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「麦チョコ」と呼んでほしい。ウガンダと日本で生きる高校生の僕は、もっと黒くなりたかった

高校生だからこそ問いかけたい。「社会に"壁"って必要ですか?」

前地方創生大臣で自民党の山本幸三衆院議員が11月23日、アフリカ各国の支援に取り組む議員の活動について「何であんな黒いのが好きなのか」と発言し、撤回した。研究者や学生たちが、差別的な発言だったとして抗議している。

一方、自身が「黒い」と言われることについて、ポジティブに受け止めている高校生もいる。

高校3年生の三浦ノアさん(17)。アフリカ系と日本人のハーフで、家族のルーツはウガンダにある。

黒いと認めてもらえたから

「ウィル・スミスとか、麦チョコとか、コーヒー豆とか、僕はいろいろなあだ名で友達に呼んでもらっていて、どのあだ名もすごく気に入っているんです」

三浦さんは「受け止め方は人によるから、何気ない発言で人を傷つけうることもあるのは自覚しておくべきだけれど」と断ったうえで、自分がポジティブに受け止める理由をこう説明する。

「どのあだ名も、僕が黒いというアイデンティティを認めてくれている証拠だと僕はとらえているんです。どんどん言ってほしいです。自分が愛されているんだなと、うれしい限りです」

三浦さんが通う郁文館グローバル高校(東京都)は、留学生を積極的に受け入れるほか、全員が高校1年の冬から約1年間の留学を経験する。多様な背景を持つ生徒がおり「違っていることが好きな子が集まっている」のだという。

しかし三浦さんは、ハーフで友達と見た目が違うからというだけで「黒いというアイデンティティ」を自認するようになったわけではないという。

BuzzFeed Newsは、三浦さんに少年時代にさかのぼって話をしてもらった。

「お前は日本人だ」と言われ

もともと南アフリカで暮らしていた三浦さんの父親の家族は、治安のよい場所を求めてウガンダに移住した。仕事で来日した父親は、日本人の母親と結婚し、3人きょうだいの長男となる三浦さんが生まれた。

三浦さんは2009年、小学4年生のときに初めて家族でウガンダを訪れた。祖父の親族たちが「奇声を発して」出迎えてくれた。ウガンダ流の歓迎の儀だ。

「空港に降り立ったとき、あたり一面が緑だったんです。風ひとつ、吹いてなくて。ウィンストン・チャーチルが『ウガンダはアフリカの真珠』と述べましたが、それってこういうことなんだと感動しました」

日本で生まれ、日本で育った。幼稚園、小学校で「マックロクロスケ」などと外見をからかわれたことはあったが、あまり気にしたことはなかった。

「それまでは、自分はハーフだという事実があっただけ。アイデンティティを意識したことはありませんでした。実際にウガンダを訪れてみると『僕にはこのアフリカの血が入っているんだぞ、かっこいいだろ』と思うようになりました」

折しも翌2010年には、アフリカ大陸初の開催となるワールドカップ南アフリカ大会が予定されていた。

「アフリカのチームを応援したい! アフリカってかっこいい! アフリカのことをもっと知りたい! とアフリカ愛がどんどん湧いてきました」

2013年、中学2年生の春、三浦さんは再びウガンダの大地を踏む。父親に連れられて1年間、現地のインターナショナルスクールで学ぶことになった。

「旅行者としてではなく、同じ立場の、同じ生きるものとして、同じ釜の飯を食う生活をしました。現地の人と同じ目線で生きているという意識が強くなりました」

それはウガンダ人というより、もっと広い「アフリカ人」としてのアイデンティティだったという。子どもならではの純粋な憧れから、「植民地支配のために引かれた国境なんて、もはや関係ない」と一体感を強く求めていた。

「僕は無性に一緒になりたくて『僕もアフリカ人だ!』と繰り返し言っていたんですが、『いや、お前は日本人だ』と否定されました。歩いていると、中国人、外人とも呼ばれました」

写真を撮ると、自分だけ肌の色が薄く、アジア系の顔立ちであることを認めざるを得なかった。濃い黒色の肌がうらやましかった。日本人でもなくアフリカ人でもない。どちらのグループにも入れない。なんなんだろう。もっと黒くなりたい、もっと黒くなりたいーー。

「自分の居場所がわからなくなっていました。その当時は、自分がニュートラルで中間的な立場だという意識はまったくなくて、どちらかに属していたかった。アフリカのほうがかっこいいから、黒くなりたかったんです」

「性別は人間です」

ただ、どんなに望んでも肌の色は変わらない。

日本に戻ってからは、ハーフの自分だからこそできることは何か、と考えるようになった。

高校1年の冬から9カ月間、ニュージーランドに留学した。通っていた現地の高校では、トランスジェンダーの生徒の要望によって、ジェンダーフリーのトイレが整備された。

人種だけでなく、性も多様なのだ。特異性だとして見ていたものを、多様性として見るようにすると、世界はぐんと広がった気がした。

日本人かアフリカ人か、男性か女性か、そんな所属にとらわれることなく、自分の好きなものや心地よいことを、自分の力で選びとっていく。それができるのだということを、同じ高校生に伝えたい。

三浦さんは10月14日、UN Womenと資生堂が共催したジェンダー平等を考えるシンポジウムで、こんなスピーチをしている。

「父の故郷は東アフリカのウガンダです。この国では、ゲイが違法とされています。恵まれた日本に生きる皆さんには、想像できますか?」

「私の理想は、性別が自由な社会になってほしいです。日本って結構、性別のチョイスが狭いかなと思います。自分たちの本当の性別は人間だと、私は思っています」

正直に言うと......と三浦さんは苦笑いする。

「性の多様性については、ニュージーランドに留学するまでは意識したこともありませんでした。調べるうちにニュースが耳に入るようになって、ウガンダでゲイが違法だということを知って疑問を感じたり。後付けですね(笑)」

「社会には壁ってありますか?」

三浦さんがまず取り組みたいのは、ウガンダのゲイ合法化でも日本でのジェンダーフリートイレの整備でもなく、高校生にとってごく身近な「当たり前」への問いかけだ。

制服はなぜ男女別に決められているのか。なぜ体育などは男女別に分けられ、個人の能力別ではないのか。テレビに出てくるタレントのイメージをもとにLGBTを語っていていいのだろうか。そもそも学校で性の話題を口にしづらいのって、どうしてなんだろう?

「性別でもなく人種でもなく、一人の人間として見てもらいたい。だから、僕が気に入っている黒い肌を僕の特長として認めてもらえるのは、とてもうれしいことなんです」

三浦さんは最後に、少し心配そうに、しかしまさか信じられないことのように、記者たちに聞いてきた。

「日本で社会に出ると、ジェンダーの壁ってあるんですか?」

もしあるのなら、高校生の今と同じように「その壁って、なくてもいいんじゃない?」と言いたい。三浦さんは将来、日本で学ぶことも、ウガンダの若者とともに学ぶことも、両方を考えているという。

BuzzFeed JapanNews