【終戦記念日】戦争の記憶を伝える天皇陛下の「おことば」 歴史とどう向き合うか

    「年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」

    「平和」は何によって続いたのか?

    戦後71年目の8月15日。全国戦没者追悼式に天皇陛下が出席した。天皇陛下は、戦争犠牲者への慰霊に力を入れてきた。戦争に関する「おことば」では、戦争を記憶することや、平和への思いを発信している。今年、そして過去の「おことば」をまとめた。

    戦後71年の「おことば」

    国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
    ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

    「深い反省」

    安倍首相は…

    戦後70年には……

    天皇陛下の「おことば」に戻る。戦後70年の節目の式典では、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました」という表現を使っている。これが例年にない特徴だった。

    戦後の平和が何に起因するものなのか。「平和の存続を切望する国民の意識」を強調した「おことば」になっている。

    天皇陛下が考える、どうしても記憶しないといけない4つの日

    皇太子時代の1981年、日本では「どうしても記憶しなければならない四つの日があるとして、終戦記念日(8月15日)・広島原爆の日(8月6日)・長崎原爆の日(8月9日)・沖縄戦終結の日(6月23日)を挙げていた」(河西秀哉「明仁天皇と戦後日本」より、日付は筆者が補った)

    戦後50年、慰霊の旅 広島、長崎、沖縄などを訪問

    そう考えていたからだろうか。戦後50年の節目の年には、各地を訪問し、こう述べている。「希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々が戦争により、また、厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く哀惜の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に銘じ、これからの道を進みたいものと思います」(1995年、記者会見にて)

    戦後60年、「慰霊の旅」は海外にも…

    「先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」

    61年前の今日も、島では壮絶な戦いが続けられていました。食料や水もなく、負傷に対する手当てもない所で戦った人々のことを思うとき、心が痛みます。亡くなった日本人は5万5千人に及び、その中には子供を含む1万2千人の一般の人々がありました。同時に、この戦いにおいて、米軍も3千5百人近くの戦死者を出したこと、また、いたいけな幼児を含む9百人を超える島民が戦闘の犠牲となったことも決して忘れてはならないと思います。

    私どもは10年前、終戦50年に当たり先の大戦で特に大きな災禍を受けた東京、広島、長崎、沖縄の慰霊の施設を巡拝し、戦没者をしのび、尽きることのない悲しみと共に過ごしてきた遺族に思いを致しました。また、その前年には小笠原を訪れ、硫黄島において厳しい戦闘の果てに玉砕した人々をしのびました。
    この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。

    戦後70年 パラオ訪問

    終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

    戦後70年を振り返り、戦争を知らない世代へのメッセージを述べた

    この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

    「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」