独り暮らしのさみしさを紛らわす7つのルール

    さみしいときは、洗濯物を干してみよう。


    1、部屋を散らかったままにしておく

    来客がない時、私は何でも置きっぱなしにする。孤独が、床やベッド脇、キッチンのシンクまわりにどんどんたまっていき、積もり積もって今にも雪崩を起こしそうになる。やがて、すべてが崩れるのは言うまでもない。ベッドには横たわるスペースさえなくなる。どうでもいいものがあまりにもありすぎるのだ。

    飼い犬は私を見上げて、こんなことを言いたげな表情を浮かべる――「ベッドで横になりたいから散らかっているものを片づけて」。私は「オッケー」と答えて、ベッドの上のものをすべて床に放り投げると、犬と一緒にベッドにもぐりこむ。明日の朝になったら片付けようねと言いながら。

    雑然とした状態は、我慢できるどころか、心地よささえ感じる。誰かの体があったはずのスペースを埋めるのはいいことだ。かつてその場所で自分が笑い転げていただなんて、本当だったのだろうか? 

    そこには今、高価な特大の写真集が3冊、ビニールの封に包まれたまま積み重ねてある。気まぐれで買ってしまったけれど、そのまま家に置いておく気にはなれない。1冊は友だちにプレゼントしてもいい。そして、見え透いた嘘をついて遊びに行って、暇な時にぺらぺらとめくってみるのだ。友だちのバースデーパーティーは来月じゃなかったっけ? いや、あれは先月で、行くのをやめたんだった。

    2、部屋をきれいにしておく

    孤独に打ち勝てる奇妙な方法がある。それは、洗濯物を干すこと。そうすれば、とてもいい香りがするでしょう? 私はスーパーの洗剤売り場で、柔軟剤のボトルを開けてその匂いをかぐのが好きだ。探している香りはまだ見つかっていない。「ほかの人」の洗濯物から立ち上るあの香りだ。ほかの人の洗濯物からは、憧れの香りがしてくる。

    孤独な人間にとって、整えたばかりのベッドにもぐりこむことほど、身体的な癒しになるものはないのだと私は知った。くるまれているような感じがするし、みじめでふさぎ込んでしまうこともない。何よりも、寝る前にメークを落とすことを忘れずに済む。

    ベッドリネンは必ず白を買う。洗濯する時は常に高温で。年に1度、リネンを全部まとめてバスタブに入れ、漂白剤に一晩漬けておく。リネンを1枚残らず漂白剤のたっぷり入ったバスタブに入れてしまったら、その夜はベッドに何を敷いて寝ればいいのかって? 一晩だけなら、服を着たまま、テレビを見ながらソファで寝てしまっても構わない。

    3、よそゆきの声を使う

    沈黙に慣れるのは本当に簡単だ。それよりも悪いのは、ラジオの不快な音に慣れてしまうこと。聞こえてくるのは、つまらない政治論議や、面白くもない話で笑っている人たちの声ばかり。

    私が声を出すのは、飼い犬に向かって赤ちゃん声で話しかける時くらいで、しかも何度も同じことを繰り返す。例えば、「ハイ、ハイ、ハイ」「それがあなたのおもちゃでしょう? それがあなたのおもちゃ」。私はきっぱりとした口調で話す。飼い犬の存在を確認しているのだけれど、ある意味、自分自身の存在を確認しているようなものでもある。

    友だちや家族に電話することも忘れない。相手が私からの電話を待っていない時でも電話をかける。相手が電話に出ると、私は「内心の声」で応対しないように気をつける。その声はあまりにも小さくなってしまい、窓際に巣を作っている小鳥のさえずりにさえ負けそうなほどだ。内心の声で話しても、誰にも聞こえない。だから、私ははっきりと話す。

    自分が騒々しいパーティー会場でもよく通る声で話すような人間であることを忘れない。背景でノイズが鳴る中、私は大きな声で自分の話をする。電話がいつも混線していることは話してあっただろうか? 電話で話をしていると、耳障りなノイズが常に反響していて、家の中を移動してもその音は止むことがない。

    4、日々を記録に残す

    食べることを忘れたら死んでしまう。午前2時にトーストを食べるだけでは不十分だ。新鮮なフルーツに緑黄色野菜、良質な脂肪が含まれた魚、シード類、食物繊維の豊富な穀物などが含まれた健康的な食事を食べなかったら死んでしまう。

