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「まだ結婚しないの?」と"クソバイス"をもらったら......上野千鶴子の答え

余計なお世話でしかないアドバイスを「クソバイス」と命名したエッセイストの犬山紙子さんが、フェミニズムの重鎮の上野千鶴子さんと「撃退法」を考えました。

「結婚しないの?」「子どもはまだ?」「ひとりっ子じゃかわいそう」

あの......放っておいてくれませんか? と言いたくなるようなアドバイスが、世の中にはあふれています。身近の人から政治家まで。言っているほうに悪気がないのが、またタチの悪いところ。

イラストエッセイストの犬山紙子さんは2015年、著書『言ってはいけないクソバイス』で、こうした余計なアドバイスを「クソバイス」と名付けました。

世の中に溢れるクソバイスから、どうやって身を守ったり、かわしたりすればいいのでしょう。

2019年11月8日に東京・渋谷であったダイバーシティ推進のためのビジネスカンファレンス「MASHING UP」のトークセッションで、女性学の第一人者であり東京大学名誉教授の上野千鶴子さんが、犬山さんとともに考えました。

セッションの内容を一部、紹介します。

人生につきまとう「呪いの言葉」

犬山 私はもうすぐ3歳になる娘を育てているんですが、彼女がこの先この社会で生きていく中で、女だからといって不利益を被ったり、「結婚しろ、子どもをつくれ」みたいな呪いをかけられたりしたとき、バリアを張れるようになるにはどうすればいいのかと考えています。

もちろん、そういう「呪いの言葉」をなくしたり減らしたりしていくために努力しているつもりなんですが、とはいえ呪いはあるわけで、どう対峙すればいいか、私自身も知りたいんです。

上野 私にはね、その呪いの言葉をかけてくる人が、あなたの人生を本気で考えている人だとは思えないんです。降りかかってくる火の粉みたいな呪いをかけているのは、どっちみち私の人生をマジで考えてくれている人たちじゃないんだから、と開き直って、返し方のノウハウを蓄積しておけばいいんです。

私自身は子どもを産んでいませんから、一部の政治家に言わせると "生産性の低い女" なんですよ。「子どもを産まないのは悪だ!罪だ!」と言われていた頃は、「子どものつくり方、学校で教えてくれなかったんです」と切り返してましたね。

これはあざといやり方ですが、「子ども、いたんですけど......」と言葉を濁したこともありましたね。すると、もう二度と言ってこないようになりました。さまざまな事情に対する想像力を持たないのが外野の無神経さなんです。

犬山 子どもが1人だと「きょうだいはいたほうがいいよ」と無邪気に言ってくる人もいますよね。そもそも出産なんて命がけだし妊娠するかどうかもわからないので、他人に言われる筋合いのものじゃないと思います。

上野 そんな人には「じゃあ産んだら育ててくれますか」と軽く言ってみたらどうでしょうか?

あとは「結婚しないの?」と母親に言われるというケースもよく聞きますね。そんな娘さんたちには、「お母さん、あなたの結婚は幸せだったの?」と聞き返してごらんなさいと伝えますね。幸せだと断言する母親はほとんどいませんから、自分にとって幸せではなかった結婚を、なぜ娘に勧めるのでしょうね。

「家族のような」に抵抗

犬山 上野さんはテレビ番組「情熱大陸」で、介護の現場で言われる「家族のような」という表現に抵抗がある、とおっしゃっていましたね。

私は「女のように」「男のように」という言葉には異議を申し立てていたのですが、「家族のように」という言葉は普通に受け入れていたことに、番組を見て初めて気づきました。「家族のように」というのは良いことだというイメージを、自分勝手につくっていたんですね。

上野 このシーンに登場していたドクターは、家族を捨て、また家族から捨てられたお年寄りの看取りを実践しています。家族にできなかったことをやっている介護現場のプロたちが「家族のように接しています」と言うんですね。

家族がベストだというなら、家族以外の人が「家族のような」ことをするのは、家族の代用品だと言っているようなものでしょ。実際は、家族にできないことをしているプロなのに、どうしてもっと誇りを持たないんですか、と思ったというのがこの発言の背景にあります。

