原発事故から5年半、福島県大熊町の現在
2016年9月、BuzzFeed Newsは震災5年半が過ぎた福島県大熊町に入った。帰省する住民へ同行しての取材が許可された。大熊町は福島第一原発がある自治体で、原発事故以降、全町民の避難が続いている。
5年半にわたって、人の出入りが制限される街。しかし、そこには、人々が暮らしてきた跡があり、復興を諦めない人がいるという現実があった。
ゴーストタウン、死の街と呼ぶ人たちもいる。しかし、実際に行ってみると、そう簡単にレッテル貼りできないことがわかる。なぜか。
1. そこにあった人々の暮らしが残っている
私たちは、第1原発から約10キロ離れた福島第二原発(楢葉町)のスクリーニング場に立ち寄った。ここで、事前に申請した人数分の防護服と線量計(この日は2時間弱の滞在だったが、数字はほとんど動かなかった)を配布される。
すぐに防護服に着替えることはない。
車で10分弱、国道6号線を福島第一原発方面に向けて走る。国道6号沿いにはゲートが設けられており、その先は自由に入ることはできない。警備担当者に身分証や書類を見せて、ゲートを開けてもらう。
小道に入り、数分走らせると、同行した住民が避難前に住んでいた家に到着。防護服は車から降りるときに着用する。手袋は二重に、靴の上からカバーもつける。
家の中に入るときは、屋外用の靴カバーの上に、さらに青いビニールをかぶせる。顔にはマスクもつける。
外に降り立つ。周辺に人はいない。地震の影響で崩れた外壁があった。
しかし、一歩家に入れば、そこには生活の跡がある。例えば、玄関先に残った新聞、部屋に置かれたままの教科書……。
外からはわからないが、家族で囲んだテーブル、子供時代の机、褒められた賞状、思い出のものは、きっと一つ一つの家に残ったままになっている。
避難先で暮らすと決めた人、帰ることを諦めない人……、決断はそれぞれだが、共通しているのは、そこにあった暮らしが残り続けているという事実だ。
ゴーストタウンという言葉では、生活が残っていることへの想像力が働かなくなってしまう。
2. そこにあるのは、黒い袋だけではない
いきなり避難しろと言われ、「あなたの実家は今日から帰れなくなりました。期間は未定です」と指示されたら、どう思うだろう。
避難が続く帰還困難区域だからといって、懐かしさや思い出が消えるわけではない。黒いフレコンバッグが大量に並んだ場所が見えた。ここは、一面が梨畑だったという。
私には何も見えないが、暮らしてきた人には昔の光景が見えている。思い出は簡単には消えないし、懐かしさも消えることはない。帰れるなら、帰りたいという人も決して、少なくない。
ここにあるのは、フレコンバッグだけではないということに、どれだけ想像力を働かせることができるのか。そこが問われているように思えた。
3. 事情を知らない人が決めることでない
ただでさえ、いきなり「避難しろ」という理不尽な事態に直面して5年半が過ぎている。放射線量が高いこと、帰還まで時間がかかることは当事者が一番よくわかっている。
「もう帰れないから、あきらめろ」「帰還は無理だ」と他人が決めることができるのだろうか。あるいは「帰還しないと決めた人は、郷土愛が薄い」と決めつけることはできるだろうか。それは「理不尽」の追い打ちになるかもしれない。
帰還してもしなくても、思いはそれぞれ。大熊町に住民登録をしている10843人(2015年2月末現在)には、10843通りの思いがある。そもそも、当事者の思いは一人一人違う。個々人の声に耳を傾ける姿勢が大事になってくる。
4. 復興に向かって動く人たちがいる。
国道6号線は、福島第一原発の廃炉作業に関わる人たちの車が行き交っている。コンビニは開いているし、商店も増えている。工事中の店舗も目立ってきた。
全町避難が続いている福島県沿岸部の自治体は、まだまだ、これからの道のりを模索しているところだ。死んだ町ではない。
5. 食事だって美味しいし、もっと良くなるということ
福島第一原発近くの地方都市、いわき市。高速道路、常磐道の四倉パーキングエリアにある「産直や よつくら亭」は、この日も大にぎわいだった。
これは刺身と煮魚が両方食べられる定食。ぱっと店内を見渡すと、震災当時の写真も展示してある。当時と比べると、どれだけ復興が進んだのか……。
他にも「福島には、今も変わらず安全で美味しいものがたくさんあります」というメッセージが掲げられていた。「とっても単純なことですが、こんな単純なこともなかなか伝わりません。伝えることって、とても難しいですね」、と。
伝えることは難しい。ネガティブな情報(例:放射線の基準値超え)は大きく報じられてきたが、ポジティブな情報はなかなか流れない。今年6月、福島県沖でとれるヒラメとマアナゴの出荷制限が解除されたことが、どれだけ伝わっているのだろうか。モノがいい、福島産の魚がこれから名物になっていく可能性は十分にある。これも「とっても単純なこと」だ。