【衆院選】「スマホを買えない」は貧困ですか? 湯浅誠さんが問いかけること

    元内閣府参与、政府の「中の人」だった湯浅誠さんは政治家に「なんとかしてくれ」とは思わないという。何を大事に考えて、投票しようとしているのか?

    選挙の争点は誰が決めるもの?それは総理大臣でも、政治家でも、メディアでもなく、自分で勝手に決めていいものだ。

    そんなわけで、聞いてみた。

    なにを大事にして、投票しますか?

    「貧困」?そんなものはないと言われ続けてきた

    《私が関心を持っているのは、貧困問題ですね。相対的貧困という考え方を日本社会に導入・定着させたいんです。

    貧困も最初は「そんなものはない」と言われてきました。でも、ずっと実態を示し続けてきたら「ある」という風に変わってきた。》 

    こう語るのは、法政大学教授の湯浅誠さんだ。「相対的貧困」とは何か、というのはあとで語るとして、まずは湯浅さんの紹介を。

    名刺にあるもう一つの肩書きは「社会活動家」である。

    10年ほど前から派遣社員切り問題で注目を集め、各種メディアで貧困問題の発信を続けてきた。

    現場での活動が評価され、民主党政権時代に内閣府参与として、政策決定の現場に関わった。行政と社会運動、両方の現場を深く知る人だ。

    あなたのイメージは?

    話を本題に戻す。

    湯浅さんが社会に定着させたい、という「相対的貧困」を簡単にまとめると、こういう考え方だ。

    お金を持っている人と、持っていない人を上から順番に並べて、ちょうど真ん中を決める。真ん中の人のさらに半分未満の所得しかない人たちを「相対的貧困」であると定義する。

    日本の子どもの7人に1人(2015年時点で13・9%)は、この意味での「貧困」状態にある。

    さて、それだけ聞いて、相対的貧困をイメージできるだろうか?

    湯浅さんはこんなことを言った。

    実感を持っている人は多くない

    《貧困と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?

    おそらく多くの人にとって「貧困」というのは、こんなイメージだと思うんです。

    米びつにお米がなかった、戦後は貧しくて芋のツルを食べた、難民キャンプやストリートチルドレンとか……。

    昔はひどかったんだ、というときの「昔」や「遠い国」のイメージなんです。

    つまり、絶対的貧困のイメージなんですよね。

    衣食住にも事欠いて、明日の命もどうなるかわからない。そうじゃないと、貧困とは言えないと思っている人が多い。

    子どもの貧困が7人に1人って言われても、実感を伴っている人はあまり多くないんですよ。》

    修学旅行にいけない、スマホを買えないは貧困?

    えっと驚くと、湯浅さんはさらに事例を出した。

    《私は講演会で必ず聞くんです。

    「子どもの貧困は7人に1人、データはそうだけど実感レベルではどうですか?」って。

    「そのくらいいる」はチョキ。

    「そんなにいないだろう」はグー。

    「もっといるはずだ」はパー。

    一斉にあげてもらうんです。グーが5割切ることはまずないですよ。子どもの貧困に関心を持っている人でそんなものです。

    田舎の人は都会の子どもにいると思っていて、都会の人は田舎は大変だろうって思っている。

    みんな自分の周りでは実感できない。これも貧困のイメージの問題だと思うんですよ。

    例えば、お金が積み立てられず修学旅行に行けないとか、スマホを買えないといった状態はどうでしょう?

    かわいそうだなと感じる人は少なくないでしょうが、それが「貧困」という言葉とは結びつかない。

    「貧困か」と聞けば、それで死ぬわけじゃないから貧困とは言えない、と感じてしまう。

    貧困=絶対的貧困というイメージが強ければ、そう感じるのは無理もない。ふつうのことなんです。

    だから、「相対的貧困」という考え方を定着させないと、ここは乗り越えられない。

    飢えなくても、子どもの人生にとってマイナスの影響を与える事態はある。

    飢えなくても、それも問題だ。飢えなくても、それも貧困だ、と心の底から納得できる人を増やしたいんです。》

    「貧困」を報じて、炎上する社会

    思い当たる事例がある。湯浅さんも新刊『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書)でも取り上げている、インターネット上で大炎上したニュースだ。

    こんな事例だ。

    ある女子高生が子どもの貧困について、当事者として発言した。まとまった学費が工面できず専門学校に進学をあきらめ、家にはクーラーもない。

    パソコンの授業でついていけなくなったとき、母は「1000円のキーボード」を買い与えた。パソコンは買えない分、せめて……というものだった。

    NHKが彼女をニュースで取り上げた。

    彼女のようにまとまった進学資金を確保できない人こそ典型的な「相対的貧困」といえるのだが、しかし、彼女は炎上する。

    ツイッターを特定され、好きな映画を何回も見ていること、コンサートのチケットを買ったことなどが指摘された。

    ネット上では、1000円のキーボードしか買えないはずではないのか、これは「貧困」ではない、映画や漫画に使うお金を進学のための貯蓄にまわせばいいではないか、貧困を捏造しているーーといった反応があがった。

