お酒を飲みすぎて酩酊する父親を介抱する母親。嘔吐したものをきれいに片づける。娘はそれをみて、父は「甘えている」と思う……。
ウェブ上で大きな反響を呼んだ漫画は、漫画家・小林ギリ子さんが発表したものだ。
「ここから、アルコールが抱えている本当の問題を考えることができます」と専門家はいう。
リスクが低いと思われるアルコール
「アルコールで周囲が困ったという話に関心が集まっている。これは大きな変化ですよ。10年前なら考えられないこと」
そう話すのは、国立精神・神経医療研究センターの引土絵未さんだ。アルコールの問題は、その高いリスクに対して、軽くみられがちな問題だと考えている。
アルコールの最大のリスクとは何か。
それは、なにかからの逃げ道として依存してしまい、自殺の主要因になることだ。
「ここに描かれているお父さんは、家族とともに生活を改善できた。しかし、叱責では立ち直れないアルコール問題を抱えた家庭、アルコール依存症の患者もたくさんいるんです」
「私の父もそうでした」と引土さんは語る。引土さんは当事者であり、研究者でもあるのだ。
アルコール問題、本人と家族は……
『自殺をケアするということ』(ミネルヴァ書房)にその経緯が描かれている。
引土さんの父は広島の定時制高校を卒業後、大手自動車工場に就職し、結婚。一男一女、2人の子供が生まれたが、家庭生活は崩壊する。
引土さんが小学校に入学する前に両親の離婚が成立し、父と兄との3人暮らしが始まる。離婚の原因もアルコールだった。
もともと晩酌を欠かさなかった父は、ストレスを抱えると酒に手をだす。
晩酌はビール350ml缶1本、日本酒1合と決まっていたが、いつしか増えていく。同じ時期に兄は非行に走り、家庭の会話は減っていった。
そして父は孤独を紛らわすために、さらに酒を飲む。
いつまにか600万円の借金を重ねていた。端緒は娘、引土さんから頼まれた家族旅行だった。所持金がなくなり、クレジットカードローンで現金を調達する。
簡単に現金が手に入ることがわかり、そこからさらに酒に、ギャンブルに溺れていった。
借金を返済するための借金を重ね、気がついたら膨れ上がった。
「自殺したい人は『死にたいなんて言わない』」のウソ
父は会社をやめ、退職金で返済するという。
関連子会社に再就職することができたが、職場環境の変化についていけず、このころから酔っ払ったときに「つらい」「死にたい」と口にするようになる。
「本当に死にたいやつは、『死にたい』なんていわない」
よくいわれる俗説だが、これは間違っている。自殺するひとの大半は、兆候を口にしている。
引土さんの父にとって、これが兆候だった。やがて、アルコール依存症の末期にあたる症状がでてくる。連続で飲酒し、ひたすら飲み続けた。
兄はそれを責めたが、ここまでくると体が止まらない。
口癖のようになっていた「兆候」もどうせいつものことだろうと思っていた、その日、ついに父は自ら死を選んだ。
遺書には「酒おいしかった」と書かれていた。
「自分でコントロールできず、社会生活に支障がでたとき」で診察が必要
自殺にアルコールはどう影響するのか。
精神科医の松本俊彦さんは自身が関わる自殺の実態調査で、男性、とりわけ40〜50代の働き盛りの世代に集中している問題がアルコールだと指摘する(『アルコールとうつ・自殺』(岩波書店))。
アルコールはその場限りの高揚をもたらすが、高揚の先には急激な落ち込みが待っている。
ここで重要なのは、引土さんも松本さんも、アルコール問題=アルコール依存症として捉えていないことだ。
世間一般でアルコール問題というと「手が震えるようになっても飲み続ける」といった末期のイメージしかない。
それ以前に診察が必要なタイミングがある。
引土さんは、それを「自分でコントロールできず、社会生活に支障がでたとき」と表現する。
例えば、明日は仕事があり、はやく起きないといけない。本当は飲んではいけないとわかっているに、つい飲んでしまい、結果起きられない。
あるいは飲めないと眠れないからと手をだして、会議に遅れる。酒を飲むことで家族関係が悪化する……。
「アルコール依存症」のイメージからはかけ離れているが、いずれも社会生活に支障をきたしている。
「ストレス発散の域を超えて、自分の意思と関係なくなんらかの支障をきたす。それこそ介入が必要なサインです」
「依存症は本人だけ、家族だけで立ち直ることはできません。専門家による治療や介入が必要な病気なんです」
介入が必要なサインを見落とさない
冒頭の漫画を思い出してみよう。
「これも介入が必要なサインはでていますよね。ここで大事なのは、困っていると言うことですよね」と引土さんは語る。
自身の経験に即して思う。
「私は強くあろう、強くあろうとしました」
「困難を外にはみせずに生きようと思った。弱音を吐いてはいけないし、自分がダメだと言ってはいけない。相談するのはなにより恥ずかしいと思っていました」
引土さんは父親が亡くなる直前、頼られてもいいように、大学の授業と両立してアルバイトをいれて、生計を立てようとしていた。
「弱い父」にかわって、自分は強くないといけないという意識からだった。
しかし、それ自体がダメだったと後から気がつく。
必要だったのは弱さをみせること
「必要だったのは、弱さをみせること。周囲を信頼して頼ることだったんです。私の弱さは、強くあろうとすることそのものにあった」
「家族だから、娘だから、どうせわかってくれないからと蓋をしていたんです」
依存症は「人」に依存できない病だと言われる。自分の弱さを覆い隠すために、「人」ではないなにかに依存する。
それは、本人だけの問題だろうか。社会に引け目を感じたとき、家族もまわりに「依存」できなくなっていく。
だから、引土さんは「アルコール問題で辛い、困った」といえる状況になったことが、ひとつの希望であると思っている。
そして、自分のような当事者が発信することで、時間とともに依存症への理解も進んでいくだろう、と。
弱さが語れる社会へ
こんな事例を教えてくれた。
引土さんが精神科のソーシャルワーカーとしてこの世界に足を踏み入れた時、「底つき」と呼ばれる治療法が主流だった。
それは断酒の意欲がない患者を突き放して、アルコールによる失敗や苦痛を経験し、「今度こそ酒には懲りた」という気持ちになることを指す。
要するに、治療しようとする意欲を高めるために、患者自身の自覚を促す治療法だ。
いま「底つき」では、かえって予後は悪いということがわかってきた。
そこから少しずつ治療法が進展して、早期介入こそ重要であるという知見に基づく治療に移行している。
引土さんは言う。
「だから、社会がアルコール依存症への見方を変えていく、本人も周囲も弱さが語れるようになる社会になることだって、きっとできると思うんです。そのための方法を私は模索したい」
<アルコール問題に、もしも困っていたら>
・困っている本人、家族のために
全国の精神保健福祉センター、アルコール依存症専門の医療機関に加え、AA、全日本断酒連盟といった自助グループがある。
「いまは早期治療が基本です。社会生活に影響がでていると思ったら、相談、受診を」(引土さん)
家族として困っていたら、アラノン、断酒家族会といったアルコール依存症家族の自助グループもある。
「恥ずかしいという思いもわかります。でも助けて、といえば誰か手を差し伸べてくれるものです。無理に強くある必要はありません。まずはつながりましょう」(引土さん)
・周囲に追い詰められている人がいたら
「飲みながら考えるのではなく、相談はランチで」
「飲みながら考えよう」といって飲んだアルコールが、自殺の引き金になることがある。
松本さんは前述の著作の中で、悩みを抱えた同僚と飲みにいくのではなく、ランチを一緒に食べながら考えてはどうか、と提唱している。