「彼女の作り方を忘れた」アラサー男子は、どうすればいい?――AV界の巨匠に聞く

    草食系男子が生まれてまもなく10年

    若者の恋愛離れ――そんな話は聞き飽きた。20〜30代男性の恋愛意欲は90年代後半から下がりっぱなしだ。

    いったい何が男性から恋愛を奪い取ってきたのか。

    AV監督の巨匠であり、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』や「すべてはモテるためである」、5月12日には、湯山玲子さんとの共著「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」の発売を控える二村ヒトシ監督に話を聞いた。


    Facebookを開くと、かつての仲間の結婚報告が並び、週末は披露宴に駆り出される。「結婚っていいよなあ」そんなことを考えつつも、自分は数年恋愛をしていない。したいとさえ思わなかった。

    きっとそんな男子たちは少なくないはずだ。

    心のどこかで「空から美少女が降ってくる」と思っている男子たち

    ――最近、アラサーの男性から「彼女がほしいのに女性は面倒」という話を聞くのですが、なぜこういうことが起きるんでしょうか。

    一般論として、男性の方がのんきだからでしょうね。女性は、出産のリミット等の問題もあるから恋愛や結婚に対して焦ってしまう人が多い。ところが大多数の男性は「お金と仕事さえあれば、自分はいつか結婚できるだろう」と無根拠に思っている。だから切実に考えない。

    あと、『天空の城ラピュタ』じゃないけど、空から美少女が降ってきたら自分はピュアな恋愛を思い出せると信じているパターンも多い。夢見がちなんです。

    今の結婚って恋愛結婚が主でしょう? でもロマンチックラブ幻想や恋愛至上主義というのは、近代になってから人為的に発明されたものです。かつては「お見合い結婚」というシステムによって、非モテの男子にも、女性が一夫一婦制で配給されていた。その後、世の中の景気が良くなると、わりと誰でも「恋をして結婚して家庭を作って幸せになる」っていうテンプレートをこなせる時代になった。

    ところが現在は社会がさらに変化して、それが崩れてきている。「男は、運命の相手である美少女が降ってきたら頑張る。それまでは頑張らなくていい。ていうか頑張れない」という風潮が生まれてしまった。

    ――でも現実には、美少女は降ってきませんよね。

    そうなんですよ。男は結婚に対してうかうかして、夢を見ているんだけど、理想の女性が突然現れて恋におちることは、現実にはなかなか起こらない。それなのに妄想上の美少女と、目の前の現実の女性とを比べて、いつまでも決められなくて、ぐずぐずしている。

    しかし結婚が遅くなるにつれて、つらい思いをするのは、実は男性の方です

    ――どうしてですか? 年齢のリミットがあると言われるのは、女性の方だと思うのですが……。

    男性の方が、生命力が弱いですから。年を取って体力が無くなって、子どももいなくて一人で死んでいく中で、孤独が苦しいのは男性的な男です。

    女性的な感性はコミュニケーション能力であり、仲間や居場所を作ることに長けている。しかも最近の女性は経済力もある人が増えてきていて、結婚できなくても最終的には友人関係のネットワークで楽しく快適に生きられる。

    女性数人で疑似家族を作って、仕事による収入と家事を分担しながら、メンバーの誰かが産んだ子どもをみんなで育てて暮らすライフスタイルだって、選択肢になり得る。「シングルマザーが苦しくなる」状況を作りだしているのは男性中心社会です。今はまだ社会の偏見があって難しいかもしれないけれど、10年後はわからない。むしろそっちの方が楽しそうだと思いませんか?

    アダルトビデオが、男子の教科書にならなくなった

    ――男子は、女子たちの戯れを甘くみてないで、実在する伴侶をさっさと見つけた方がよさそうですね。

    ところが現実の女性は、「空から降ってくる美少女」のように完璧に美しいわけではないし、生理中はセックスさせてくれないし、ケンカにもなるし、男にとってはいろいろと面倒くさい存在なわけです。

    あと、これは僕も制作している立場で恐縮なんですけど……、最近のアダルトビデオが男性のための「性の教科書」になっていないんです。

    ――どういうことですか?

