2007年「日本ダービー(東京優駿)」で牝馬として64年ぶりに優勝するなど、中央競馬で活躍したサラブレッド「ウオッカ」号が4月1日午後(現地時間)、滞在先のイギリス・ニューマーケットで蹄葉炎のため死亡した。
JRA(日本中央競馬会)によると、アイルランドで繁殖馬生活を送っていたという。
父は名馬タニノギムレット
ウオッカは2004年生まれ。2002年の日本ダービーを制した名馬タニノギムレットを父に持つ。
2006年10月、京都競馬場第6レース「2歳新馬戦」でデビュー。初陣を1着で飾った。同年には2歳牝馬の最強決定戦である阪神ジュベナイルフィリーズで勝利。父親譲りの豪脚で鳴らした。
“宿敵”ダイワスカーレットとのライバル対決で人気
ウオッカを語る上で欠かせないのが、同期の牝馬ダイワスカーレットとの“最強牝馬対決”だ。
初対決は2007年のチューリップ賞。このときは四位洋文騎手が騎乗したウオッカが、クビ差でダイワスカーレット(安藤勝己騎手)を下した。
2007年の桜花賞。クラシック三冠制覇も夢ではないと思われていたが、ここで立ちはだかったのがダイワスカーレットだった。
先行策をとった宿敵にウオッカは破れ、2着に終わった。
オークスに出走せず、あえて日本ダービーへ
その後、ウオッカは3歳牝馬の大舞台オークスの出場を見送る。代わりに選んだのが、日本競馬の最高峰・日本ダービーへの挑戦だった。
そしてウオッカは、64年ぶりとなる牝馬のダービー勝利を成し遂げた。騎乗した四位洋文騎手にとっても初のダービー制覇だった。ゴール時には右手を掲げ、喜びを爆発させた。
四位騎手はウオッカを「かけがえのない馬」と評し、その死を悼んでいる。
ショックです。僕にとっては子供の頃からの夢であったダービーを取らせてくれたかけがえのない馬です。自分として、スーパーホースの背中を知れた事は、それからの競馬人としての指標にもなりました。
あんな馬にはもう巡り合えないかも知れません。ただただショックでなりません。ご冥福をお祈りいたします。
08年天皇賞・秋、ダイワスカーレットと大接戦
ダービー後はしばらく不調が続いたが、2008年の安田記念で快勝。同年の天皇賞・秋では、再び宿敵ダイワスカーレットとの名勝負を繰り広げた。
まずは、この時の出走馬を確認しよう。
2008年ダービー馬のディープスカイ、菊花賞馬のアサクサキングス、さらにはサクラメガワンダー、ドリームジャーニー、キングストレイルなどの数々の名馬が揃った。
そんな中でウオッカとダイワスカーレット、牝馬2頭がオッズ1番・2番人気を独占。ディープスカイは3番人気だった。
2頭は、レースでも最高の勝負をみせた。
2008年11月2日の東京競馬場、距離は芝2000メートル。天候は晴れ、芝の状態は良。軽い馬場状態のため、高速での勝負になると思われた。
ゲートが開くと、ダイワスカーレットが好スタートを切って先頭へ。リードを3馬身ほど広げた。ウオッカは中段の前、外から勝負の機会をうかがう。
最終コーナーを周って、先頭は先行策をとったダイワスカーレット。その後にディープスカイらが続いた。
最後の直線、ラスト300メートルを切ったあたり。ここでウオッカが、ぐんとあがってくる。ウオッカ、ダイワスカーレット、ディープスカイ、三つ巴のガチンコ勝負。府中名物のラストの坂で“差す”、“差される”の攻防が繰り広げられる。
ゴール直前だった。外のウオッカ、内のダイワスカーレットの姿が重なった。2頭はほぼ同時にゴールを駆け抜けた。
結果は写真判定へ。およそ2センチのハナ差で、ウオッカがダイワスカーレットを差し切った。タイムは1分57秒2。電光掲示板には「レコード」の赤い文字が踊った。
秋の府中は、牝馬2頭の「大接戦」に大きく沸いた。
この時、ウオッカには武豊騎手、ダイワスカーレットには安藤勝己騎手が騎乗。かつての相棒・四位洋文騎手は、ディープスカイの鞍上にあった。
武豊騎手はウオッカの死を受けて、「名馬と呼ぶに相応しい馬だと思う」とコメントしている。
僕にとって大変思い出深い馬でした。名馬と呼ぶに相応しい馬だと思います。ファンの多い馬でしたし、本当に残念なニュースです。ご冥福をお祈りいたします。
通算成績は26戦10勝。GI制覇は7度。誰も行かない道を走り続けたウオッカは、茨の中をくぐり抜け、名実ともに最強牝馬として歴史に名を残した。