りを打っていた。削除はしなかった。もし誰かが大それたことをして、それを証明するセルフィーをスマホに保存していなかったら、そのことは生じなかったも同然だという事実を認めたのだ。


    翌朝、オフィスが入っているビルの外に警察のバリケードが張られていないか、前方をちらちら見ながら、私は23丁目を歩いていた。バリケードはなかった。けれども、ビルの外に停まっていたハラール(イスラム食)のフードカートをニュース番組の中継車と見間違えて、危うくガムを飲み込みそうになった。そんなこんなでビルに辿り着いた私は、警備員がカウンターを飛び越えて私をつかまえるのではと半ば思いながら、ロビーのセキュリティシステムにIDカードをタッチした。スマホの画面に見入っていた警備員は、顔さえ上げなかった。私はエレベーターでオフィスまで上がり、コソコソと自分の席に着いた。ともに暮らす家で何か妙なことをしてしまったような気分で胸がいっぱいになり、私は同僚たちとのアイコンタクトを避けた。

    その日の私は原稿を書きながら、とりつかれたようにメールを4分おきにチェックしていた。私はビクビク、イライラしていて、受信箱の「新着メール」が太字になるたびにドキッとして息を飲んだ。件名には「おまえはクビだ」とだけ書かれるのだろうか、それとも「屋根?????」みたいなタイトルで、本題にゆっくりと入るつもりなのだろうか? 

    もし困ったことになるなら、編集長のベンからメールが来ることはわかっていた。私は25歳だったが、上司とは、小学校の校長先生みたいな存在で、ニュース編集室の秩序を保ち、いい仕事をしているねと私たちに言って回るのがその仕事だと思っていた。でも結局、6時を過ぎても、ベンからも警察からも国防長官からもメールは来なかった。

    家に帰った私は、ショーンといっしょにあぐらをかいてリビングルームのコーヒーテーブルを囲んだ。そして晩ごはんを食べながら、ストレスの多かった今日一日のことを彼に話して聞かせた。私たちは本物のダイニングルーム(つまり全体が食事のための部屋!)があるアパートを見つけることができて幸運だった。このアパートを借りる前の私たちは、ダイニングルームなんて、地下で暮らすホームレスがコミュニティをつくっているという話や地下鉄の時刻表と同じような、ニューヨークシティ神話のひとつだと思っていたのだ。私たちは信じられない幸運に恵まれたわけだが、にもかかわらず、いまだにいつも、サークルタイムの幼稚園児のように床の上に座ってごはんを食べていた。話しながら私は、落ち着きのない蝶のように膝をパタパタさせていた。

    「どうやら罪に問われることはなさそう」と私はショーンに言った。「今日何もなかったのなら、もう大丈夫だと思う」

    「最初からそうだったんだって、エリン。ビクビクし過ぎなんだよ」

    「まあ、いまは私もそう思う。でも、正式に容疑が晴れるまでは、そうは思えなかったのよ。わかる?」

    「ああ」とショーンは答えた。「何だっていいよ。落ち着きを取り戻してさえくれれば」


    数日が経ち、私はあの屋根の一件について考えるのをやめた。ショーンは正しかった。私はビクビクし過ぎていたのだ。いったい私は、自分がどんな目に遭うと思っていたのだろう? 逮捕? 張り紙のようなものがあったわけではない。私は「立ち入り禁止。さもなければ女子刑務所に入って、一生を棒に振ることになるぞ!」と警告する柵を飛び越えたわけではなかった。私が通り抜けたドアは、もともと開いていた。また、少しとはいえ、開いたままだった窓から、ヘビのように体をくねらせて外に出た。もし窓の外に出ることを望んでいないなら、なぜ彼らは私を歓迎するようなまねをしたのだろうか?

    私は頭を振り、人間のおしりに入れられたとてつもなく奇妙なモノのレントゲン写真についての原稿を書く作業に戻った。その日は水曜日で、BuzzFeedのオフィスでランチが無料で振る舞われる日だった。おまけに第一水曜日だったので、その月に生まれたスタッフ全員を祝って、カップケーキも無料で振る舞われることになっていた。楽しいことがたくさん待っている一日だった。

    11時32分、マネージャーのタナーからメールが来た。

    件名:ちょっといいかな?

    本文:ハリー・ポッターにいる。

    私はすぐに返信した。「了解!!!!! すぐそっちに行く」

    タナーは、パフォーマンスレビュー(人事考課)のことで私に会いたがっているのだろうと私は思った。この会社で働くようになって毎年、私はこの手続きを引っ掻き回すことにどうにか成功してきた。タナーは私のマネージャー(私は好んで彼を「タネージャー」と呼んでいた)だったが、私たちは親しい間柄で、こうした「ミーティング」にかこつけて5分ほど軽く雑談することがたまにあった。

    私は早足で小会議室(私たちはそこを「ハリー・ポッター」と呼んでいた)に向かい、なかに入ってドアを閉めた。タナーはドアに背を向けて立ち、窓の外を見ていた。

    「どうしたの?」と私は尋ね、部屋の真ん中にある丸テーブルを囲む椅子のひとつにに腰を下ろした。

    タナーがくるっと振り向いた。「金曜の夜、何をしていた?」

    私は自分のおしりがクルミも割ることができるほどきつくギュッと締まるのを感じた。

    「私は……どうして?」と私は尋ねた。

    「いま警備会社が、何者かが屋根にのぼっている映像を調べているんだ。彼らはそれが君だと思っている」とタナーは言った。

    私は彼をじっと見つめた。

    「僕もその映像を見た」とタナーは言った。「否定するならすればいいが、警備会社の指示に従ったほうが、君も楽だろう」


    かつて13歳のとき、私はソフトボールのクラブチームに所属してトーナメントに参加した。ある打席で私は、ストライクゾーンのど真ん中を通過する絶好球を見送り、不利なカウントに追い込まれた。私が「ファック」と独り言を言うと、アンパイアは私の肩を軽く叩いて、こう言った。「いいかい、もし今度またその言葉を言ったら、そのときは退場させるよ」。強烈な恥ずかしさに襲われた私は、本当に顔が熱くなるのを感じ、一瞬、その場でお漏らしをしてしまったのではと思った。そして12年後のいま、私はかつて私を尊敬してくれていた同僚の前で、ハリー・ポッターと呼ばれる部屋で椅子に腰を下ろしながら、この「あまりの恥ずかしさに顔が熱くなり、もしかしたら漏らしたかも」感に再び襲われていた。

