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貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】

約1時間半に及ぶ会見で「レジェンド」が残した言葉とは。

米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が引退を決断し、21日夜に都内ホテルで記者会見を開いた。

時事通信

午前0時頃から始まった記者会見にも関わらず、100名以上の報道陣が集まり、その影響の大きさを改めて伺わせた。

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イチロー選手の第一声は「こんなにいるの。びっくりするわ」。その後、以下のように語り始めた。

この遅い時間にお集まりいただいてありがとうございます。

今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入した所だったんですけれども、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。

最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたこと、大変幸せに感じています。

この28年を振り返るには、あまりにも長い時間だったので、ここでひとつひとつ振り返るのが難しいということもあって、ここではこれまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして球団関係者、チームメイトに感謝を申し上げて、皆様からの質問があれば、できるかぎり、お答えしたいという風に思っています。

冒頭発言に続き、質疑応答がはじまった。

「後悔などあろうはずがありません」

――現役生活に終止符を打つことを決めたタイミング、理由は。

タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですね…。

何日前とはっきりお伝えできないですが、終盤に入った時です。

もともと日本でプレーするところまでが契約上の予定でもあってということもあったんですが。キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことができなかったということですね。

――決断に後悔や思い残すことは。

いやぁ、今日のあの球場でのできごと…。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。

もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために、自分なりに重ねてきたこと。人よりも頑張ったということはとても言えないですが、そんなことは全く無いですけども、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。

これを重ねてきて、重ねることでしか、後悔を生まないということはできないのではないかなというふうに思います。

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子どもたちへ「自分が熱中できるものを見つけて欲しい」

――テレビを通じて子どもたちが見ていると思います。子どもたちへメッセージを。

シンプルだなあ。メッセージかぁ。苦手なのだな、僕が…。

野球だけでなくても良いんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものをみつけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけて欲しいなと思います。

それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。向かうことができると思います。それが見つからないと、壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。

色々なことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも、自分が好きなものを見つけてほしいなと思います。

――1992年に一軍デビュー。いま思い返して印象に残っているシーンは。

うーん。今日を除いてですよね?

――はい。

この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただ、それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。

自分にとって、それは目指してやってきたんですけれど、いずれそれは、僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないことでもあるとは思うんですけど。

そのことにそれほど大きな意味はないと言うか。そんなふうに、今日の瞬間なんかを体験すると、すごい小さく見えてしまうんでうよね。その点で、例えばわかりやすい10年200本(安打)を続けてきたこととか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらとか、ほんと小さなことに過ぎないと思います。

今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後チームと一緒になって練習を続けてきたんですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。

今まで残してきた記録は、いずれ誰かが抜いていくと思うんですけど。去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないと、ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね。

そのことが、去年の話ですから近いということもあるんですけど。どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。

「ファンの存在無くして、自分のエネルギーは生まれない」

――イチロー選手にとって、ファンの存在とは。

ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど。実際にそれが起きて。19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけど、なかなか日本のファンの方の熱量は普段感じることが難しいんですね。

でも久しぶりの東京ドームに来て。で、ゲームは基本的には静かに進んでいくんですけど。なんとなく印象として、日本の方って表現することが苦手というか、そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。

内側に持っている熱い想いが確実にそこにある。それを表現したときの迫力というものはとても今まで想像できなかったことです。ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど。

ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれるかなというふうに思っていたんですけれど。

ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在無くしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っても良いと思います。

え、おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?(笑)

――イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは。

野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?(笑)

――ケン・グリフィー・ジュニアは「肩の力を抜いた時、違う野球が見えてまた楽しくなる」と話していた。そういう瞬間はあったか。

プロ野球生活の中でですか?

――はい。

ないですね。これはないです。ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で。それが叶って。

最初の2年、18〜19歳の頃は、1軍に行ったり、来たり…。行ったり、来たりっておかしい?行ったり、行かなかったり?え?行ったり来たりって、いつもいるみたいな感じだね。あれ?どうやっていったらいいんだ?一軍に行ったり?二軍に行ったり?

