地震直後、避難所での厳しい状況 74歳女性のとった行動は

    「あぁ、これではみんなの体力が持たないな」

    大きな地震の直後、避難所に溢れかえる人、物資は乏しく、水や電気が止まった地域もある。あなたなら、どうしますか。熊本市に住む74歳の木下真由美さんがしたことは、家に帰って、ご飯を炊くことでした。

    木下さんは2人暮らし。4人の子供を育て上げ、夫は亡くなり、息子1人と同居している。大事なペットもいる。

    犬のレオと猫のショー

    硬い床、年寄りにはきつい

    最大の揺れがあった16日未明、木下さんは自宅にいた。14日の地震の後は車中泊をしていたが、寂しがりやのレオが心配になり、戻っていた。

    ドーンっと強い揺れがきた。ガタガタと家が揺れる。さすがに怖いと思い、家を出た。ご近所さんも毛布を持って、外に出ていた。「一緒に行きましょう」と声がかかり、自宅から100メートルほどの帯山西小学校に避難した。

    本校舎とは別にプレハブがあり、そこには高齢者が優先的に入ることができた。余震は断続的に続いた。地震なのか、自分の体が揺れているのかわからなかった。


    木下さんの近所には、子供が成長して家を離れ、高齢の夫婦や一人暮らしが多い。

    「小学校の床って硬いでしょ。毛布だけじゃ硬いまま。あれは年寄りにはきついって」

    地震直後は食料も限られた。木下さんたちがいたプレハブの教室の中には、25人ほどいたが、「みんなに行き届くようにわけてください」と持ち込まれたのは、500mlの水が3本、おにぎりを半分か3分の1だけだった。

    「身の回りの人の分くらいは」

    「あぁ、これではみんなの体力が持たないな」

    木下さんは昼過ぎ、避難所を出て自宅に向かった。本震の揺れで、家の中はぐちゃぐちゃだった。趣味が読書の木下さんが並べていた本が床に散乱していた。屋根から瓦も落ちていたが、片付けよりも先にすることがあった。料理だ。

    「なんとか、身の回りの人の分くらいは」

    水、電気、ガスが使えることを確認し、急いで米を炊いた。よく食べる子供を4人育ててきた。大人数を賄う調理は得意だ。

    炊飯器の上限いっぱい、5合分を炊き上げ、おにぎりに。冷蔵庫の中には買い置きした鶏肉、ナスがあった。こちらも調理して、避難所に持っていった。

    時間は16日午後3時。眠れない一晩を過ごし、慣れない環境にいる高齢者たち。満足にいきわたらない食事……。

    「このおにぎり大きいね」

    「あったかい」

    緊張が続く中で、温かい空気が広がった。

    「やることは、同じよ」

    木下さんやご近所さんは、翌日以降、少しずつ避難所から家に戻っていった。

    木下さんの「支援」は避難所を出ても終わらない。ガスが使えないという高齢男性の家には、ポットに熱いお茶を詰めて持って行った。「お年寄りは、熱いお茶が飲みたくなるの。飲んだらほっとするでしょ」

    この日も、大きな鍋いっぱいに具沢山の団子汁を作って配って歩いた。

    本人には、自分が特別なことをしているというような気負いは全くない。

    震災以前から、大鍋で料理を作るときは近所に言って回った。

    「作ったから、なべ持ってきて」「一人で外食ばっかり食べんで、これ食べて」

    このコミュニケーションが、震災の時にも生きている。

    「地震は大変よ。熊本城も阿蘇神社もあんなんなるとは思わんかった」

    でも、と続ける。

    「周りには人がおるしね。挨拶もみんなするし、道で会ったらおしゃべりもするし。避難所にいっても、やることは、同じよ」