餃子、肉じゃが、握り寿司……戦争で生まれた「ごはん」。教科書に載ってない庶民の暮らし

    「描きながら号泣することもあります」と作者は語る。

    「戦時中、ワインは兵器として使われていたんですよ。僕が今一番描きたいのはこの話」

    そう語るのは、マンガ家の魚乃目三太さんだ。これまで「幸せゴハン」など多くのグルメマンガを生んだ魚乃目さんが、現在ヤングチャンピオン烈で連載しているのが「戦争めし」だ。

    魚乃目さんは現在41歳。当たり前だが「戦争を知らない」世代だ。もちろん、幼いとき戦争について教科書やテレビなどで触れる機会はあった。

    それでも「どこか、他人事のような気がしてスルーしていた」そうだ。そんな彼が描く「戦争めし」の世界は、ものすごくリアルだ。作品を描くにつれ心境の変化があったという。なぜ、今この作品が生まれたのだろうか? 話を聞いた。

    骸骨のような兵隊と、手に持った飯ごう

    ――これまでグルメマンガを多く描かれてきた中で、なぜヘビーな戦争を題材にしようと思ったのですか。

    きっかけはテレビに出ていたおじいさんでした。彼は自分の戦争体験を後世に伝えようと絵を描いたんです。その絵に衝撃を受けて。

    仲間たちがどんどん死んでいく状況で、ガリガリになった自分がほぼ裸でジャングルを逃げまわっているんです。南国の湿気と熱気で衣類や帽子は溶けていくから、この格好は普通だったそうです。

    でも、手に持っているのは銃ではなくてご飯を入れる飯ごう。すごく不思議でした。こんな場所では食料があるわけがない。一体中に何が入っているんだろう? もしかしたら戦友の骨かもしれない。それとも「生きたい」という強い気持ちの現れだったのかもしれない。それから戦時中のごはんについて描こうと決めました。

    むやみに「人が死んでいく様」は描かないと決めています。戦争の悲惨さを、経験していない自分が描いてはいけないと思うから。

    「俺達はここで死ぬ」と宣言した兵士たち。主人公が渡した乾燥味噌(溶かせば味噌汁ができる)を最期に食べたのかもしれない。

    勝つため、生きるために当時の日本は戦争に向かっていたけれども、そこには人の暮らしは絶対にあったわけですよね。人を殺したい人なんていたんでしょうか? もっと純粋に「家族に会いたい」とか「お腹すいた」って思っていた気がするんです。

    悲惨なだけじゃない、庶民の知恵もあったはず。そしてごはんを食べながら、笑うことも泣くこともあったと思うんです。

    ――おいしそうなごはんも出てきますよね。

    そうですね。良くも悪くも戦争を通して、生まれたごはんも多いんですよ。例えば、今の握り寿司の形は戦後直後に生まれました。

    戦前は、寿司っておにぎりくらいの大きさだったみたいで、浮世絵であるんですよ。それで一貫しか出てこない。

    でも、戦後すぐに外食産業を政府が規制し始めて、なんとか編み出されたのが現在の形と言われています。餃子に黒糖焼酎、肉じゃが……これらも戦争がきっかけで生まれたそうです。今と地続きなことってたくさんあるんですよ。

    ――今、描いてみたい題材ってありますか?

    ワインの話を描きたいですね。実は、戦時中に日本軍の命令のもと、とある酒造がワインを作っていたんです。なぜ、戦争中にワインを作っていたんだと思いますか?

    兵器になっていたんです。ワインを醸造する際にできる結晶体が艦艇に使われていたんです。飲むためではなくて、軍事産業の一環として作られていた。それが明らかになったのが2014年。ずっと隠されていたんです。

    その酒造の方は葛藤がいっぱいあったんだろうなぁって思うんです。なぜかというと、終戦と同時に軍事用のワイン工場を潰してしまったそうなので。それに隠されていたということをふまえると胸がつまる。

    今では、その酒造で作られたワインが賞をとっているんですよ。美味しいって。

    この実話を元にフィクションを描くことはすぐにできるんでしょうけれど、意味がない。ちゃんと話を聞いて、ご本人を登場人物として描きたい。そうなるとなかなか難しいのですが……でも一番描いてみたい題材です。

    ――ご両親は戦争を体験しているのでしょうか?

    していますね。父は、原爆を見てるんですよ。広島から3kmくらい離れている場所に住んでいて、空がピカって光ったのを見たという話を聞いたことはあります。小学校6年生くらいの時の話です。

    列車に積まれた人々……生きているのかケガをしているのかわからない。そういうショッキングなものを見たそうです。でも、生活の話とか、ましてやごはんの話はしてきませんでした。

    思い出したくないことを、伝える

    戦争めしを描くにあたって、地元で戦争を体験した方の話を聞くこともあるんです。居酒屋の店主とかに。戦争を目の当たりにした方にとって、それは思い出したくないことなのかもしれません。

    「家族にも話せなかった」という声はよく聞きます。でも、最初に話した絵を描いた老人のように、「最期に伝えなくては」と思う人もいるはずです。

    当時の人にとっては、あまりに日常的で地味なことかもしれない。人が死んでいく中で、たくましく生きた庶民の暮らしがそこにはある。今、普通に食べているようなごはんは、そんな生活の知恵と結びついているんだな……と思っていただければ。

    BuzzfeedのFacebookページもよろしくお願いします。