そうか!それが正しいか。そういう状態でやってる野球は結構楽しかったんですよ。

94年、(オリックスの)仰木(彬)監督と出会って。レギュラーで初めて使っていただいたわけですけど。この年まででしたね、楽しかったのは。

あとはなんかね、その頃から急に番付あげられちゃって一気に。それはしんどかったです。やっぱり、力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。

だからそこから、純粋に楽しいということは…。やりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。

ただ、楽しいかと言うとそれとは違うんですよね。でも、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球がやりたいなというふうに。

これは皮肉なもので。プロ野球選手になりたいという夢が叶ったあとは、そうじゃない野球をまた夢見ている自分が、ある時から存在したんですよね。

でもこれは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。

例えば草野球ですよね。草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかというふうに思っているので。

これからは、そんな野球をやってみたいなという思いです。

おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?(笑)

――開幕シリーズを大きなギフトと仰っていた。私たちのほうが大きなギフトをもらったような気持ち。

そんなアナウンサーぽいこと言わないでくださいよ(笑)

――これから、どんなギフトを私たちにくださるのでしょうか。

ないですよ、そんなの(笑)無茶言わないでくださいよ(笑)

でも本当これは大きなギフトで。去年3月の頭にマリナーズからオファーを頂いて、からの今日までの流れがあるんですけど。あそこで終わっていても全然おかしくないですからね。去年の春に終わっていても全くおかしくない状況でしたから。

いま、この状況が信じられないですよ。あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所というのは、神戸の球場なんですけど、そこで寒い時期に練習するので、凹むんですよね。やっぱ心折れるんですよ。

でもそんなときも、いつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなぁというふうに、あの当時想像していたので。もう夢見たいです、こんなの。これも大きなギフトです、僕にとっては。

だから質問に答えてないですけど、僕からのギフトはないです(笑)

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「遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない」

――涙なく笑顔が多いように見えたのは、この開幕シリーズが楽しかったということか。

これも純粋に楽しいということじゃないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うということは、それなりに重いことなので。

そうやって一打席、一打席立つことって簡単ではないんですね。だから、すごく疲れました。

やっぱり、一本ヒットを打ちたかったし、応えたいって当然ですよねそれは。 僕にも、感情がないと思っている人いるみたいですけど、意外とあるんですよ(笑)

だから、結果残して、最後を迎えられたら一番良いなと思っていたんですけど、それは叶わずで。それでもあんなふうに、球場に(試合後もファンが)残ってくれて…。

まあ、そうしないですけど、「死んでもいい」という気持ちはこういうことなんだろうなというふうに思います。死なないですけど。そういう表現をするときって、こういうときなのかなと思います。

――「最低50歳まで現役」と言っていた。日本のプロ野球界に戻る考えはなかったか。

なかったですね。

――どうしてでしょうか。

それはここで言えないなぁ…(笑)。ただね、50まで。確かに、最低50までって本当に思っていたし、それは叶わずで。有言不実行の男になってしまったわけですけど、でもその表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。

言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなというふうに思っています。

――これまで膨大な時間を費やしてこられた。これからそういう膨大な時間とどう付き合うか。

これからの膨大な時間ということですか?それとも、これまでの膨大な時間ということですか?

――これまで野球に費やしてきた時間が空くという前提で、どうされるのか。

まあ、ちょっと今はわからないですね。でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらないでしょうね。僕、じっとしてられないから。それは、動き回ってますよ。だから、ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。全然ない。動き回ってます。

――生き様で伝えたこと、伝わっていたら嬉しいと思うことは。

生き様というのは、僕にはよくわからないですけど。うーん、まあ生き方というふうに考えれば…。

先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。

でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。

そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のあのゲーム後のファンの方の気持ちですよね。それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見て頂いていたのかなと。それは嬉しかったです。そうだとすればすごく嬉しいし、そうじゃなくても嬉しいです、あれは。

――現役選手を終えたら、一般的には 監督になったり指導者になったり。あるいはタレントになったりする。

あんまりシンプルじゃないですね、質問が…(笑)

――イチロー選手は何になるんですか。

何になるんだろうね。そもそもなんかさ、カタカナの「イチロー」ってどうなんですかね。なんか、元カタカナの「イチロー」みたいになるんすかね。あれどうなんだろう。どうなんだろうね、あれ。

「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音はイチローだから。書く時どうなんだろうね。

どうしよっか…。何になる…。

うーん。でも、監督は絶対無理ですよ。これは「絶対」がつきますよ。人望がない。ほんとに。人望がないんですよ僕。

――そうでもないと思いますが。

いやぁ…無理ですね。そのくらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうね…。プロの選手とかプロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合、特殊な形で存在しているので。今日をもって、どうなんですかね?そういうルールって。どうなんだろう。今までややこしいじゃないですか。

例えば極端に言えば、自分に子どもがいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね?違う?そうだよね?

だから、そういうのってなんか変な感じじゃないですか。だから、今日をもって「元イチロー」になるので(笑)それは小さな子どもなのか中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか、それはわからないですけど。そこには興味がありますね。

――引退を決めた時期はキャンプ終盤と。そこに至る以前にも「引退」の二文字が浮かんだり悩んだ時期は。

引退というよりは、「クビになるんじゃないか」というのはいつもありましたね。ニューヨーク行ってからは毎日そんな感じです。ニューヨーク、マイアミもそうでしたけど。

ニューヨークって、みなさんご存知かどうかわからないですけど特殊な場所です。マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。

だから毎日そんなメンタリティで過ごしていたんですね。

そのクビになるときは、まさにその時だろうと思っていたので。そんなのしょっちゅうありました。

――今回、引退を決意された理由というのは。

マリナーズ以外に行く気持ちがなかったということは大きいですよね。去年、シアトルに戻していただいて、本当に嬉しかったし。先程キャンプ前、オファーがある前の話をしましたけど。

その後、5月にゲームが出られなくなる。あのときも、そのタイミングでもおかしくないんですよね。でもこの春に向けて、まだ可能性があるというふうに伝えられていたので。そこも自分なりに頑張ってこられてということだと思うんですけれど。

質問なんでしたっっけ?

――いままで「引退」という文字があったのにもかかわらず、今回引退を決めた理由。

ああ、そうか。もう答えちゃったね(笑)

号泣した菊池雄星との会話は秘密に。「それはプライベートなんで」

――きょうの8回でベンチに戻る際に菊池雄星選手が号泣されていて…

いや、号泣中の号泣でしょ、あいつ(笑)いや、びっくりしましたよ。それ見て、こっちはちょっと笑ってましたけどね(笑)

――抱擁していたときにどんな会話を。

いやあ、それはプライベートなんで(笑)雄星がお伝えするのは構わないですけど、僕がお伝えることではないですね。

――秘密ということで。

それはそうでしょ。だって、二人の会話だから。しかも僕から声をかけているので。それをここで、僕が「こんなことを僕は言いました」って馬鹿ですよね。絶対信頼されないもんね、そんな人間は。それはダメです。

――お人柄がわかる言葉でした。

ありがとうございました。

アメリカのファンは「最初は厳しかった」

――19年間、アメリカでプレーした。アメリカのファンへの思い、メッセージは。

アメリカのファンの方々は、最初は、まぁ厳しかったですよ。そりゃあまあ2001年の最初のキャンプなんかは「日本に帰れ」ってしょっちゅう言われましたよ。

だけど、結果を残した後の敬意というのは…うーん。これを評価するというのかはわからないですけど。「手のひらを返す」という言い方もできてしますので。

ただ、言葉ではなくて行動で返したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるなという印象ですよね。

なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後は、すごく近くなるというような印象で。ガッチリ関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような。それは僕の勝手な印象ですけど。

でまあ、ニューヨークというのは、うん…。厳しいとこでしたね。でも、やればそれこそ、どこよりも、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。

マイアミっていうのは、ラテンの文化が強い印象で。圧はそれほどないんですけど、でも結果残さなかったら絶対に人は来てくれないっていう。そんな場所でしたね。

それぞれに特色があって面白かったし、それぞれの場所で関係を築けたような、特徴はそれぞれありましたけど。なんかアメリカは広いなと。ファンの人達の特徴をみるだけで、アメリカはすごく広いなという印象ですけど。

やっぱり最後にシアトルのユニフォームを着て、セーフコ・フィールドではなくなってしまいましたけれど…。姿をお見せできなくて。それは申し訳ない思いがあります。

――「常にクビになるかもという思いがあった」と。イチロー選手といえば、大変ユニークなTシャツが話題になる。「もう限界」「もうマヂ無理」など。あれは心情を表したりしているのか、全く関係なく好きできているのか。

そこは…言うと急に野暮ったくなるから、言わないほうがいいんだよね(笑)見る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできるし、全然関係ない可能性もあるし。それでいいんじゃないんですか。

――ファンのそこは好きに楽しんでいただきたいと。

だって、そういうものでしょ。いちいちそれを説明すると本当に野暮ったいもんね。

――言わないほうが粋だと?

まあ、粋って自分で言えないけど。言うと「無粋」であることは間違いないでしょうね。

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Kazuhiro Nogi / AFP時事

妻・弓子さんと飼い犬「一弓」への感謝

――弓子夫人への言葉は。

いやぁ…うーん。頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで、結局3089本のヒットを打ったわけですけど。

妻はですね、およそ、僕はゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるんですけど。その数が2800ぐらいだったんですよ。

3000、いきたかったみたいですね。そこは、うーん、3000個握らせてあげたかったなと思います。

妻もそうですけど、とにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりする気ないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思っています。

それと一弓(いっきゅう)ですね。一弓というのはご存じない方もいらっしゃると思いますけど、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。

さすがにですね、おじいちゃんになってきて。毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それは俺頑張らなきゃなと。

これはジョークとかではなく、本当に思いました。懸命に生きる姿。うん。2001年に生まれて2002年にわが家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深いですね。一弓の姿というのは。

ほんと、妻と一弓には感謝の思いしかないですね。

――3月終盤に引退を決めたと。技術の質問で恐縮だが、打席内での感覚の変化は今年はなにかあったか。

いる?それ、ここで(笑)いる?

――ぜひとも、はい。

裏で話そう、あとで。裏で。

AFP時事

亡き師・仰木彬監督への思い「学んだものは計り知れない」

――これまで数多くの決断と戦ってきたと思う。00年オフでのポスティングでの移籍、06年WBC参加、07年オフのマリナーズとの契約延長、12年のニューヨークのトレード移籍。いままでの中で、一番考え抜いた決断は。

うーん…。これ順番つけられないですね。それぞれが一番だと思います。

ただ、アメリカでプレーするために、当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど。自分の思いだけでは当然それは叶わないので。当然、球団からの了承がないといけないんですね。

じゃあその時に、誰をこちら側…こちら側というと敵味方みたいでおかしいんですけど、球団にいる誰かを口説かないといけないというか、説得しないといけないというか。

その時に一番に浮かんだのが、仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いは伝えていたこともあったんですけれど、仰木監督だったら美味しいご飯とお酒を飲ませたら…「飲ませたら」って、これはあえて言ってますけど。これはうまくいくんじゃないかなとおもったら、まんまとうまく行って。

これがなかったら、なんにも始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなあと思いますね。

また、だめだだめだと仰っていたものが、お酒でこんなに変わってくれるんだと思って。お酒の力を、まざまざと見ましたし。でもやっぱり、洒落た人だったなあというふうに思いますね。だから、仰木監督から学んだもの…計り知れないと思います。

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AFP時事

「とにかく身体を動かしたくてしょうがない」

――3/21は日本が第1回WBCで優勝した日と同じだった。運命的なもの?

聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね。僕はそのことは知らなかったですけれど。

――現役時代に我慢したこと、我慢したものは。

難しい質問だなぁ。僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと楽なことを重ねているという感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚がないんですけど。

だから、とにかく身体を動かしたくてしょうがないので。こんなに動かしちゃダメだといって、身体を動かすことを我慢するということはたくさんありました。

それ以外は、なるべくストレスが無いような、自分にとってですね、ストレスが無いように行動してきたつもりなので。家では妻が料理を色々考えて作ってくれますけど。ロードに出るとなんでも良いわけですよね。

そりゃ無茶苦茶ですよ。ロードの食生活なんて。だから我慢できないから、結局そういう事になってしまうんですけど。そんな感じなんです。

だから今聞かれたような趣旨の我慢は、思い当たらないですね。

おかしなこと言ってます?僕。

――台湾にもイチローさんのファンがいっぱい。なにか台湾のみなさんに伝えたいことはありませんか。

チェン(・ウェイン)が元気か知りたいですね(笑)チェン、チームメイトでしたから。

チェンは元気にやってますかね?そうですか。それは聞けて何よりです。

台湾に行く予定は今の所はないですけど。以前に一度行ったことはあるんですよ。すごく優しい印象でしたね。心が優しくて、なんかいいなと思いました。

後輩・菊池雄星とのエピソード「左ピッチャーは変わってる子が多い(笑)」

――菊池雄星選手、後輩たちに伝えたいこと。託すことは。

まあ、雄星のデビューの日に、僕は引退を迎えたというのは、なんかいいなあというふうに思っていて。

もう「ちゃんとやれよ」という思いですね。短い時間でしたけれども、すごくいい子で。

やっぱりね、色々な選手を見てきたんですけど、左ピッチャーの先発って、変わっている子が多いですよ(笑)ほんとに。

天才肌が多いという言い方もできるんですかね。アメリカでも、まあ多いです。だから、「こんなにいい子、いるのかな?」という感じですよ、今日まで。

でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど。チームはドレスコードですね、服装のルールが黒のジャージのセットアップでOK。長旅なので、できるだけ楽にという配慮ですけど。

「じゃあ雄星、俺たちどうする」って。アリゾナを立つ時はいいんだけれど、日本に着いた時に「さすがにジャージはダメだろ」って二人で話していたんですよね。

「そうですよね。イチローさんどうするんですか?」

「僕は中はTシャツだけど、まあセットアップで。一応ジャケット着てるようにしようかなって」

「じゃあ僕もそうします」って雄星は言うんですよ。

で、キャンプ地を立つときのバスの中で、僕もそうでしたけど、みんな黒のジャージのセットアップでバスに乗り込んできて。

雄星と近かったので、席が。「いや雄星、これやっぱダメだよな。日本に着いた時に、これはメジャーリーガーこれダメだろ」って、バスの中でも言ってたんですよ。「いや、そうですよね」って。

言ったら、まさかのあいつ羽田着いた時、黒のジャージでしたからね(笑)いや、こいつ大物だなって思って。ぶったまげました。それは本人にまだ聞いてないんですけど、その真相は。何があったのかわからないですけど。

やっぱり左ピッチャーは変わったやつが多いなと思ったんですね。でも、スケール感は出ていました。頑張ってほしいです。

(大谷)翔平はケガを治して。スケールの、物理的にも大きいわけですし。アメリカの選手に全くサイズ的にも劣らない。あのサイズで、あの機敏な動きができるというのは、いないですからね。それだけで。世界一の選手にならなきゃいけないですよ。

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AFP時事

アメリカの野球への危機感「本来、野球は頭を使う競技」

――イチロー選手が感じる野球の魅力は。イチロー選手なき野球を楽しむ上で、どこを楽しめばいいか。

野球の魅力ね。うーん…。

団体競技なんですけど、個人競技だっていうところですかね。これは野球の面白いところだと思います。チームが勝てば、それでいいかというと、全然そんなことない。

個人としても結果を残さないと、生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティは高いはずなので、それでいいじゃないかという考え方もできると思うんですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかな。面白いというか魅力であることは間違いないですね。