    きちんとした料理を作るエネルギーがなかったら、私はほかの人のためにおいしいものを料理しているふりをする。お皿に美しく盛り付けて、一番明るいテーブルに置く。光は庭から降り注いでいる。ほんとうは、光は庭から降り注ぐわけではない。窓の外の空から降り注ぐのだ。

    料理の写真を上手に撮ってインスタグラムに投稿すれば、人は「いいね!」を押して、「とても素敵」としきりにほめてくれる。だから相手にレシピを送るのだが、もちろん、相手がそれを作るわけはない。彼らは料理などしたくないのだ。ただ写真を見て、違うテーブルで違う料理を食べている自分を想像するだけ。誰もが、今とは違った暮らしはどんなものなのかを想像している。この方法なら、ソーシャルメディアを通じて誰もが食事を一緒にできるし、栄養も十分に行き届く。

    5、運動する

    私はビーチまではや足でウォーキングする。都会生まれなので、常にはや足だ。ゆっくりと散策することはまだできない。ものすごいペースで歩くか、不自然な格好で座ることしかできない(その格好だと足がしびれてしまうのだ)。靴は都会で履いていたものと同じだ。でも、今では中に砂がたくさん入っていて、湿っていることも多い。

    ウォーキングから戻って濡れた服をラジエーターにかけて乾かしていると、家の窓が曇る。お土産にするために毎日集めている貝殻が家じゅうに転がっている。海辺に住んでいるのにマリン調のインテリアにするのは野暮ったい。可能なら、ブルーとホワイトをテーマカラーにするのはやめた方がいいけれど、海辺に住んでいることは忘れたくない。ならば、海に入るのがいい。海に入って泳げば、海辺に住んでいることを忘れない。

    夜になると、爪の間や髪の毛から潮の香りが漂う。サメがビーチで死んでいたことや、潮の流れが突然変わったことや、肺から息をすっかり吐き出したことを覚えている。海に向かって、砂や尖った小石を踏みながら歩いていると、足の裏はつるつるのピンク色になって、見た目も手触りも赤ちゃんの足のようになる。寝る前に足を洗ってからベッドに入る。体は疲れているが、心はワクワクしている。

    6、謙虚になる

    私は最近、自分もその人生も、短く束の間のもので、もしかしたら存在していないも同様だと考えるようにしている。例えば、心に余裕がなくなった時は、宇宙の広さがわかる写真をインターネットで見る。人間がどれほどの広さの熱帯雨林を燃やしてしまったかという統計を読む時は、宇宙の詳しい年表を見る。基本的に、宇宙のことについて考えるのだ。

    自分自身が短命で取るに足らない存在だと考えるのは難しい。人は、自分がとても大切で美しい存在であると考えることを好む。自分がとても大切で美しい存在だと考えると、自分が「精神的な宇宙」に入るように感じられる。でも残念ながら、精神的な宇宙は私を不安にする。

    私は超越瞑想法を試してみたことがある。自分には合わなかったけれど、時々マントラを思い出しては1人で繰り返し口にしてみる。超越瞑想法で一番いやだったのは、死への恐怖心に瞑想が効果的かどうかを尋ねた時に、瞑想の師がこう答えたことだ。「死ぬことは全然怖くない。単に古くなったコートを脱ぐようなものだ」

    7、1人にならない

    誰かを家に招待して、ひとり暮らしでどれだけのことを学んだかを話そう。周囲を指さして、安物の家具や、何度も画鋲を使って壁に貼ったせいでぼろぼろになったポストカードを示してこう言うのだ。「大したものはないけれど、全部自分のものなんだ」と。あなたは勇敢だ、と言われるがままにしよう。家の中にある物を持ち上げて明かりにかざし、客がきちんと見られるようにしよう。差し出された贈り物はすぐに受け取って、こっそり開けよう。あなたが新しいものをしきりに欲しがっていることを相手に悟られてはいけない。

    できるだけ相手の話を中断して割り込もう。そうすれば、自分に興味のないこと、あなたを不安にするような話題を持ち出される機会が減る。目の前にいる人でも電話をかけよう。相手がそれに文句を言ったら、ただこう言おう。「ごめんなさい。あなたがここにいることを忘れていた」と。頻繁に時計に目をやって、さもほかのお客さんを待っているかのようなふりをしよう。隣人が警察に通報するほどの、多すぎるくらいの人を家に招待しよう。人に迷惑をかけよう。キスの最中に、別の人とのキスを思い出して、ため息をつこう。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan