【都知事選】政策よりもイメージ戦略 50年前に確立されていた勝利の鉄則

    政党と組織を消して、無党派を取り込め

    政策が語られないのは、今の時代だけ?

    7月31日投開票の東京都知事選。野党統一候補の鳥越俊太郎さんに、自公推薦の増田寛也さん、自民党議員ながら分裂選挙で改革を演出する小池百合子さん…。

    役者は揃っているのに、なにか物足りない。具体的な政策論争は少なく、候補者が応援者が演説で語るのは、人柄やイメージ、対立候補の批判が多い。

    「政策論争が起きないのは、今回に限ったことではありません。都知事選は、50年前にできた勝利のパターンを繰り返しているのです」と語る専門家がいる。

    いったい、どういうことか。

    歴史から浮かぶ都知事選勝利のポイント

    岡田一郎さん(43歳)、日本政治史を専門とする気鋭の学者だ。岡田さんは近著「革新自治体」(中公新書)の中で、1967年の都知事選を分析している。

    この都知事選では、リベラル系野党統一候補の美濃部亮吉さんが初当選を果たした。都政で自民党から「政権交代」が起きた歴史的な選挙だ。分析して浮かび上がってきた勝因はこうだ。

    • 短期決戦のため知名度が重視されたこと
    • 政党色、組織色を消すこと
    • 無党派を取り込むことが勝利の鍵になること
    • リーダーシップ、クリーンなど特徴的イメージを作ること

    加えて、当選後、長期政権を作るためには、政策実現が大事になる。実現のために欠かせないのが、都議会との駆け引きだ。

    現代に通じる勝利のパターンがそこにあった。

    徹底したイメージ戦略

    美濃部さんといえば、当時の社会党、共産党が推した首長が大都市で勝利した「革新自治体」の象徴的な人物だ。

    公害対策と福祉政策、そして護憲を掲げて、人気を獲得した。一方で、単なるバラマキ政策を推進したという批判も自民党を中心に根強い。

    「うーん、どれも後世の人間が作り上げた『神話』です。そもそも、美濃部さん陣営は徹底したイメージ戦略のもと、選挙戦を戦った最初期の陣営。彼らが重視したのは『脱政党』でした。このイメージが後々、当選の基盤になっていくのです」

    「そもそも、美濃部さん擁立の過程からみていきましょう。彼は、本命ではなく、偶然、決まったような候補者でした」

    都議会のスキャンダル、問われた政治とカネ

    前提として押さえておきたいのは、1964年の東京オリンピック後、自民党都議に続出したスキャンダルだ。

    1965年、都議会議長を巡る汚職事件が明るみにでて、現職都議が相次いで逮捕された。ダーティーなイメージがついた自民党はこの年の都議選で、都議会第1党から転落した。

    かわって第1党に躍進したのは、国政では野党の社会党だった。1967年の都知事選は社会党にしてみたら、絶対に勝ちたい選挙だった。

    ここでのテーマは都政刷新であり、問われていたのは「政治とカネ」であり、結局のところ、クリーンかどうかだった。

    大本命に断られた野党、結果的に浮かんだ美濃部

    「社会党は、当初、テレビ映りも良く、論戦にも強かった現職国会議員の江田三郎さんに打診しました。しかし、大本命だった江田さんは断りました。都知事は自身の政治家キャリアのブランクにしかならないと言ったのです」

    国民にも人気があった江田さんに断られたことで、候補者選定は二転三転する。

    「方々に断れた結果、NHKに出演するなど、タレント学者として知名度が高かった美濃部さんが浮上してきました。出馬を打診すると、美濃部さんが受諾。これに共産党が乗ることも決まり、統一候補が誕生します」

    鍵を握る公明

    一方の自民党は。

    「自民党は実務経験を重視して、東京都の副知事を務めた官僚の鈴木俊一さん(のちに都知事を務めている)の擁立を決めかけますが、知名度不足を理由に断念します」

    「そして、中道政党として一定の存在感があった民社党(いまは解散)とともに、立教大総長の松下正寿さんを推薦するのです。知名度があることに加え、民社党の組織票も期待できるので、有利に戦えると判断したようです」

    「鍵を握っていたのが公明党です。支持母体の創価学会幹部を独自候補として擁立したので、三つ巴の選挙戦になりました。最終的にこれが効いてくる。公明は、結果的に、キャスティングボードを握っていたのです」

    公明党の出方が、鍵になる。これもいまと変わらないところだ。

    徹底して消した政党色

    さて、美濃部陣営の動きに戻ろう。陣営がとったのは、徹底したイメージ戦略だった。

    「当時は新しいメディアとして、テレビの影響力が認識された時代。テレビや写真の写り方や、話し方、ポスターなどイメージを政党も候補者も意識していました」

    陣営を仕切ったのは、当時を代表する大物経済学者、大内兵衛だ。彼が打ち出したキーワードは「政党ではなく、都民党」。

    「ここで大内さんは政党色を徹底して消します。当時、どこまで意識していたかはわかりませんが、政党色が好まれない都市部の選挙を先取りしたと言える。社会党、共産党が前面に出る選挙戦ではなく、かわりに市民を前に押し出す選挙をした」

    「例えば、広く普通の都民に選挙費用のカンパを募るというキャンペーンを張りました。既存政党が相乗りして推している、というイメージではなく、普通の市民に押されているというイメージを作る。さらに市民からカンパを集めることで、お金に対するクリーンさも印象づけることができる」

    有名女優と2ショットポスターも

    「都政の刷新」を訴える美濃部さんにマッチした、新しい選挙戦だったといえるだろう。さらに、タレントも積極的に使っていく。

    「当時の人気女優を担ぎ出して2ショットポスターを作って配布する。公害対策を訴えるため青と白をキーカラーにしたバッジを作って売り出す。合言葉は『東京に青空を』です。ポスターもバッジもかなり人気だったようです」

    結果は……

    戦略が功を奏して、美濃部さんは約220万票を獲得して、当選を果たす。自民が推した松下さんは約206万票、公明の候補は約60万票だった。

    取り込んだ、無党派と中間層

    ここで重要なのは、美濃部さんの支持基盤だ。

    「当時の世論調査を分析した研究によると、共産党や社会党の支持層だけでなく、無党派層を取り込んでいます。汚職などダーティーなイメージがついて回る東京を、『何かを変えてくれそうな気がする』と思った人たちを取り込んだのでしょう。政党色を好まないのは、当時の無党派も同じだという見方もできます」

    「そして大きかったのが、公明が独自候補を擁立したことです。公明が松下さんに乗っていたら、美濃部さんが勝てなかったことは票数からも明らかです」

    「社会党と共産党の支持層をリベラル層と呼ぶとしましょう。これも過去の研究でわかっているのですが、実は、東京で共産党が議席を伸ばしたときは、社会党が減らしている。つまり、リベラル層の中で票を食い合っている関係だったのです」

    「美濃部さんの福祉や公害、護憲という政策について、一定の支持はあったでしょう。しかし、すべてではない。無党派、保守でもリベラルでもない中間層に響くイメージ戦略と公明票の分散によって誕生した。この事実を押さえないといけないのです。逆に言えば、都知事選を勝とうと思うなら、無党派や中間層を押さえないといけない」

    この時も大変だった都議会対策

    岡田さんは、今回選挙の隠れた争点と言える都議会との関係にも言及した。

    「実は、美濃部さんも当選後、都議会との関係に苦しめられました。『社会党や共産党の都議が素直に美濃部都政を支えた』なんて思っている人もいますが、事実ではありません」

    「国政で両党が対立すれば、都議会にもその対立が持ち込まれる。元々は、ライバル政党です。美濃部さんが掲げた政策に対しても、議会対策で協力しないということもあって、彼は『社会党には困っている』と、方々で漏らしています」

    都議会との関係は政治的信条に関わらず、誰であっても大変だったようだ。これも、今と変わっていない。

    政治信条より大事なポイント

    もう一度、4つのポイントを整理しよう。

    • 知名度重視
    • 政党色、組織色は消す
    • 無党派を取り込むこと
    • 特徴的なイメージを作る

    美濃部当選の戦略は、今でも都知事選を語る上で、欠かせないものばかりだ。結局、保守かリベラルかといった、政治信条ではなく、これらの条件を満たしていることが都知事選勝利の条件なのかもしれない。

    政策で決められない理由

    「東京は、当時と比べて無党派も多くなり、組織に縛られない人も増えました。有権者も多様になった。私は、都知事選はアメリカの大統領選に似ていると思っていますが、決定的に違うのは選挙期間が圧倒的に短く、候補者討論の機会も多くないことです」

    「これでは政策で決めようなんて気にはならないでしょう。有権者はイメージで選ばざるを得ない。これが、50年前にできたパターンを反復していることの理由です」

    「政策論争が起きないのは、今回に限ったことではないのです。政治家も有権者も歴史から学ぶこと。そうしないと、この傾向が変わるとは思えません」