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げんちゃん、みんなを変えた 知的障害者が一人暮らしすること

重度の知的障害者は何もできないと思っていませんか? げんちゃんの周りは笑顔がいっぱい

重度の知的障害があったら一人暮らしは無理? そんな思い込みをはねのけて、知的障害者の自立を支える取り組みが広がりつつある。生まれつき重度の知的障害がある福井元揮さん(24)、通称・げんちゃん。

親元から離れ、東京・大田区のシェアハウスで暮らし始めて3年が経った。入所施設やグループホームなどの選択肢とは違い、どこに出かけるのも、誰と会うのも、何を食べるのも自由な生活。その笑顔は周りの人の心を少しずつ変え始めている。

買い物、外食、ガラリと変わった毎日

日曜日の夕方、げんちゃんはヘルパーの男性2人と近所の焼肉屋に繰り出した。言葉でのコミュニケーションは難しい。でも、大好きな焼肉を頬張る笑顔で久しぶりの外食を楽しんでいることがわかる。

帰り道はスキップでスーパーに向かい、好みのスープや飲み物を選んでレジで支払いも済ませた。24時間誰かの見守りが必要だが、自立生活を始めてから自分でできることが増え行動範囲も広がった。

げんちゃんは1992年、妊娠24週の早産で三つ子の3番目として生まれた。重度の知的障害を持ち、体を揺らしたり大きな声を出したりなどの行動障害もある。

一人立ちを考え始めたのは、20歳になった頃。息子の世話に加え、認知症になった自分の両親の介護にも追われていた母・恵さん(55)は、自分が高齢になったり急に死んだりしたら、息子はどうなるのか心配になった。子供に障害がある親の多くが抱く不安。

そんな時、当時げんちゃんの外出の付き添いサービスを行なっていたNPO法人風雷社中理事長の中村和利さんから、「自立生活を考えてみませんか?」と持ちかけられた。

統計は見当たらないが、30年前から知的障害者の自立を支援している市民団体「たこの木クラブ」代表の岩橋誠治さんによると、一人暮らしをしている重度知的障害者は全国で100人もいないとみられている。

意思疎通が難しいことや、専門性の求められる介護人材が不足していることなどが、自立生活を阻む。両親による世話がままならなくなると、自宅から遠く離れた入所施設やグループホームに移ることがほとんどだ。

風雷社中の中村さんは、東京で暮らしていた知的障害者を、空きが出た北海道の施設まで送り届けた経験もある。

自立支援に取り組み始めた狙いを、

「本人が状況を全くわからないのに、ある日突然、住み慣れた場所から離れた場所で暮らすという現状を変えていけないかと思ったからです」

「もちろん、集団生活やルールが固まった環境が合う人もいるので施設も大事なのですが、地域の中で自立する選択肢がほとんどないのは問題だと思っていました」と語る。

夜間も含めた長時間の見守りを可能にする重度訪問介護制度が、2014年から行動障害を伴う重度の知的障害者にも適用されることが決まり、制度上も自立生活を支援しやすくなったタイミングだった。

1年間、週1回のお試し宿泊を続けると、実現できるのか半信半疑だった家族の懸念をよそに、げんちゃんは一緒に泊まって世話をするヘルパーをすんなり受け入れた。

14年5月、風雷社中の知人の紹介で3階建ての一軒家を借り、2、3階をシェアハウスにして、最上階をげんちゃんの新居に決めた。2階は一般男性が借り、一階は地域に開かれたイベントスペースに。通所施設で過ごす平日の日中以外はヘルパーが付き添い、げんちゃんが自分で創る生活が始まった。

歩いて15分ほどの距離に住む恵さんは、たまに会うたびに息子が成長していることに驚いた。「ありがとう」「おはようございます」など話せる言葉が増え、簡単な皿洗いなどの家事もするようになった。

電車に乗って映画館に出かけたり、買い物に行って自分の欲しいものを選んだり、親が「この子はできない」と思い込んで諦めていたことができている。

「親やきょうだいだと、言葉がなくても先回りして世話してしまいがちでしたが、外の人が入ることで、自分の思いを伝える必要性に差し迫られたのでしょう」

「親元にいる時は、親の都合に合わせて食事や風呂の時間を決めていましたが、ここでは本人の意向を尊重して、自分で自分の行動を決めさせる。親としては可愛いからやってあげているのだと思い込んでいましたが、それが息子の可能性を狭めていたのかもしれないと気づきました」

家族の生活にも影響があった。代わりに世話をする人を調整しなくても、好きな時に好きなだけ外出ができる。夫は外で趣味を楽しむようになり、息子の世話で後回しにしてきた末娘の運動会に、高校3年生になって初めて応援に行けた。

社会のお荷物? 人の輪をつなげる存在に

恵さんは長年、心のどこかで息子のような重度の知的障害者は社会のお荷物になっているのではないかという思いを拭えなかった。

昨年7月、相模原事件が起きた時、犯人の動機を否定しきれない自分に複雑な思いを抱いていた。入所施設が警備を厳重にするというニュースを聞き、知的障害者が特別な困った人として、ますます地域から隔絶していくのではないかとやりきれない思いも抱えていた。

しかし、シェアハウスの1階で行われるイベントに楽しそうに参加する息子の姿を見て、げんちゃんと交流していた参加者たちから、「げんちゃんといると楽しい」「フィーリングが合う合わないって、障害のあるなしに関係ないよね」と言われるうちに思い直した。


「息子も役に立ってるじゃんと素直に思いました。知的障害者と初めて出会ったという人が一人の人間として関心を持ってくれて、げんちゃんと会ってヘルパーを目指し始めた人もいます。私も、これまで遠巻きに見ていた耳の聞こえない人や精神障害を持つ人と自然に話せるようになりました」

「考えてみれば、誰だって年をとるし、病気になれば人の支援を受けなければ生きられないわけで、息子は特別な存在ではない。彼を通じて人の輪が広がり、地域や社会が変わっていくんじゃないか。そう思えるようになったんです」


恵さんは、風雷社中の活動にも積極的に関わるようになり、もう一歩踏み込んで福祉を学ぼうと、昨年から専門学校の通信教育を受け始めた。

3年でここでの生活にも慣れてきたげんちゃんは、今年、公営住宅に申し込み、シェアハウスではない本格的な一人暮らしに挑戦しようとしている。大田区内ではげんちゃんが初の自立生活者だったが、つい最近、2人目が自立生活に踏み切った。

中村さんは言う。「障害者が生きる場として様々な選択肢が広がればと願っています。そして、一般の生活と同じ選択肢から提案される社会になってほしい」

自立生活を推し進める声明文公表

中村さんら知的障害者の支援関係者有志は、自立生活という選択肢を支援者に広く知ってもらおうと、ウェブ上で「知的障害者の自立生活についての声明文」を公表した。

公的な介護制度を活用して、知的障害者が地域で自立生活を続けるための提案を支援者がしていくこと、支援するコーディネーターやヘルパーの育成などを提案している。

6月3日には、支援者が現状を報告する学習イベント「知的障害者の自立生活が『なぜ必要か?』『どう実現するのか?』」も開かれる。