BuzzFeed Newsによるライムスター宇多丸インタビュー第2弾のテーマは「映画」。(第1弾はこちら)
映画コメンテーターとしても活躍する宇多丸だが、その名を一躍高めたのは「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(TBSラジオ、毎週土曜22時〜24時)での映画評論コーナーだ。
10年間での日本映画の変化から、若いユーザーへの思い、さらに“身内”に甘いとの自身への批判についても語った。
——タマフル最大の人気コーナーといえば、映画評論コーナー「週間映画時報 ムービーウォッチメン」(旧ザ・シネマハスラー)です。この10年間での変化はありますか。
僕側の変化というより、日本映画の大作で、僕が辛辣に評するような作品は、確実に減っていますよね。
現に、興行収入1位でなおかつ超クソ!みたいな作品が、今はもう、あんまりないんですよ。そういうものが作られなくなったし、作ったとしても前のようにはヒットしない。
たぶん邦画のレベルが上がっているというのもあるし...今は観客がネットとかで事前に情報を仕入れて行くようになった。
前は、やれ「少林少女」が1位とか聞くと、「お前ら、ちょっとは評判とか調べねぇの?」とか思っていたけど、逆に今は、みんなちょっと見る前に人の評価を気にしすぎじゃないの?っていう気もする。
まぁ、SNSの浸透とシンクロした傾向なんでしょうが。
——映画評に対する変化もありますか。
もともと、どの作品もハナからけなす気で見てたわけじゃないのに、最初から「当たり屋」的なスタンスを期待されるのって、なんかつまんねえな、と思い始めたところはありますよね。
「けなすのがガチな批評」だと本気で思ってるフシがある人もけっこう多くて困るんだけど。でもまぁ、それも熱量の問題ですよ。
前であれば、こういう作品が興行収入1位になって、たまにしか映画館に行かないような人が「映画ってこんなもんか」とタカをくくってしまうのが許せない!っていうような、はっきりしたモチベーションがあったから。そういう熱がある回は、やっぱり面白いんだけど。
——批判を期待されてましたが、内容を評価し評判となったものにSMAP中居正広主演の「私は貝になりたい」の評論があります。
あれは実際いい作品でしたからね。ただ、丸褒めもしていないはずだから。
以前のバージョンと比べ、ここは改悪だろうというところは指摘している。自分で言うのもあれですが、フェアな批評だったと思います。
——フェアであることは気をつけている。
まあね。でも一人の人間がやることだから。ここを勘違いしている人が増えてるみたいでホントに嫌なんだけど、ある映画に「一つの正解の見方」があるわけじゃない。
批評にフェアネスを保つにしても、もちろんそれが唯一の正解じゃない。あくまでその人なりの筋があるというだけで。
しかも、こんだけ回数をやっていますから、「ああ、あの回はもうちょっとやりようはあったかな」ということはもちろんあります。反省は常にしている。
■良い映画を見ることだけが正解なのか
——ただ、宇多丸さんの影響力も10年間で強くなっている。
いやぁ、どうですかね。ちっちゃい映画なら関係あると思いますけど、とはいえ全国のシネコンにかかっている大作映画に行く人の大半は、僕の言うことなんて知ったこっちゃないだろうし、映画評論全般関係ないでしょ。
むしろ、Yahoo!の星取りとか見て行くんでしょ? あんなの絶対よくないと思うけど。
基準がバラバラで不明な点数の、しかも平均値。そんなの、実は一番当てにならない数字じゃないのかな。
——宇多丸さんが褒めているものなら行く、逆に乗り気じゃなきゃやめとこうというリスナーは確実にいると思うんですけど、その辺はどうですか。
これも勘違いされると困るんだけれど、仮に映画評でけなしていても、「その映画を見たこと自体」はよかったんですよ。どの作品も見てよかった。
だから、ある作品を僕がけなしてるから見ない、という人がいるとしたら、少なくとも僕とは映画の楽しみ方がまったく違いますよね。いいとされているものだけを見に行く。でも、そもそも「いい」って何?
