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鬱病になったコメディアンが語る、周囲の共感と理解の重要性

友人や家族、信頼できる人の手を借りて。

鬱病にはうんざりしている。

自分と同年齢や年下の者が鬱病に苦しんでいるのを見るのはもうたくさんだ。「次なる大ブーム」であるかのように、鬱病が話題にされているのも嫌になる。

鬱病はそういうものではない。

鬱病は、愉快なものでも、カッコいいものでもない。鬱病は鬱病。一種の病気、それも流行している病気だ。

鬱病は恐ろしいルームメイトであり、頭の中でたえず本人に語りかける声だ。自分は失敗作だ、何をやってもうまくいかない、人生は無慈悲で、欠陥や失敗を次々と提供しながらそれらへの対処方法を決して教えてくれないと、その声は言う。

「でも、サヒール。なぜそんな話をしているんだ? 君はコメディアンだ。いつもハッピーじゃないか。鬱病からどんな影響があるっていうんだ?」と読者は言うだろう。

鬱病は私に影響を与えている。私は鬱病を体験してきたのだ。5か月前、私の生活は悪循環を起こして手に負えない状況になった。何をしても無意味だと思った。睡眠時間が増え、出かけることが減り、友人や家族を無視し、ついには、自分だけの孤独な世界に引きこもるようになった。

最悪なのは、誰にも話せないと思ったことだ。こう笑い飛ばされるのが怖かったのだ。

「ハハハ、ナイスジョークだ、サヒール! 舞台でのネタにすべきだよ!」

鬱病に面白い点など何もない。


悲しいときには、泣けば気分が良くなるものだ。だが、鬱病に罹っていると、泣きながら、自分は何で泣いているのだろうと考え、泣いている自分を嫌悪する。そしてもっと泣く。何も感じない日もあれば、自分の手に負えない気分になる日もある。

シートベルトで体を自転車に固定されたまま、自分の涙で滑りやすくなった下り坂を転がり落ちていくような感じだ。

仕事に行こうと通りを歩いていて、自分が泣いているのに気づく状況を想像できるだろうか?

タクシー運転手に乗車拒否されたわけでもないし、誰かが近づいてきて「おい、ブサイク野郎!」と言って走り去ったわけでもない。ただ、泣けてくるのだ。理由なんてない。説明しようがない。

「おいおい。サヒール、君が泣くんだって? 冗談だろ」

私はたくさん泣いてきた。床に寝転がって、再び心からの笑みを浮かべる日が来るだろうか、とかなり真剣に考えていた。朝に服を着た後、仮面をつけて幸せを装う気分だった。悲しみを隠し、全世界に対して、自分は偉大な人物だと見せかけていた。

ある日、いつものように幸せな振りができないほどの疲労感を覚え、どうにかしようと決意した。勇気を出して助けを請い、友人と家族に協力を求めたのだ。

自分の現状について率直に話し始めてすぐに、友人も似たような問題を抱えているのがわかった。私たちは互いに相手の前で泣いた。それから、いっしょに笑い、さらに泣いた。世界で最高の気分だった。

ようやく、悪化していたすべてのことに取り組む方法を見つけたのだ――話すことで。

「それで、君はただ悲しかったの? 私は悲しみから抜け出したよ。誰でも悲しみから抜け出せるんだ!」

悲しみと鬱病は別物だ。鬱病は、ただ気分が優れない日というわけではなく、振り払えない。命を奪うものなのだ。


インドのムンバイで自殺した学生の記事を読んで、こう思った。「くそっ、鬱病にやられたんだ」

学生は24歳で、人生はまだまだこれからだった。何かを達成し、間違いを犯し、人々に出会う未来が待っていた。自殺の兆候に誰かが気づきさえすれば。話をしようと誰かが誘っていれば。誰かが彼を医者に連れて行ったり、診断を下したり、必要な支援を与えていたりさえすれば。

「でも、サヒール! 彼は鬱と闘うことだってできただろう?」

いや、無理だ。鬱病との闘いが常に最悪なのは、そもそも他の誰かと闘っているわけではないからだ。闘っている相手は自分自身だ。

唯一の対抗策は、理解されている、気に掛けてもらっている、他の病気の場合と同じように、プロに助けてもらっている、と感じることだ。

鬱病は病気だが、残念ながら人は、鬱病に対応するのが得意ではない。

不安や鬱病に苦しむ学生を対象とする多くの支援活動を見たのだが、いくつかのミーム専用ページが、自殺した学生についてのミームを作成しているのも目にした。コメントを読むのは心苦しかった。亡くなった友人にタグを付けてジョークにしているのだ。

鬱病の人たちは、世界を覗いたとき、ナイフを持った見知らぬ他人ではなく、自分を受け入れてくれる広げられた両手を見る必要がある。


「では、どうすれば鬱病から抜け出せるのか?」

答えは人それぞれだが、最初の一歩は決断することだ。

気持ちを楽にしたくなると、私は座って、自分の人生を評価し、積極的に受け入れるようにした。現状を受け入れ、ありのままの自分を受け入れた。自分に関することを受け入れ、自分が犯した過ちまで受け入れようとした。

いくつかの引き金も突き止めた。

職業柄、私は常に人の面前にいないと忘れられる恐れがある。それに、たえずソーシャルメディアを利用しなければならない。

だが、自分が本当はソーシャルメディアを嫌っていることに気づいた。ソーシャルメディアは毎日、自分が取るに足りない役立たずな存在だと感じさせる。ソーシャルメディアは、他の人々の幸せをしょっちゅう垣間見せ、他の人々のほうがたくさんのことをやっていたり、うまくやっていたりすることを常に思い出させる。そして、自分の成功や喜びは不十分だと絶え間なく感じさせる。

