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チェスター・ベニントンの死はなぜこれほどまでに悲しいのか

リンキン・パークのリードヴォーカリストは、私や私の多くの友達が苦難を乗り越える手助けをしてくれた。

リンキン・パークの2000年のアルバムHybrid Theoryの音は、それまでにはなかったものだった。1枚のアルバムを友達みんなで回しては、自分用に焼き、ジャケットに下手くそな絵を描いた。そのアルバムは冬も夏も、その次の冬も車で鳴り続けた。私たちの嘆かわしく、永遠に惨めな世代のために作られたアルバムだった。でも、私が今、チェスター・ベニントンの死を悲しんでいる理由は、それではない。

ベニントンの声は、鋭く研がれることを望み、喜びと苦しみで叫ぶナイフのようだった。Hybrid Theoryの一曲目「Papercut」は"Why does it feel like night today?(なぜ今日は夜のような感じがするのだろう)"という言葉で始まる。そして、 “It’s like a whirlwind inside of my head(まるで頭の中に旋風が起こっているよう)”という言葉がコーラスで歌われる。

私や友人たちは、リンキン・パーク、特にベニントンのおかげで、暗闇の中にいるように感じられた時期を持ちこたえることができたのかもしれないと思う。ベニントンは光をもたらしてくれなかったが、その場に一緒にいてくれたのだ。

ベニントンが旅立ったことについて、私は彼の曲やアルバムだけで語りたくはない。彼の歌声はもちろんだけれども、彼が自分の存在を通じて、ファンたちに見せてくれたものについて思っている。

私は最近、ファンを投影する鏡となることを選んだアーティストについてよく考える。このようなアーティストのスタンスはとても勇敢だし、賞賛されるべきである。

アーティスト自身の痛みを、ファンたちに自分の痛みであるかのように感じさせること。これは、感謝などはされなくても必要な仕事である。そして、アーティストがビッグになり、ファン層が広がるにつれ、負荷が大きくなる。

ファンが悲しみとトラウマから抜け出す道を、アーティストの生き様を通じて見つけられたとしても、アーティスト自身が自らのトラウマから抜け出す道を見つけ出しているとは限らない。他の人が命を落とさないように手助けしようとすることと、自分自身が生き続けられるようにすることは、全くの別の仕事だ。

私は自殺を勝ち負けで語るのは大嫌いだ。悪魔を打ち負かした人とそうでない人というようなイメージのことだ。終わりのない苦しみを、二元論で単純化してしまう作業だと感じる。その日、その人が生きていたということは、それまでの苦しみを生き延び、また今後続く日々を生き延びるために備えているのだ。勝ち負けで語ることは、そのことを否定しているように思う。

ベニントンは多くの苦しみを生き延びてきた人だ。子供時代の性的虐待、痩せすぎだった高校時代のいじめ。これらが彼を薬物とアルコール中毒に追い込んだ。こんな苦しみを生き延びてきた彼を、私はヒーローだと思っている。

私は、トラウマに直面しながら生きている誰もがヒーローだと思う。その人が自分以外の人の人生を手助けしていなかったとしても、そう思う。でも、苦しみの反対側にある方向に行ってしまった人を、負けた人だと考えたくはない。確かに、私たちは彼を、彼らを失った。しかし、我々の痛みに点数をつけることに何の意味があるというのだろう。大きすぎる痛みの中を、その人がどのように泳いでいたかについて、他の誰に物語る権利があるというのだろう。

死という行動は最終的な結果だ。それほど死にたいと思っていなくても、死ぬ欲望を抑えられないでいた人たちを私は知っている。いつも立ち込める雲がない世界へ逝ってしまった人たちを、失った、と私は考えていない。繊細すぎる彼らの、際限がない闘いを単純化してしまいたくない。

「強い」人々が時折苦しみながらも生き残り、「弱い」人々が何もない世界の方へと落ちていく。そのような見方は、生きるのが辛いと感じる日々を生き延びるために自分をなんとか保っている人々に対して、不当な行為だと思う。

チェスター・ベニントンは逝ってしまった。私は今、ものすごく参っている。逝っていたのは自分だったかもしれないからだ。私が愛する人たちも、彼が鏡として見せてくれていた生き様がなかったら、いなくなっていた可能性だってある。

自分自身が生き続けるための手助けをしてくれた人が、耐えきれなくて死んでしまうことについて、うまく話す方法など、ない。私はかつてのように死にたいと思わなくなった。でも、死にたいと思っていた頃は、自分の電話の相手になってサポートしてくれる人を、とにかく探していた。ベニントンも暗闇の中にいた私を支えてくれた存在だった。そこから引っ張り出してくれるのではなく、しばらく一緒に手を握っていてくれる。そんな存在だった。

ベニントンが亡くなって、ソーシャルメディアで自殺予防ホットラインの電話番号が次々と流れてきた。大変なことだと思った。こういう行動は理解できる。誰かが何かで命を落とすと、人々は自分の身近で似たようなことが起きないようにするための行動をとるのだ。私は自分の身近な人がもし、話し相手を必要としていたり、暗闇に囚われそうになったなら、彼らのそばにいると約束している。こういった助けは必要なのだと、私は確信している。

同時に、もう生きたくないと感じている人が生き続けるために必要なものは一つではないとも考えている。人を死へと向かわせるエンジンはいつも調和しているわけではない。そのパーツは同じピッチや音量で鳴っているわけではない。ベニントンは華麗に成功した生存者だった。それでも、彼が乗り越えようとした何かは、いつも彼の中にあった。どれだけ多くの人が彼を成功者としてみていても、そこはどうにもならない部分だった。

5月、ベニントンはクリス・コーネルの葬式で 「ハレルヤ」を歌った。今や、この歌の最高のバージョンを歌った男たちは、みな死んでしまった。レナード・コーエン。ジェフ・バックリー。チェスター・ベニントン。この歌を最も美しく響き渡らせることができるのは、もはやこの世にはいない人であるかのようだ。

2カ月ほど前、デトロイトのホテルの部屋で首を吊っていなければ、7月20日は、コーネルの53歳の誕生日のはずだった。コーネルは、ベニントンの友人でありヒーローでもあった。比類ないボーカリストで、依存症やうつ病との戦いの仲間でもあった。

ベニントンがコーネルの葬儀で歌ったときの音源には、鳥のさえずりが聴こえ、わずかな沈黙にアクセントが置かれている。そして、私はこのエッセイでは楽曲について書きたくないと言ったが、ベニントンがカリフォルニアで首を吊ったその日に、この音源を聴いていると、心を打ち砕かれる思いだ。

ベニントンの声は疲れて聞こえるが、美しい。刃は鈍っていたが、刃には違いなかった。昨日、彼に何が起きたのか私は知らないが、それが始まったのは昨日ではない。

私は自分の言葉が、よそよそしく皮肉な感じに受け取られるのは望むところではない。私がリンキン・パークの音楽を最も必要としていた頃、一番好きだと思っていたのは、何かが良くなるという約束をしてこないところだった。私たちの誰もが、そんな約束をすることはできない。自分のためにでさえ、約束することなどできないのだ。

でも、他の誰かが自分と同じような現実に直面し、戦っていると聞くと、現実の厳しさが少し和らぐ。リンキン・パークの音楽、特にその歌詞に助けられた人々の話を聞いていると、そのことがわかる。

リンキン・パークの音楽は、彼らの音楽を必要としていた人に寄り添っていた。ベニントンは、すべての言葉を心から歌っているように見えた。ステージ上では、何かを自分の中から押し出すように体をよじり、自分が囚われている何かをふるい払おうとするかのようにジャンプしたりした。ベニントンは、彼の生き様すべてが大きな仕事のように見えることを恐れなかった。なぜなら、生きることは大きな仕事だからだ。ベニントンは人生はきっと良くなるとは言わず、きつい、と言い続けた。

チェスター、人生は厳しい。チェスター、生きるというのは骨の折れる仕事だ。私は今日、生きることに耐えている。常にそうではないかもしれないが、今日は耐えている。今、私が耐えているのは、君が長いことそれに耐えてきたからだ。

そして、君が耐えていたことに気づいた人たちに、いくばくかの慈悲の心があったことを願う。

チェスター、君が生きたからこそ生きている人たちが、まだここにいる。


あなたやあなたが知っている人が、辛い思いをしていたり、落ち込んでいたり、悩んでいたりする場合の日本の電話相談窓口はここから。

この記事は英語から翻訳しました。

Hanif Abdurraqib はオハイオ州コロンバスの詩人、作家、文化評論家。彼の最初の詩集は、The Crown Ain't Worth Muchは、2016年にButton Poetryによってリリースされた。彼の最初のエッセイコレクション、 They Can't Kill Us Until They Kill Usは、11月にTwo Dollar Radio から発刊予定である。

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