犬山 確かに、人間同士の思いやりや尊い営みを、まるっと「家族のような」と言ってしまうようなところはありますよね。

上野 介護に関しては「愛より親切」が重要だと思いますね。犬山さんも介護をされていたのよね。

犬山 はい。私が20歳のときに母親が倒れまして、10数年間、在宅介護をしていました。母親のことは大好きなんですが、「なんで私ばっかり」という気持ちは募っていましたね。

しっかりしたケアマネジャーさんが入ってくれて、ヘルパーさんが入浴や導尿や摘便をやってくれるようになりました。「愛より親切」でいうと、私は母への愛があるけど、親切の度合いはヘルパーさんたちのほうが圧倒的でしたね。

上野 ヘルパーさんたちは親切でなくて、対価を伴うプロですね。ヘルパーさんたちはプロとして誇りを持って介護の仕事をしていますから、犬山さんにできることは、大好きなお母さんに顔を見せることですよ。それは他の誰にも取り替えができない、家族にしかできないことだから。

家族は一過性のもの

犬山 私が介護をしていたことを話すと、同世代の友人から、「お母さんが嫌い」「お父さんが許せない」といった声も聞くんです。「そんな親でも介護しなきゃいけないのか」と質問をぶつけられて、血のつながりにはそこまでプレッシャーがのしかかるのかと痛感しました。

家族から離れた人やひとりで暮らしているお年寄りには「孤独死」などネガティブなイメージが先行していることも、家族の役割をより重くしているように感じます。

上野 でもね、人間みんな死ぬときはひとりなんです。「家族の死に目に会えない」というのもネガティブなイメージがありますけど、身近な人が息を引き取るその瞬間を、本当にその場で見たいですか?

突然の別れなら別ですが、いずれはと予期しているのなら、それまでに別れと感謝を伝えておけばいい。次に会ったときに旅立たれていたら、それでも悔いが残りますか? それまでまったく会ってないのに、死ぬときだけ全員集合だなんていうのも変じゃないですか。

私は、おひとりさまで家族をつくらなかった人間ですけど、私くらいの年齢だと多くの女性が家族を"卒業"しているのよ。夫と離死別したり、子どものほうが先に亡くなったり。

ずっとおひとりさまの私は、家族を卒業したおひとりさまに「お帰りなさい」と声をかけるんです。「家族してた時期って、人生の中の一時期だったね」と。人生100年時代には、家族って一過性のもの。縛られなくていいんです。

言い返せなかったあの言葉

犬山 最近、私の周りにも、家族にまつわる呪いの言葉に疑問を持つ人が多くなってきました。「家族なんだから世話をしろ」とか「女の子なんだから親の面倒を見ろ」というのは、当たり前のことじゃなかったんだと気づくようになっているのかもしれません。

こうした呪縛から逃れるために、私たちひとりひとりができることはあるのでしょうか。

上野 まず、呪いの言葉を撃退することですね。そして、他人にも言わないこと。

自分が自分を縛っているところもあるのよね。夕食におかず3品作らなきゃいけないって誰があなたに頼んだの? とか。はたと立ち止まって考えたら、自分の呪いは自分で解くことができるから、周りの言葉より自分を縛る思い込みのほうが問題かもしれませんね。

犬山さんは「クソバイス」に関する素敵な本をお書きになって、こう言われたらこう返そうという百戦錬磨のツワモノじゃありませんか。

犬山 あれは、当時は言い返せなくて、あとで脳内で「このヤロー、こう言ってやりたかったぜ」と思ったことをまとめた本なんです。

上野 私だって即座に言い返せたわけじゃないのよ。言い返せずに、悔しいーと思うことがどんどん溜まっていくでしょ。

そうすると、傾向と対策をやるわけ。何型、何型と、タイプ別に対応を決めていくと、人間の反応なんてそんなに多様性はなくて、いくつかのタイプに収まるから、その型が来たら「キタキター、よしこれで返しておこう」って。また新種が出てきたらストックを増やして。

犬山 なんだかちょっと楽しくなってきますね(笑)。そうやって呪いの言葉を撃退して、自分自身も、周りも、少しずつ変わっていけるといいですよね。