いちばん孤独なのは友人がいない者だ、とかつては思っていた。だが、Facebookのある今、いちばん孤独なのは、友人があまりにも多すぎる者かもしれない。


私はかつて、自分の人生を、周囲の皆の人生と比べていた。自分が、もっと成功した、愉快で才能があり、ルックスのいい人間だったらいいのに、と思っていた。今はどのアプリにも「ストーリーズ」機能が搭載されているので、人々は、絶え間なく流れ込む情報にどっぷり浸かり、他者の「人生最高の瞬間」を目にする。悲しい瞬間を見ることはない。

私は自分の感情に注意を払い、自分にとってソーシャルメディアが有害であることに気づいた。それに気づいたおかげで、ソーシャルメディアを以前ほど真剣に受け止めなくなった。

1つずつ、何かが起きても影響を受けないようにしていった。反撃に出る準備ができていった。

人生は厳しい。だが、人生に支配されるがままになるか、自分が支配者になるかだ。

闘いでの私の味方が誰かわかるだろうか? それは友人と家族だ。

彼らの武器が何だったかわかるだろうか? それは理解だ。

「サヒール、私はどう闘えばいいんだろう?」

私のところにはよくメッセージが送られてくる。「とても怖い。悪い点数を取って落第しそうだ」といったようなメッセージを毎日受け取る。

なぜ試験が怖いのだろうか? 試験のことは忘れよう。後々、もっと多くのかたちで両親をがっかりさせることになるのだから(悪いが、これは事実だ)。


冗談はさておき、私はつまらない学生だった。あらゆる点で平均的だった。スポーツはせず、成績は良くなくて、字がきれいだからという理由で花丸をもらったことすらなかった。

ありがたいことに両親は、学業成績よりも私自身のほうが大事だと理解してくれていた。

私たちに必要なのは、それだ。もっと理解が必要なのだ。この記事を読んでいる読者が親なら、子供に話しかけてほしい。怠けるよう促すのではなく、親を恐れないように言い聞かせてほしい。

試験が世界の終わりではないことを理解するよう促してほしい。親がプレッシャーを掛けているのは、将来幸せになってほしいからだ、とわかってもらおう。その過程で、今の幸せが壊れるようではいけない。子供たちの友人でいてほしい。

時代は変わった。成功するのに成績が最も大事な時代に生きているわけではない。報酬の高い会社の仕事をやめて、コメディアンやミュージシャン、起業家になる人もいる。インターネットのおかげで、成績にまったく関係なく、自分が選び情熱を注ぐ分野でキャリアを追求できる。

私を見てほしい! 私は人生で立派なことを何ひとつしてこなかった。今の私を見てほしい! 良い成績や立派な学位も取らなかった。もともと金持ちの家に産まれ、金に支えられてきた。

これまで世話になってきた両親には感謝している。つらい時期には手を握ってくれ、私が幸せなときも悲しいときも、そばにいてくれた。

ただそばに座って、「わたしたちはお前のことをわかっているよ」と言ってくれた。

「私がついているから」「わかっているよ」というのは、最も力強い言葉だと知った。

誰であれ、必要としている者にこうした言葉をかけてほしい。


「サヒール。いい話だと思うよ。でも、もう生きるのはたくさんだと思っていて、とにかく終わらせたいのだとしたら?」

鬱病という問いかけには、無数の答えがある。自殺は最良の答えではない。

人生は自分だけのものではない。周囲の皆と人生を共有しているのだ。周囲の皆のことを考えてほしい。

あなたの知り合いは皆、鬱病のせいであなたを失うよりも、あなたの鬱病について知って、乗り越える手助けをしたいと思うだろう。

彼らはこの先ずっとこう考えるだろう。事実を知り、あなたに歩み寄って、「私がついているから」と言うこともできたのに、と。彼らにいま、そのチャンスを与えてほしい。

人生は壊れたジェットコースターのようなもので、途中で行き詰まることもある。だが、信じてほしい。このジェットコースターはちゃんと動いており、すばらしい乗り物だ。

しばらく待てば状況は良くなる。

自分が鬱病だと思うなら、両親や友人に話そう。

両親や友人が怖いって?

それなら、たくさんの電話相談サービスがあり、あなたのどんな思いにも対応するよう訓練された人たちがいる。

あなたが鬱病でないなら、鬱病について理解することを始めよう。

「元気を出して!」「たぶん、今日がついていないだけさ!」「頑張って乗り越えるんだ」といったような言葉は忘れよう。

「話したい?」「大丈夫?」「そばにいるよ」といった言葉を覚えよう。

床から起き上がろうとしない者に、遠慮せずに手を貸そう。


そして最後に、この記事をまだ読んでくれているなら、言いたいことが1つある。闘いは始まったばかりで、私たちはその闘いに勝つということだ。

私とあなたは、この忌々しい鬱病を負かすだろう。

私は今、前より良い状態だ。今のところ、闘いに勝った。いつかまた、闘いが始まる可能性があるのはわかっている。だが、闘うための武器があることもわかっている。家族や友人に率直に助けを求めればいいのだ。

私は、自分の喜びの源を見つけた。それは人々を笑顔にすることだ! 約束しよう。私たちはいつか、鬱病と闘った軍団として、いっしょに微笑むだろう。


Sahil Shahはインドのコメディアン。

あなたや、あなたが知っている人が、辛い思いをしていたり、落ち込んでいたり、悩んでいたりする時のための日本の電話相談窓口の情報はここにあります。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:矢倉美登里/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

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