グッチのスーツに身を包んだマドンナ。12月9日、ビルボードの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、女性を励ますメッセージを発した。「ファック!私はバッドなフェミニスト」。マドンナ流の言葉で。
「私はドアのマットとして、みなさんの前に立っています。あ、違った、女性エンターテイナーとして、ですね」
マドンナはこんなジョークを飛ばした。ドアマットは「いつもやられっぱなしの人」の意味だ。
女性差別や嫌がらせ
「私の才能を認めてくださって、ありがとうございます。あからさまな女性蔑視、性差別、絶えないいじめ、容赦ない嫌がらせに遭いながら、34年になるキャリアを続けてきました」
マドンナが最初のシングル「エブリバディ」を出したのは1982年。自らの人生を振り返り始めた。
「最初にニューヨークに来たのは10代でした。1979年です。ニューヨークはとても恐ろしい場所でした。最初の年、銃口を突き付けられ、喉にナイフを突き立てられて屋上でレイプされました。何度も部屋に空き巣や強盗が入られたから、戸締りもやめました」
「その後、ほとんどの友人をエイズやドラッグ、銃によって亡くしました」
マドンナが出した結論はこうだった。
「人生には、自分を信じること以外に、本当に安全なことってない」
ルールはない?
音楽業界で活躍する女性として経験してきたことを赤裸々に語った。
「最初に曲を書き始めたとき、男女を特に考えることはありませんでした。フェミニズムについても考えませんでした。ただ、アーティストでありたかったんです」
影響を受けたミュージシャンとして、デボラ・ハリー、クリッシー・ハインド、アレサ・フランクリンを挙げて、こう続けた。
「でも私の本当のミューズはデイビッド・ボーイでした。男性の、女性の、精神を体現し、それはまさに私にぴったりでした。ルールなんてないんだと、彼のおかげで思うようになりました」
「でも、私は間違ってた。ルールはない……それはあなたが男子だったらね。女子だったら、ゲームをしなきゃいけない」
男が望む女であれ
女性が求められるゲームはこうだ。
「きれいで、キュートで、セクシーならいい。でも、賢すぎてはだめ。意見を持ってはだめ。少なくとも既定路線から外れる意見はだめ」
「男から物として扱われるのは、いい。ふしだらな女のような格好は、いい。でも、そのふしだらさは、あなたのものじゃない。性的なファンタジーを世界に共有してはだめ。繰り返しますよ。してはだめ」
「男たちが望む女でありなさい。でもね、もっと重要なのはこれ。男たちがいる場所で、女たちが心地よく感じられるような女でありなさい」
「最後にこれ。歳をとってはいけない。歳をとるのは、罪だから」
こうしたゲームから外れたらどうなるのか?
「批判されるでしょう。非難されるでしょう。間違いなくラジオで曲をかけてもらえなくなります」
ヌードは恥ずべき?
女性を性の対象物として消費し、面白おかしく書き立てるメディア。マドンナは冷静に観察していた。
「最初に人気が出たとき、プレイボーイ誌やペントハウス誌に私のヌード写真が載りました。昔、お金を稼ぐために、アート学校でヌードモデルをしたときの写真でした。あんまりセクシーじゃなかった。というか、退屈そうにみえた。実際そうだったんですが」
会場から笑いがもれる。
「でもね、この写真が表に出たとき、世間は私が恥ずかしがることを期待しました。でも、私はそうじゃなかった。そうしたら、みんな不思議に思いました」
「ようやく、放っておいてもらえるようになったのは、ショーン・ペンと結婚したから」
「彼は"尻に弾丸をぶちこんだ"ものだし、なにより私はマーケットから外れたから。しばらくの間、私は脅威とは思われなかった」
「数年後、離婚して、シングルになりました。ショーン、ごめんなさいね」
会場に笑いが広がる。
男と女、規範は違う
1992年、マドンナはセンセーションを起こした。官能的な写真集「Sex」・アルバム「エロティカ」だ。
だが、世間の反応にマドンナはショックを受けたという。
「すべての新聞や雑誌の見出しに躍ったのを覚えています。私をこき下ろすものばかりでした。売春婦とか魔女とか呼ばれました。サタンと比べる見出しもありました」
「こう思いました。『ちょっと待ってよ。プリンスは、網タイツと高いヒール履いて、リップ塗って、ケツ出して、走り回ってたんじゃない?』。ええ、そうでした。でもね、彼は男だったんです」
初めての無力感
激しいバッシング。マドンナは打ちひしがれた、と明かした。
「このときが初めてでした。女は、男と同じ自由は持っていないと真に理解したのは。無力だと感じたのを覚えています」
なにかをこらえながら、しばらく沈黙する。マドンナは涙声になっていた。
「自分を取り戻して、クリエイティブ生活を送るのには時間がかかりました。人生を前向きに進むのに」
「マヤ・アンジェロウの詩、ジェームズ・ボールドウィンの本、ニーナ・シモンの曲から、慰みを得ました」
「支えてくれる女性の仲間がいてくれたらって思ったのを覚えています」
ファック!
それでも戦うことをやめなかった。欺瞞に満ちた社会の価値観や偽善を壊していく。
「著名なフェミニストの社会批評家、カミール・パーリアは、私が自分自身を性的な物として扱うことによって女性を後退させた、と言いました。『オー!』。私は思いました。『フェミニストだと、セクシュアリティは持っちゃいけないのね。セクシュアリティを否定するのね』」
「だからこう言ったんですよ。『ファック!わたしは違う種類のフェミニスト。バッドなフェミニスト』」
皮肉な笑みをこぼすと、会場から歓声と拍手が起きた。
すべての女性へ
こうして戦ってきたマドンナ。女性に贈るメッセージはこうだった。
「すべての女性に今日伝えたい。女性はとても長い間、抑圧されてきた。男が女を指していう言葉を信じるようになってしまった。成し遂げるには男の肩を持たなきゃならないと信じるようになってしまった」
「肩を持つのにふさわしい素晴らしい男性もいるでしょう。でもそれは、彼が男だからじゃない。その価値があるからです」
「女性として、自らの価値、互いの価値を、正当に評価し始めなければなりません。強い女性を探し求めてください。友人となり、手を携え、学び、刺激を受け、コラボし、支え、教わることができる女性です」