あと、同じ瞬間がないということ。必ず、必ずどの瞬間も違う。これは飽きがこないですよね。

2つ目はどうやって楽しんだらいいかですか。

2001年に、僕はアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く違う野球になりました。

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手はみんな、選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。

本来は野球というのは…ダメだな、これ言うと問題になりそうだな…。

頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でも、そうじゃなくなっているのが、どうも気持ち悪くて。

ベースボールの発祥はアメリカですから、その野球がそうなってきているということに、危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。

日本の野球がアメリカに追従する必要なんて全くなくて。やっぱり日本の野球は、頭をつかう面白い野球であってほしいなって思います。アメリカのこの流れは止まらないので。

せめて日本の野球は、決して変わってはいけないこと、大切にしなければならないものを、大切にしてほしいなというふうに思います。

――メジャーでの、一番最初はアスレチックス戦。今日もアスレチックス戦だった。今日の4打席目の前、オープニングゲームのことが、ひょっとしたら頭によぎったのではないかと想像した。一年目のゲームとか思い出したりしましたか。

長い質問に対して大変失礼なんですけど、ないですね。

――プロ野球選手になる夢を叶えて成功した。いま、何を得たと思うか。

成功かどうかって、よくわからないですよね。じゃ、どこからが成功で、そうじゃないのかって、全く僕には判断できない。成功という言葉は、だから僕は嫌いなんですけど。

メジャーリーグに挑戦する…どの世界でもそうですね。新しい世界に挑戦するということは、大変な勇気だと思うんですけれど…。

ここはあえて「成功」と表現しますが、「成功すると思うからやってみたい。それができないと思うから行かない」という判断基準では、後悔を生むだろうなというふうに思う。

やりたいならやってみればいい。「できる」と思うから挑戦するのではなく、「やりたい」と思えば挑戦すれば良い。その時に、どんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。

自分なりの成功を勝ち取ったところで、じゃあ達成感がるのかといったらそれも僕には疑問なので。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。

――何を得たか。

……まあ、こんなものかなあという感覚ですかね。

いや、そりゃあ200本もっと打ちたかったし、もっとできると思ったし。一年目にチームは116勝して、その次の二年間も93勝して。勝つのって、そんなに難しいことじゃないなって、その3年は思ってたんですけど。大変なことです、勝利するのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね。

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「基礎の動きは、メジャーリーグの選手より日本の中学生レベルのほうがうまい可能性だってある」

――毎年自主トレでも神戸に行かれている。ユニフォームを脱がれることで神戸になにか恩返ししたいなとか、そういうお気持ちは。

神戸は特別な街です、僕にとって。

恩返しかぁ…。恩返しって、何することなんですかね?

僕は選手として続けることで、でしかなんかそれができないんじゃないかなというふうに考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともあるんですね。

神戸に恩返し…。うーん…じゃまあ、税金を少しでも払えるようにがんばります(笑)

――日米で活躍する選手は、まず甲子園で活躍しプロ野球で活躍し、メジャーに挑戦という流れがある。自身の経験から、こういう制度であればメジャーに挑戦しやすかった、日本に残ってもっとやりたかったとか。育成制度など合わせて、こういうこともあればいいなということがあれば。

まあ、制度に関して僕は詳しくないんですけど。

でも日本で、その基礎をつくる…自分が将来、MLBでプレーする…聞いてらっしゃいます?