    昔は「可愛いけれどエッチに積極的ではない女優さんを、長い時間をかけて男優も苦労をして、エクスタシーの境地へ誘う」みたいなドキュメンタリーものがあった。でも今はそういうAVに需要がない。

    大勢での乱交とか、ものすごいピストンをニコニコ笑いながら受け止める、激しくて雑なセックスでもイキまくる……みたいな、現実ではありえないシチュエーションばかり。人気の女優さんはプロ意識が高いですから、台本に書かれた男の幻想を完璧に演じきろうとして、表情とか声色を要望に合わせて表現する。

    見ている男性はセックスに対して、コミュニケーションとして非常に単純な「このスイッチを押せば女はこういう反応をする」と刷り込まれてしまうわけです。もちろんセックスは過激なプレイがいろいろあるんですけれど、実際にそれを喜ぶ女性は少ない。男の子たちがオナニーに使っているAVが、現実のセックスの教科書にならなくなっている。

    だから僕は、年上の女性たちが男の子に現実のセックスを教えていくといいのでは、と思っているんです。

    同い年や年下の女の子から教えてもらうのは、男のプライドが邪魔すると思うんですよね。そこは本人たちに聞いてみないとわからないけれど……。でも大事なのは、生身の女性が教えてあげること。男の子からも、もっと「教育をお願いします」という姿勢を持った方がいいとも思います。女性たちも暇じゃないですからね。

    恋愛に踏み出せない男子はどうすべき?

    ――草食化という言葉が生まれてまもなく10年が経とうとしています。現状はどうなっているのでしょうか。

    僕は社会学者ではないのでデータをとったわけじゃないですが、印象としては二極化が進んでいると感じますね、ヤリチンとヤラない男子に。ヤリチンの方が偉いと言いたいわけでは全然ありませんが。

    ーーその違いはどうして生まれるんでしょうか?

    完全なる童貞も増えてはいますが、大多数は最初に触れた「恋愛のやりかたを忘れてしまった」男子。つまり男性が結婚適齢期になってから、女性に対して踏みこむことをためらっている

    これの根っこには、男の罪悪感があるんじゃないかと僕は思うんですよ。セックスはしたいけど、関係性の約束はしたくない。一回セックスして気持ちが冷めて、それで相手が傷ついたら自分もイヤな気持ちがするじゃないですか。だから関係を深めずに逃げちゃう。これがヤリ捨ての動機だと思うんですけれど。一回セックスして罪悪感を覚えるくらいだったら、めんどくさいから最初から手を出さないというケースもある。

    そして、いつか美少女が降ってくるかもしれないという希望も捨てきれないから、うかつな恋愛をしたら負けだって感覚もあるのかもしれません。

    ――この意見って、あくまで男性が「選ぶ」立場のものですよね。もっと、弱腰になっていることはないんでしょうか? 例えば、女性が怖いとか。

    ありますね。女性から否定されるのが怖い。それへの対処は、自分が傷つくことに耐えていくしかないと思っています。

    ヤリチンやナンパ師になれるマニュアルというのは、いろいろなテクニックを教授してるような体裁ですが、じつは心を麻痺させて「女から否定されても傷つかない、機械のようなヤリチン」を養成するメソッドなんです。それだと結局、当の男性も幸せにはならない。

    自己肯定感が低すぎることが問題なんですよ。でも、そんな男性でも仕事をしたりセックスできたりすることでインチキな自己肯定感を持てるから、傷つくことを先送りにできてしまう。そして非モテの男性たちには、そもそもインチキ自己肯定感を与えてくれるセックスをできる場所すらない……。

    だから僕は「やっぱり男のパートナーが欲しい」という女性には、煮え切らないイケメンに惑わされていないで、非モテの男性の中から性格の良い人をピックアップして、自分に惚れさせて、彼の外見やコミュニケーションスキルを磨いてあげるという戦略をお勧めしますけどね。

    かつてリア充だった中途半端な男性たちは、傷つくことを覚えた方がいいですよ。女性だって賢いし、自立しているので、いちいち都合よく動いてはくれません。

    アラサー男子の恋愛を妨げている犯人

    ーー男性は真の自己肯定感をどうやったら身につけられるんですか?

    自己肯定感の大部分は幼少期に、肉親との関係で芽生えるものです。大人になってからだと、自分の心に欠けているものを見つめ直して、そういう自分を受け入れるしかない。それを長い時間かけて行なうのが恋愛や結婚生活だと思うんですけどね。でも、今はそもそもそれを始められない人が増えてる。

    だから仕事を頑張りすぎたり、それで心を壊したり、自己啓発や宗教にいく。それをきっかけに自分と向かい合えればいいのかもしれないけど、心のドーピングみたいになって後でガックリくる場合もあります。

    でもね、自己肯定感が強すぎる人って本人は幸せでも周囲には迷惑だったりもしますから。さっき「自分を受け入れる」っていいましたが、平凡な男女に必要なのは「自己受容感」なんじゃないかとも思うんですよ。自分はこういう人間なんだからと、いい意味で「あきらめる」。

    あきらめるのは悪いことじゃないんですよ。もともと「あきらめる」には「自分を明らかにする」という意味があると思うんです。自分に必要ないものまで欲しがっていないか? 自分をあきらめられていない人は、自分を苦しめるものまで欲しがってしまうでしょう? それよりも、目の前にいる人を大事にした方がいい。大人になろうよ、ということです。