成田空港はこうして生まれた。当時のようすがわかる11枚の写真

    地元住民らが反対運動を起こし、死者も出た。

    1978年5月20日。今から39年前の今日、千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田空港)が開港した。

    1966年7月に千葉県三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港だった。地元住民による反対運動が起こり、死者も出た。当時のようすを写真で振り返る。

    空港反対同盟の老人行動隊が、大橋武夫運輸相に新東京国際空港の建設撤回を求める。

    婦人部隊。もんぺ姿に鉢巻き、地下足で抗議デモをする。

    角材を振り回し、警官隊に対抗する学生団体。

    成田市役所前。バリケード突入を図る学生には、催涙ガス液の放水が浴びせられた。

    集会で演説する秋山勝行三派全学連委員長。

    ショベルカーが反対派の団結小屋の撤去にあたる。

    公団職員らの立ち入り調査を見守る地元農家の女性たち。開港5年前のこと。

    開港1年前。過激派学生が空港公団に乱入した。割られた窓ガラスからは「中核」の旗がみえる。

    開港2カ月前。成田空港管制塔襲撃事件が起こった。管制室に乱入し占拠する過激派と屋上に避難した管制官。

    1978年5月20日。成田空港ターミナルビルの北ウイングで開港式典があった。式典は機動隊の戒厳の中で始まった。

    その後も抗議は続いたが、徐々に反対派の影もなくなっていく。1990年には空港反対同盟北原派の団結小屋「木の根育苗ハウス」が撤去された。

    開港20周年。空港利用者に記念品を配るエアポートプリンセス。

    ときは経ち2017年。成田空港では第3滑走路の建設が予定されている。

    第3滑走路の建設には、三里塚芝山連合空港反対同盟らが反対している。