MLBで将来、活躍をするための礎をつくるというふうな考え方であれば、出来るだけ早くというのはわかりますけど、日本の野球で鍛えられることってたくさんあるんですよ。

制度だけに目を向けるのはフェアじゃないかなというふうに思いますけどね。

――日本の野球で鍛えられたのは。

基本的な基礎の動きは、メジャーリーグの選手より…日本だったら中学生レベルのほうがうまい可能性だってありますよ。

それはチームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね日本の野球では。でもこちらでは、なかなかそこは。個人としてのポテンシャルは高いですけど、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみましたよ。苦しんで諦めましたよ。

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大谷翔平との対決実現せず。「僕はピッチャーで、翔平バッターでやりたかった」

――大谷翔平選手のメジャーリーグとしての今後について。

先程もお伝えしましたけど、世界一の選手にならなきゃいけない選手ですよ。そう考えています。

翔平との対戦、(実現せず)残念ですけど。できれば僕はピッチャーで、翔平バッターでやりたかったんですよ。そこは誤解なきようにお願いします。

――今後、大谷選手はどんなメジャーリーガーになるか。

なっていくかどうか…。そこは、占い師に聞いてもらわないとわからないけどねえ…。

でも、投げることも打つこともやるのであれば、僕はワンシーズンごとに、ワンシーズンはピッチャー。次のシーズンは打者として。それでサイヤング賞とホームラン王をとったら…。

(普通は)そんなこと考えることすらできないですよ。でも翔平は、その想像を人にさせるじゃないですか。この時点でもう、明らかに人とは違う選手であると思うんですけど。

その二刀流は面白いなと思うんですね。なんか納得言ってない感じの表情ですけども(笑)

ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、その翌年に50本打ってMVPとったら化物ですよね。でも、それが想像できなくはないですからね。そんなふうに思っています。

――あるアスリートに聞いたが、その方が「自分が現役選手でなくなったことを想像すると嫌だ」とイチローさんに仰って、イチローさんが「自分も同じだ。自分も野球選手じゃなくなった自分が想像できない。嫌だ」と仰ったと伺いました。

僕、「嫌だ」って言わないと思うけどね(笑)「野球選手じゃない僕を想像するの嫌だ」と多分、言ってないと思うんですよ。

――改めて、野球選手じゃない自分というのをいま想像してどう思うか。

だから、違う野球選手に多分なってますよ。

あれ?この話、さっきしましたよね?ちょっと、もうお腹へってきて集中力が切れてきちゃって…。

さっき、何話したのか記憶が…。あれ?草野球の話しましたよね?しましたね。はい。

だから、そっちで。いずれ、それはきっと楽しくて、やってると思いますけど。

そうするときっと、草野球を極めたいと思うんでしょうね。だから真剣に草野球をやる野球選手になるんきゃないですか、結局。聞いてます?

お腹減ってきた〜もぉ〜!結構やってませんか?1時間20分?

あらぁ〜。今日はとことんお付き合いしようかなと思ったんですけど、お腹減ってきちゃった(笑)

――プロ野球生活を振り返って、誇れることは。

これ、先程お話しましたね?小林くんも、ちょっと集中力切れてるんじゃないの?(笑)完全にその話したよね。ほら、それで一問減ってしまうんだから…。

「外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれた」

――イチロー選手の小学生時代の文集が有名。「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」という言葉で始まる。当時の自分に、いま声をかけるとしたら。

「お前、契約金1億円ももらえないよ」って(笑)

いやあ、夢は大きくといいますけどねぇ。なかなか難しいですよ。「ドラ1(ドラフト1位)の1億」って掲げてましたけど、全然遠く及ばなかったですから。いやぁ…ある意味では、挫折ですよね、それは。

こんな終わり方でいいのかな(笑)なんかキュッとしたいよね、最後は。

――Full-Countの木崎(英夫)です。昨年マリナーズに戻りましたけど、その前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーをしている」と仰っていた。ヤンキース、マーリンズに移られ、プレーする役割が変わってきた。去年ああいう状態になって、今年引退になる。その孤独感はずっと感じながらプレーしていたのか。前の孤独感とは違ったものがあったのか。

現在、それは全くないです。今日の段階で、それは全く無いです。

それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよね。

この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。

締まったね、最後(笑)いやぁ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、みなさんも。ねえ。いやぁ…。

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会見は約1時間半に及びました。最後は「ありがとうございました」と深く一礼。

UPDATE

記事内容を記者会見の全文に更新しました。

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