映画「ハードコア」評でも言いましたけど、見ればいろんなことを考える。ダメだったらなんでダメだったか考えるし。で、それは「面白い」じゃん。
「パッセンジャー」もそうですけど。あの話の展開に納得できない人はそりゃいるでしょう。僕自身も納得できない部分ありますけど。
でも、間違いなくいろんなことを考えさせられるし、誰かと行けば確実に話は盛り上がる。それは「面白い」じゃん。見たほうがいいじゃん。
いわゆるクソ映画だって、「あれホント、クソだったね!」って、何年楽しんでると思うのって(笑)。
だから、なんていうのかな、「良いとされていることだけ選んで体験する」って、体験としてめちゃくちゃ貧しくないかな、と思うんですよね。
「ムービーウォッチメン」が、なんでガチャを回して映画を選んでいるかというと、そういう事前の決めつけにできるだけ縛られないようにする、という面もあって。
自分の好みだけで選んでたら、絶対見ていなかったような映画に行く。そうすると、やっぱり思わぬ収穫があったりするわけだから。
——「ムービーウォッチメン」では親しい人の評価が甘いという声もあります。
そういう意見はよく目にするけど、「僕と親しい人」っていうフィルターで目が曇ってるのはそっちじゃないの、と言いたいですけどね。
そもそも順番が逆なんですよ。例えば細田守さんのことは、直接お会いする前の2001年くらいからずっと、すごい才能だ!って騒いでいたんだから。
つまり、知り合いであろうとなかろうと、もともと高く評価している、贔屓の作り手のひとりだったんですよ。それを言ったら、会ったこともないし会う予定もないけど、M・ナイト・シャマランの評価だって僕は甘いよ(笑)。
嫌味たらしくいうなら、みなさんさぞかし実生活で、その手のしがらみの中で生きているんでしょうねぇ、と。
友達だからほめなければいけないって、自分がそういう理屈の中で生きているから、あいつもきっと同じような行動原理で動いているに違いない、と考えてしまうんじゃないの?
ま、これはただの嫌味ですけど。
それに、例えば細田作品でも「バケモノの子」の評は、けっこう厳しいことも言ってると思いますけどね。
あるいは、入江悠作品だって「SRサイタマノラッパー2」には、途中のフリースタイルシーンが音楽的に成り立っていない。この映画には致命傷だとかって指摘してる。
でも、そのへんを「3」でしっかりブラッシュアップしてくるのがまた、さすがなんだけど…やっぱり、もともと高く評価してきたような人は、それなりのものを毎回ちゃんと作ってくるものですから。
こちらもそれにできるだけ正しく応えようというのは、「甘い」とは全然違うと思います。
■「使えるメディアは全部使うってほうがヒップホップ」
——社内のヒップホップ好きから、宇多丸さんには、ラジオパーソナリティーではなく、ヒップホップに専念してほしいという声がありました。
そういう人はたぶん、ヒップホップアーティストとしての僕がやってきたこと、やってること、考え方とかも、実はよく知らないしわかってないんじゃないかなぁ…。
例えば、いまラジオでやったり言ったりしてることって、ほとんど「B-BOYイズム」や「ブラスト公論」(雑誌『ブラスト』に掲載されていた連載)の放送版って感じだと思うし。
振り返ると、むしろむちゃくちゃ一貫してると思いますよ、僕のキャリアとか、ヒップホップ観って。で、むかーしからそんなようなこともよく言われてきたし。「ラッパーらしくない」みたいなお叱り(笑)。
ただ、そのくせ同じ口で「自分らしくいろ」とかも言うんだよね。どっちなんだよ(笑)
あと「日本人は専門職が好き」問題もある。封建社会の名残りなのか(笑)、専門性というか、肩書にこだわるんだよな。どうでもいいと思うんだけどなぁ、そんなこと。
やれることは全部やる、使えるメディアは全部使うってほうがヒップホップだろ、とも思うし。
間違いないのは、そういうこと言う人に限って、最近のライムスターの活動とかはまったくチェックしてなかったりするんですよ。
前より全然、ペースもクオリティも上がってるっつーの!
