【写真】90年代のクラブシーンがどれだけイッているかがわかる30枚

    ニューヨークで最もワイルドだったクラブを振り返ってみよう。Getty Images提供。

    1990年代、写真家のスティーブ・アイクナーはニューヨークのクラブシーンとナイトライフの写真を数多く撮影した。アイクナーは、ライムライト、クラブUSA、パラディウム、トンネルなどのクラブを経営していたピーター・ガティエンのハウスフォトグラファーだった。

    アイクナーはBuzzFeed Newsに、1990年代の最も熱かったニューヨーク・シティのパーティーでの自身の最初の体験について語った。

    卒業後、私はマンハッタンに移り、音楽シーンを通じて、ナイトライフシーンに引きずり込まれました。私は飛んで火に入る夏の虫のようでした。そこは色と熱狂、エネルギーに溢れていました。カメラを持ってそこに参加し、毎晩の爆発的規模の退廃ぶりを記録するのは簡単でした。何の決まり事もなく、ドラァグ・クイーンやセクシーな人が騒いでいました。素晴らしいネットワーク形成の場所でもあり、私はすぐにニューヨーク・シティの人々と知り合えました。

    ここでは何でも見られましたし、思いつくものは何でもありました。ドラッグ使用からセックスまで、何でも見ました。みんな今と比べると無防備でした。楽しむとはこういうことです。誰もセルフィーを撮ったり、上辺だけを飾ったりはしていませんでした。あらゆる職種の人が料金の手ごろなクラブで一緒に騒いでいました。芸術家や銀行家、セレブ、ドラァグ・クイーン、音楽家、詩人など。エネルギーで溢れていました。そしていつも予期しないことが起きました。ある女性がゴーゴーダンサーの舞台の1つに登ったり、ダンスフロア上で、キッズたちに授乳を始めたりしました。そんなものは一度も見たことがありませんでした。

    一週間、どの夜にも、足を運べるクラブがありました。パーティーは決して終わりませんでした。クラブキッズはドレスアップし、パーティーを開いていました。とにかく熱狂的でした。VIPルームもありましたが、ホール・ボトル・サービスなどはまだありませんでした。お金よりも、どのような衣装を着るか、楽しめるかが大事でした。仲間になっていれば、入場料やドリンク代を払うことはありませんでした。今ではこういうやりかたはもうないと思います。

    私はよく、新聞や雑誌に送る写真を撮影するために、クラブの広報担当者と一緒に働きました。呼ばれた時にいつでも行けるようにしていたので、セレブが午前3時に姿を見せれば、ポケベルを鳴らしてもらい、カメラを持って現場まで走って行ったものです。その一例が1992年の出来事です。私のポケベルが非常識な時間帯に突然鳴り出しました。私は急いで服を着、クラブUSAへと駆け込み、スタイリストと一緒にダンスフロアにいるジュリア・ロバーツを見つけました。私は歩いて上がり、何枚か写真を撮り、彼女のボディーガードに止めるように言われました。それでも私は続けましたが、クラブの広報担当者がこう言いました。「もっと撮れよ、確実にいいのを撮るんだ!」

    そこで私はその場へ出ていき、別の写真を撮影しました。そこでボディーガードは腹を立て、物理的に私をダンスフロアへと押しのけました。広報担当者はそれでも満足しなかったので、私はバルコニーに上がり、ズームレンズを取り付けました。さらに何枚か撮影していると、ボディーガードが私に気付き、すぐに私のところへ駆け上がってきました。同時にジュリアも私の方を見て、私に向かって指を振り、「これ以上クソみたいな写真は撮るな」と言いました。 私は通用口から退散し、クラブを後にしました。

    今日では誰もが携帯のカメラを持っていて、SNS用に自分で記録することができ、そのことが今度は、人々により画像を意識させることになっています。それがいい事なのか、悪い事なのかは私にはわかりません。とにかく今と昔では違います。当時、写真は芸術であり、科学であり、私にとってはより特別なものに感じられました。私はクラブに前の夜に現像した写真を何枚か持って行っていましたが、それは魔法のようでした。クラブキッズは写真の周りに集まり、私は何か特別なことをしている、何か興奮するようなことをしているのだと感じていました。私は神のような扱いを受けていました。なぜなら、私にはカメラがあり、その使い方を知っていたからです。今では誰もが自分専属のカメラマンです。

    アイクナーが撮影した90年代のニューヨークのクラブシーンの更なる写真はゲッティ・イメージズと彼のこちらのウェブサイトで確認しよう。

    この記事は英語から翻訳されました。