    「ごめんなさい」と私は言った。それしか言うことがなかったからだ。

    「よく聞いてくれ。僕たちは気になんかしていない。君とBuzzFeedの間には何も問題はない。だが警備会社は、それが君だったということを認める書類か何かにサインすることを君に求めている。あとのことは、またそのときになったら教えてくれるだろう」

    「わかった」と私は言い、突然の震えに襲われながら、ふらつく足で立ち上がった。大人になってからの私が困った状況に陥ったことは一度もなかった。スピード違反のチケットさえ切られたことはなかった。ドアへと向かう私の頭のなかでは「でも僕は良いヌードルなんだ!」と泣き叫ぶスポンジ・ボブのGIFが何度も何度も再生されていた。

    タナーが咳払いをした。「とにかくロビーの受付に行ってほしい。どうすればいいか教えてくれるはずだから」

    私は振り返りもせずうなずき、深呼吸して部屋を出た。

    私は床をじっと見つめながらエレベーターに向かって歩いた。同僚と目が合うと、たちまち私が卑劣な犯罪者であることを悟られてしまうのではないかと怯えていたからだ。私の顔にホットコーヒーをぶっかけて「いっそ屋根の上で暮らしたらどうなのよ、屋根女さん?」と侮辱的な言葉を浴びせてくる同僚の姿が頭のなかに浮かんだ。

    幸い、途中で誰とも出くわさずにエレベーターに辿り着いた。だが、ドアが閉まろうとするそのとき、同僚のローレンが私の横に滑り込んできた。私は「開」ボタンのすぐ脇の壁を押すのをやめ、彼女に声を振り絞ってあいさつした。

    「おつかれさま」と彼女は言った。「あれ?大丈夫?」

    「大丈夫!」と私は言い、歯が痛くなるほどこわばった顔で作り笑いを浮かべた。

    「そう……それならよかった。その、あなたの顔色が……妙に悪いから」と彼女は言った。

    「あのね、いまから私、刑務所に入るかもしれないの」と私は作り笑いを続けながら言った。

    「いったい、ど……」

    エレベーターのドアが開いた。私が先に降りた。すると、ロビーにはショーンがいた。

    「こんなとこで何してるのよ?」と私は叫び、彼のもとに駆け寄った。「大変なことになったの。屋根の一件がバレちゃって。あなたが来てくれて、すごくうれしいわ……ていうか、なんでここにいるの?」

    「エイプリルフール」と彼は言った。


    私は一瞬固まった。アポなしで昼日中に職場に姿を見せるなんて、これ以上にないほどつまらないドッキリ企画だったが、そのことで彼をからかっている時間など私にはなかった。

    「最高のイタズラだね、ショーン! でも、いま話してるひまはないの。私、屋根にのぼった罪で刑務所に入ることになったの」と私は言い、彼を押しのけて受付に向かった。

    ショーンが私の腕をつかんだ。「違うんだ、エリン」と彼は言った。「だからエイプリルフールなんだよ」

    突然、ピンときた。私は大丈夫だった。屋根のことはバレていなかった。全部、イタズラだったのだ。私はショーンの顔を見て、安堵のあまりその場で床の上にへたり込みそうになった。私がうしろから思い切り押すと、彼はつまずいてカウチの上に倒れ込んだ。

    「怒ってる?」と彼はクスクス笑いながら言った。

    「怒ってない。すごくホッとしてる」と私は言って、飛び込むようにして彼の隣に座り、呼吸を整えた。

    ショーンはバックパックに手を伸ばし、カップケーキが入った箱を引っ張り出した。「君が怒ったときのために買ってきたんだ。でも怒ってないみたいだから、僕がもらっといていい?」

    「怒ってる。すごく怒ってる!」と私は叫び、彼から箱をひったくった。「どうやって仕込んだの? いつ仕込んだの? じゃあ、タナーは…?」

    「もちろんグル」とショーンは言った。

    「まったく、一杯食わされちゃった。タナーは役者になることを本気で考えるべきかも」

    気がつくと、警備員が私たちの目の前に立っていた。「静かにしていただけませんか? ここは仕事をする場所なんですよ」

    私はショーンの肩のうしろに顔を隠した。やっぱり刑務所送りになるのではと、まだ怯えていたのだ。

    「すみません」と言う彼の声が聞こえた。「静かにします」

    交際に関して、私からアドバイスがあるとすればこういうことだ。あなたの不安の種を熟知し、あなたに同僚の前で漏らしそうになるほど完璧なイタズラをしかけてくるニンジンを見つけること。相手があとでカップケーキをプレゼントしてくれる人なら、もっといい。

    この記事は英語から翻訳しました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan


    エリン・チャック(Erin ChackはBuzzFeedのシニア・エディター。 ニューヨーク在住。初のエッセイThis Is Really Happeningについての詳細はこちら