太った人が必要としているのは思いやり。ジョークの種にされることではない

    身体をめぐる悩みは決して終わることはない。そして、身体を貶めることは、悩み解決の役には立たない。

    Nozomi Shiya / Via BuzzFeed

    インドの作家であるショバー・デは今年2月、見ず知らずの男性警官の写真をツイートした。太っていることを貶めるようなダジャレのコメントつきで、プライバシーに配慮して警官の顔を隠そうともしていなかった。あとでわかったことだが、このツイートは、昨年の別のツイートを流用したもので、オリジナルなものでさえなかった。

    数時間のうちに、ショバー・デのもとに、ムンバイ警察公式ツイッターアカウントから返信が来た。写真の警官はムンバイ警察の所属ではないと説明したうえで、彼女のジョークをはっきりと批判する内容だった。

    コメディアンである筆者は、このジョークを心底つまらないものだと思った。

    おもしろみもオリジナリティもないジョークは、ツイッターでは珍しいものではないが、この事例には、もっと根深い問題が潜んでいる。

    写真の警官は、少し太りすぎというレベルではなく、肥満の状態だ。そして肥満は医学上の疾患であり、笑いの種ではない。疾患に必要なのは気遣いと思いやりであり、できの悪いジョークではない。

    「今日のムンバイ。太った警官が配備されています!」と、コメントするショーバ・デのTwitter投稿。

    成人してから、私の体脂肪率は、ほぼ一貫して50%を超えている状態だ。そんな私が、誰も口にしたがらないことをみなさんにお伝えしよう。薬物依存症のように、食物に依存する「食物依存症」がある。その結果として肥満になる場合もあるのだ。

    食物依存症は笑い話にはならない。私の経験から言えば、食物依存症は薬物依存症よりもずっとタチが悪いこともある。場合によっては、寿命を左右し、身体を弱らせ、命を奪うこともある。そのうえ、依存を脱するのはおそろしく難しい。

    依存状態を維持するのは簡単だ。麻薬を手に入れようとしたら、かなりの労力が必要になる。しかし食べ物なら、母親がたっぷり与えてくれる。完全に合法だ。それどころか、「指までしゃぶりたくなるおいしさ!」なんていう宣伝まである。

    生命保険を勧める広告を見た方ならご存じだろうが、「お金を払う前に、それに伴うリスクを評価すべし」とは、よく言われることだ。けれど、食べものは、リスクなど何も考えずに食べてしまう。

    そう、簡単なことなのだ。もちろん、自分の体は世界で唯一、完全に自分だけのものだ。私の体は100%私のもの。インドのHDFC銀行にローン返済中の車ではない。兄弟姉妹と分けあう家でもないし、壊れたら買い換えられるノートパソコンではない。

    自分の体を健康的に保つのは、自分だけの責任だ。自分でその面倒を見なければいけないことはよくわかっている。

    その方法もわかっている。私はこれまでに、街中のありとあらゆる栄養士を訪ねたし、あらゆる種類のエクササイズにも挑戦してきた。ダンス・エクササイズのクラスで、インストラクターに体重についてからかわれたこともある。


    食物依存症をどうにかすることは、私の人生最大の闘いだ。

    人生最大の問題について、通信販売で解決できるなら、すがりたいと思ってしまう。そこまで心が弱ったことが、あなたにはあるだろうか?

    電話番号をメモして、電話をかけて、サウナ・スリムベルトを注文したことがあるだろうか? そして、それが自宅に届かないうちに、きっと効果がないと確信しつつも、さらに腹筋トレーニングマシンまで注文してしまったことは?

    依存的行為は、感情の欲求と、傷つきやすさから生まれ、育つものだ。

    揚げものや甘いものに手をのばさずに、感情の下方スパイラルを乗り切れた経験が、私には一度もない。

    食事の仕方が汚いため、途中で手を洗って、それからまた食べ続けなければならないほどだ。

    夜中の3時。スナックを腕いっぱいに抱えてキッチンから寝室へ移動する時、誰も起こさずにすり抜ける技もマスターした。

    食物依存症になると、食べものを味わい、楽しむことを忘れてしまう。ひたすら飲みこむだけになってしまう。


    私の症状を多少なりとも理解できただろうか? では、何が必要かを考えてみてほしい。

    私の体重について、もっとジョークを飛ばす必要などあるだろうか? そうでなくても、いつも私の頭から離れないというのに?

    プールサイドでのパーティーで、Tシャツを着ているのは私だけだ。車ではいつも助手席に座るが、そうするのは、みなさんの場合とは違う理由からだ。ショッピングモールへ行って服を買う勇気はない。飛行機で誰かの隣に座ると、私が太っているのは、ひとえにその人を怒らせるためだろう、と言わんばかりの目でじろりと見られる。

    男は、身体を貶められるのに慣れている。何か言われても、軽く受け止めるのが当然だと思われているのだ。つまり、私たちは男であり、普通の男は「ジョーク」に感情的になりすぎたり、気にしたりしてはいけない、というわけだ。われわれはそうした状態をあたりまえと思うようになっているが、本当はとても大きな問題だ。そして、医学上の疾患に苦しむ人をからかうことには、危険な可能性もある。


    太りすぎの男性である私がこうした気持ちを表明すると、返ってくるのは「うるさいな、サモサでも食ってろよ(chup be rondhu, yeh le samosa kha)」という反応だ。私の気持ちは真剣に受け止められない。食物依存症を抱えている人間が、もっと食べろと言われるのだ。

    多くの人にとって、身体をめぐる悩みは決して終わることはない。そして、身体を貶めることは、悩み解決の役には立たない。

    けれども、対話は役に立つ。私は最近、50キロの減量に成功した。友人が率先して、一緒にワークアウトをしようと誘ってくれたからだ。その友人は、体重の問題について私と雑談もしてくれた。

    雑談と実用的なアドバイス。私に必要なのはそうしたことだ。ディナーの席で、太っていることをネタにしたジョークの的にされることではない。

    そんなことをされたら、家に帰って、24時間営業のドラッグストアに電話をして、チョコレートを配達してもらいたくなるだけだ。

    平均サイズの椅子に収まった太りすぎの人の写真を笑う「おもしろ」ツイートだって、それは同じだ。


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan