それは暗く冷たい海だった。ヨーロッパを目指す約20人の難民ですし詰めのゴムボート。エンジンが止まり、水が流れ込む。かつて五輪を夢見て練習を重ねた少女は迷わず飛び込み、海水をかいてボートを押した。命をかけてドイツに渡ったこのシリア人難民が8月10日、リオ五輪の舞台に立った。競泳選手として。
シリア出身のユスラ・マルディニ(18)は3人姉妹の真ん中。コーチだった父の影響で、3歳で水泳を始めた。
シリア代表チームのメンバーとして、大会にも出た。だが、2011年の反体制運動を引き金に始まった内戦は激化。練習するダマスカスのプールは爆弾で屋根に穴が空いた。自宅は焼けた。
終わりの見えない内戦。トルコやヨーロッパに散る難民の数が400万人を超えた昨年、ユスラもドイツを目指し、シリア脱出を決意した。BBCに語る。
「途中で死ぬかもしれない。でも、祖国では、わたしは死んだも同然だった」
ボートで海を渡る
ヨーロッパへ向かうには、トルコ西岸からエーゲ海を渡らなくてはならない。密航業者に金を渡して乗り込んだゴムボート。6〜7人乗りに20人ほどがすし詰め状態になった。
出発して30分ほど、モーターが止まる。浸水が始まり、転覆を避けようと持ち物が海に投げ捨てられた。
夕闇が迫る海。パニック状態だった。
泳ぎの得意な姉サラがまず海に飛び込んだ。サラが止めるのも聞かず、ユスラも反対側に飛び込んだ。片手でボートをつかみ、もう片方の手と足で、平泳ぎを始めた。
ほかに泳げた何人かの乗客も手伝って、凍てつく海をボートを運びながら、交代で泳ぎ続けた。
「もし海で溺れたら、本当に恥ずかしいと思いました。水泳選手だから」
3時間半後、ギリシャ・レスボス島に乗り上げた。寒さと疲労で震えが止まらず、倒れ込んだ。全員が無事だった。
陸路ドイツへ
旅は続く。ギリシャから、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリア——。列車やバスを乗り継ぎ、そして、歩き続けた。ドイツ・ベルリンに着いたのは、故郷を出てから1ヶ月ほどがたっていた。
難民キャンプでの生活が始まった。不自由な暮らし。それでも、ユスラが一番知りたかったことは……
「プールは、どこ?」
「東京五輪を目指そう」
エジプト人通訳が、地元有名クラブを紹介してくれた。そこで、現在のコーチであるスベン・シュパネクレープスに出会った。
2年ぶりにトレーニングを始めて4週間。ユスラの成長は目覚しかった。「目標を東京五輪に定めよう」。スベンはユスラに伝えた。
難民選手団の結成
そこに思いもよらぬ知らせが舞い込む。国際オリンピック委員会(IOC)が3月、難民五輪選手団の結成を公表した。特別基金で支援する43人の候補選手の中に、ユスラの名前があった。
才能と努力、不屈の意志でつかんだチャンス。ユスラは練習に打ち込んだ。
学校の前に2〜3時間、練習を重ねる。学校を終えると、再び練習だ。週2回はオリンピック標準のプールでトレーニングする。
厳しい練習。IOCのインタビューにこう答えた。
「姉はこうやってわたしを励ますんです。難民がここまでできるんだって、見せてあげなさいって」
「困難に直面したら、本当に辛い。でも、前に進まなきゃならないときもある。困難のおかげで、私はここにいるし、強くなったし、目標を達成したいと思うのです」
リオ五輪へ
IOCは6月3日、難民五輪選手団を承認。選ばれた10選手の一人に、ユスラがいた。
IOCからのEメールを開いたユスラは、飛び跳ねて喜んだ。いまにも泣き出しそうだった。「夢がかなったんです。五輪は私のすべて」
ユスラはUNHCRにこう語る。
「みなさん、夢をあきらめないで、心に感じることをしてほしい。いまは不可能でも、望ましい状況になくても、これから何が起きるかわからない。だから挑戦し続けるのです。もしかしたら私のようにチャンスをつかめるかもしれません。自らチャンスを作り出せるかもしれません」
夢の舞台で
7月下旬にリオに入り、30日には記者会見に臨んだ。そこでは、故郷シリアに残る人々にこう語りかけた。
「自らの夢を持ってほしい。みんな夢を忘れてしまっているから」
8月2日には、こんな感謝の気持ちを表した。
「みなさまに感謝します。私たちを支え、この場に来て再び夢を追うチャンスをくださり、私たちはまだ人間だっていう希望をくださった。私たちは難民である前に、世界中のみなさんと同じなんです。私たちは何かができる。何かを成し遂げられるんです」
2種目に出場
まず、8月6日の女子100mバタフライ予選に出場したユスラ。タイムは1分9秒21で、45人中41位。準決勝には進めなかった。「メダルを取るために、もっと努力して、レベルをあげなければ」と悔しそうに話した。
8月10日の女子100m自由形の予選のタイムは1分4秒66。45位でこちらも準決勝には進めなかった。
東京五輪へ
ユスラのリオ五輪は終わった。18歳の不屈の精神は、世界中の人々の心を動かした。メディアの取材に丁寧に応じ続け、難民の苦境を伝える力となった。
「水の中は素晴らしい感覚でした。誇りに思ったし、幸せでした」
すべての試合を終えた後、記者たちに囲まれたユスラはこう話した。
「競泳を続けたいし、難民を支え続けたいです」
"I want to continue swimming and I want to continue supporting refugees." Yusra after her race. #Rio2016 #swimming
次の五輪でのメダルを目指す。舞台は東京だ。困難な道のりだが、あきらめない。あの、ヨーロッパを目指して、エーゲ海を泳いだときのように。
ユスラは繰り返し、こんな言葉を口にしている。
「すべての人を励ます存在になりたいんです」
(敬称略、表記はすべて現地時間)