    極端なケースで訴えた弊害

    《今までの貧困の訴えかたを反省しないといけない、と痛感しました。

    「現代の貧困は自己責任である」と反論されないために、誰がみてもわかる貧困の事例を大きく取り上げてきました。

    メディアでもそうだったでしょう。

    例えば「食べ物もなく、ティッシュなめたら甘いと言った」といった極限状態のなかの極限状態にいる子どもが取り上げられてきました。

    それ自体は大事だったのですが、結果的に彼女のような相対的貧困が見えにくくなってしまったのではないかと反省しています。

    衣食住に困らなくても、周囲との開きすぎた格差は問題なんです。

    適度な格差は問題ない。でも、行きすぎた格差は子どもの意欲に影響を与えます。

    「あっていい格差」と「行きすぎた格差」の境目が相対的貧困ラインです。

    これを放置すると、将来を諦める、努力してもしょうがないという子どもたちが増えていきます。》

    この社会でイノベーションは生まれるか?

    《こうした子どもたちが放置される社会では活力が生まれません。

    どんな逆境をもはね返して成功するすごい人は、どんな時代にもいますが、世の中を支えているのは、そんなスーパーマンではなく、ふつうの人たちです。

    ふつうの人たちに不安とあきらめが蔓延する社会からイノベーションは生まれませんし、そんな社会は経済的に停滞します。

    だから、OECD(経済協力開発機構)という、先進国の経済発展を促進することを第一の使命とする国際機関が、各国の相対的貧困率のとりまとめをやっているのです。

    国連の人権理事会ではありません。子どもの貧困はこれからの日本経済の問題でもある、と思うのです。》

    政府の中で思う。「政治は国民の鏡」

    湯浅さんは、政治も相対的貧困率をどの程度下げるのか、といった数値目標の導入が必要だと考えている。

    しかし、政治家にばかり解決を求めることはしないという。

    どこが政権をとっても、すぐには解決しない

    《内閣府参与、つまり政府の中に入ってみて思ったのは、「政治は国民の鏡だ」ということです。

    私は政府に行く前は「現場のNPOでもできることがなんでできないんだよ」とか「税金を組み替えたらうまくいくだろ」と思っていました。

    でも、実際は税金を使って何かをやるということはとても大変で、新しい事業を始めるには、方々を説得しないといけない。

    厚労省を説得したら、次は地域の首長を説得し、彼らの意見も聞いていく。

    一気に解決するなんてできなくて、それぞれに事情があるから、時間をかけないといけない。

    子どもの貧困問題について言えば、どの政党が政権をとったところで解決には時間がかかるんです。議員の意識だって、すぐには変わりません。》

    政治家に「なんとかしてくれ」という気持ちはあまりない

    《結局、相対的貧困が問題だと人々が思うようにならないと、政治は変わっていかないんですね。

    だから、政治家に「なんとかしてくれ」という気持ちはあまりなく、自分たちで「なんとかする」と考えることが大事だと思っています。》

    国の仕事を離れた湯浅さんは、各地域で進められている子どもの貧困を解決しようとする取り組みや、企業の実践をインターネット上で紹介する活動にシフトしている。

    地に足をつけた取り組みだ。それは、一気に社会を変えるといった勇ましさや勢いとは無縁の地味な取り組みにもみえる。

    一気に社会は変えられない。だから、地道に積み上げる

    《振り返ると、今までもそうでしたからね。

    一気にドーンと社会を変えることなんてできなくて、貧困だって「無い」という人ばかりだったのが、地道に訴えていたら、3年なり5年かけて「ある」に変わっていった。

    大事なのは、こちらの考えを相手に届けることです。

    「昔のほうが貧困は大変だったんだ」と言われたら、前は「いやいや、そんなことはないです」って反論していたんですけど、もうやめました。

    「おっしゃる通りです!そうですよね。昔は大変でしたよねぇ」と全力で肯定する。

    そうすると、相手に気持ちの余裕が生まれます。そこから話を進めていけば、ちゃんと話ができる。

    結局はそうやって、地道に取り組むしかないと思うんです。》

    ヒーローは待っていてもやってこない。だったら……

    新刊のあとがきで、湯浅さんは人はそれぞれ、同じものをみているようで違う景色をみているという話を書いている。

    「私から見える景色を『あんたも見ろ』と言うのではなく、その人の景色を一緒に眺めながら『また別の景色もあるんですよ』と言ってみる」

    全員一致の合意形成はできない。

    しかし、貧困対策を進めたい側が、そうでない人たちを反対に追い込むようなことをしたら、物事は進まなくなる。

    湯浅さんはこう語る。

    《すべてを一気に解決、改革できるヒーローはいないし、待っていてもやってこないんです。

    過度な期待をした結果、裏切られたような気持になることを繰り返して一生を終えるのは、私は嫌です。

    だったら、少しでも社会を変えていくために、できることをやろうと思っています。》

    問題を解決するために、政治任せではなく、地道に事実と言葉を積み上げて、少しずつでも社会に訴えていく。

    当たり前のことに時間をかけていく。そんな宣言である。