オバマ大統領が捧げた4羽の折り鶴。それが意味すること

    核廃絶への新たな一歩になるのか。

    5月27日、午後5時25分過ぎ、広島平和記念資料館の前に、オバマ大統領の専用車が止まった。この日、大統領の訪問を理由に、資料館は正午で閉館した。改修工事中の東館に展示物を集め、わずか10分の「短い」視察に備えた。

    オバマ大統領がもっとも関心を示したのは折り鶴だった。並々ならぬ思いがあったことは、大統領自身が4羽の折り鶴を持参したことからもわかる。ピンクと青の2色。千代紙をつかい、丁寧に折られていた。

    折り鶴の意味

    その歴史は、広島で被爆した一人の少女の死から始まった。佐々木禎子さん。当時12歳だった。

    禎子さんは2歳のとき被爆した。外傷もなく、順調に成長したようにみえたが、1954年、白血病になる。すぐ入院したが病状は思わしくない。回復を願って鶴を折り続けたが、原爆投下から10年後、1955年に亡くなった。

    禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子供たちを慰霊する「原爆の子の像」ができ、そこに折り鶴が集まるようになった。

    オバマ大統領の折り鶴も、そのひとつに連なるだろう。

    オバマがスピーチで触れた子どもと原爆

    オバマ大統領はこの日、スピーチで子供と原爆の関係に触れた。

    「世界はこの場所で一変しました。しかし今日、この都市の子どもたちは平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。これを守り、すべての子供たちに広げていく価値があります。これが私たちが選べる未来です。広島と長崎が核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりだったとして記憶される未来です」

    広島平和記念資料館の志賀賢治館長は、オバマ大統領と折り鶴についてこう話す。

    「特に禎子さんの折り鶴に関心があったようで、ご覧いただいた。そのあと、被爆を伝える資料をご覧いただいた」。事前に勉強していた様子が伺われたという。

    資料館を運営する広島平和文化センターの小溝泰義理事長も続ける。「佐々木禎子さんの折られた千羽鶴の実物を見たあと、大統領を出迎えた小・中学生2人に折り鶴を手渡していた」

    オバマ大統領の広島訪問をどう見るか。国際原子力機関(IAEA)で事務局長特別補佐官を務めた経歴がある、小溝理事長はこう強調する。

    「オバマ大統領は全能者でも救世主でもない。核廃絶の主役は、我々市民。オバマ大統領が一緒にやると言ったことは評価したいと思う。我々がどう進めるのかが問われている。意味のある訪問にする責任は、我々にある」

    オバマ大統領の直筆メッセージ、添えられた折り鶴

    オバマ大統領は、10分程度の資料館視察のうち約3分を費やし、直筆のメッセージを残した。「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」

    書き終えたオバマ大統領は、そこに、そっと二羽の折り鶴を置いたという。