むしろラジオをやったことで、自分のラッパー活動へのフィードバックも大きかったし、ヒップホップリスナーの開拓という意味でも、そのへんの「専業」ラッパーよりはるかに貢献してると思いますけどね。
——お話にあったラジオをやったことでの音楽活動への好影響とはどこでしょう。
お話作りの基礎中の基礎ですけど、いわゆる3幕構成。これを24小節の歌詞に置き換えてみたら、どこからどこまでの小節で何を言うべきか、何を伝えればいいかが、よりロジカルに見えてきました。
それまで無意識的にやっていた構成に自覚的になることで、伝える力は確実に高まったと思います。
もちろん、より直接的に、テーマ的に刺激を受けるということもある。
「ONCE AGAIN」(2009年発売のシングル)は、ライムスター復活後の新しい代表曲になったし、自分でも完成度が高い曲だと思うんだけど、あれはどう考えても「SRサイタマノラッパー」を見た影響が大きいですよね。
「ONCE AGAIN」のPV
あの映画は、特に終わり方がすごく好きで。「ハスラー2」もそうなんだけど、一度は一線を退いたある男が、カムバックするのか?という、その瞬間にスパンと終わる。
その後に何がどうなるのかが描かれないのが不満だ、っていうような感想もよく聞くんだけど、僕に言わせれば、一番感動的なのはやっぱり、いったんは地に落ちた男がもう一度立ち上がるという、その「瞬間」なんですよ。
「ロッキー」だって、勝つか負けるかはどうでもいいわけ。人生に敗北し、腐りきってた人間が、リングにもう一度立つ。あるいは、最後まで立ち続けようとする。そこが大事なわけじゃん。
だから、その「瞬間」を曲にしたらいいんじゃないかって。自分たちライムスターが、いままさにそういうタイミングを迎えつつもあるわけだし…という発想で、あの曲を作り始めたから。
「ONCE AGAIN」に限らず、ヘビーリスナーが聴けば、この時期ラジオでこの映画評をやっていたでしょうとか丸わかりな曲、けっこう多いはずですよ。その時期はホントにその映画のことばかり考えているから。
K DUB SHINEとの「物騒な発想(まだ斬る)」の歌詞に、キム・ギドクの「嘆きのピエタ」が唐突に出てきたりね(笑)。
■若い人の映画を発見するきっかけに
——映画評を10年続けて、成長した部分はどこでしょう。
初期よりは間違いなく、もろもろ丁寧になってますよね。始めたころはホント、乱暴すぎ(笑)。
ただ一時期、丁寧を心がけすぎたのか、前情報が長すぎるという声が多くなってきたので、話すことの順番、それこそ構成に関しては、先に大きな結論を言ってしまうとか、工夫してできる限り聴きやすくはしようとしてますけど。
でも、一番大事なのは、やっぱり熱量。
僕が前情報を長めに語りたい、それが絶対にこの作品評には必要なんだと思っているんだったら、そのときはそうすればいい。聴きやすさよりも、最終的にはそっちのほうが大事だと思ってます。
——「ムービーウォッチメン」ではDVDなどの資料を海外からも取り寄せている。
海外だと1週間じゃ間に合わないので、公開のはるか前から、当たった場合に備えて要りそうな資料だけ先に注文しておいたりもたまにあります。
でも、そういうときに限って、ガチャがなかなか当たらなかったりするんだよな〜!
バス・ラーマン監督版の「華麗なるギャツビー」なんて完全に迎撃態勢で、いろんなバージョンの訳で原作も読んで、これまでの映像化バージョンも全部押さえ、もちろんバズ・ラーマンの過去作もひと通り見直して、「いつでも来いや」と思ってたんだけど、これが何週かけても当たらない、当たらない(笑)。
ぜんぜんガチャが出てくれないんですよ。そういうこともあります。
——映画を観る時間も大変だと思いますし、準備にも時間かけています。「ムービーウォッチメン」について、きついな、やめたいなと思ったことはありますか。
正月に1週お休みとかになると、やったー!と思うこともなくはないですけど、ただ、一旦この集中度で映画を見て、考えて、吐き出して、というのが習慣化すると、やっぱり、何の目的もなく映画を見て面白かった、というのとは、体験としての濃さに差がありすぎて。
この番組で扱った映画はどれも、出来不出来関係なく、細部まで覚えているし、逆にいくら「いい」映画を見ても、番組で扱っていないと「よかった…と、感じたという記憶がある」っていうくらい、薄くなっちゃうんですよね、僕にとっては。
後から評判がよかった映画とかを見ても、なんかね。あんまり覚えてないんですよ。
番組で取り上げた映画は、1週間同棲していた相手、みたいなもんですから。
——番組全体についてですが、どの年代の人に届けたいというのはありますか。
実際にリスナーで一番多いのは、僕と同世代の40~50歳の男性が圧倒的。ただ、割合としては多くなくていいから、若い人には届けたいですよね、やっぱり。
10代のころの僕がそうであったように、他の同世代とは違うところにアンテナを張ってるような、それこそ年上に囲まれて背伸びしながらなにかを吸収しようとしてるような、そういう子が、「タマフル」聞いています!って感じだと一番嬉しいですよね。多数派ではないほうがむしろ頼もしいです。
「ム—ビーウォッチメン」で過去作のオマージュとか関連作の話をいっぱいするのも、そういう子たちに、さかのぼっていろいろ学ぶためのドアをいっぱい用意したい、というのがひとつあって。
勉強熱心な子ならがんがんそこから辿っていって、すぐに僕より詳しくなってしまったりとか。そういう種まきができれば本望ですね。
4月22日放送の「タマフル」はスペシャルウィーク。サタデーナイト・ラボでは「リスナーがすすってきた泥水特集 feat.サイプレス上野」、「ムービーウォッチメン」はアカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」を批評する。