全国的に野党を圧倒する自民党。だが、国政選挙でも知事選でも負け続けている県がある。沖縄だ。
沖縄政治の専門家は、基地問題をめぐる経済的・歴史的な変化に自民党がついていけなかったことが、その背景にあると指摘する。
BuzzFeed Newsは、獨協大地域総合研究所特任助手の平良好利さんに取材した。沖縄が本土に復帰した1972年に那覇市で生まれ、その変化を自ら体験し、研究してきた平良さんはいう。
「自民党は、県民に受け入れられる論理を構築できなくなった」
この参院選でも、沖縄北方担当相の現職・島尻安伊子氏(51)は、翁長雄志知事が支援する野党統一候補の伊波洋一氏(64)に敗れた。
なぜ、沖縄で自民党が勝てなくなったのか。平良さんとともに、まずは経済的な観点から見てみる。
「沖縄経済は基地頼み」神話の崩壊
「『基地を受け入れてもらい、経済も振興させる』という自民党の訴えは、沖縄ではリアリティを失ってきています」
平良さんは、BuzzFeed Newsにそう説明する。なぜか。
そもそも沖縄では、保守派と革新派の県政が入り交じってきた歴史がある。保守派とは、現実を踏まえながら少しずつ問題を解決し、革新派とは、大きな理想を唱えて問題を変えていくものだ。
「冷戦下の沖縄では、『基地をすぐなくすのは難しいから、まずは経済発展を優先させよう』という保守派の主張には、一定のリアリティがありました。革新県政にせよ、当時は保守県政と同様に政府と協調しながら経済振興に力を注いだ」
しかし冷戦が終わる頃になると、基地の整理縮小はそれまでより現実的になる。
基地関連の収入が県経済に占める割合も、復帰時に15%だったものが、1991年には5%弱に減少。現在も同じ水準で推移している。
返還された地域が、跡地利用で急速に発展することもわかった。その代表例が、那覇市中心部「新都心地区」だ。
そこはかつて、米軍関係者の住宅街だった。今から30年前に返還されると、企業や大型ショッピング施設が立ち並ぶようになり、沖縄県の昨年の試算では、税収が年間199億円、1万5560人が働く沖縄を代表する経済拠点となった。
「冷戦後は保守派も革新派も『基地を減らして経済を発展させる』という課題に取り組み始めます。そして実際に跡地の経済発展が明確になると、その流れは加速されていったわけです」
基地は、経済発展を邪魔する存在だ。そう感じ始めた沖縄の人々に、衝撃を与えた事件がある。その事件以降、自民、民主の両政権をまたいだ日本政府の迷走がはじまり、沖縄の自民党は分裂する。
以下、その流れを見ていく。
1995年、少女暴行事件
1995年9月。3人の米兵が12歳の女子小学生を拉致し、集団で強姦するという痛ましい事件が起きた。反基地の世論は沸騰した。
なかでも注目が集まったのは、住宅密集地に隣接する普天間基地だった。反対運動が高まるなか、1996年に県内・名護市辺野古沖に移設が決まると、沖縄側もそれを条件付きで受け入れた。
「沖縄の保守派は、県内移設はできるなら受け入れたくなかった。でも日本の安全保障のためにどうしても県外が無理であれば、最低限は受け入れる、という立場でした。革新派は県内移設に反対でしたが、保守派は苦渋の選択として、ギリギリの線で受け入れの態度を示していたのです」
さらに反対運動の流れを加速させたのが、2009年の政権交代だ。民主党の鳩山由紀夫首相は、移設先について「最低でも県外」と述べた。
「県内移設の正当性が一気に崩れてしまいました。保守派にしても、県外でも良いのであればもう苦渋の選択をする必要はないと思った」
政府と協調してきた自民党沖縄県連や県選出の国会議員たちも、世論に同調し、党本部の方針に反旗を翻した。2010年、自民党県連の支援で当選した仲井真知事も、県外移設の方針を掲げた。
沖縄の保守派が分裂
ところが、鳩山政権は県外移設先を見つけられず、県内移設の方針に舞い戻る。さらに、2012年末に自民党が政権を取り戻すと、党本部から沖縄へのプレッシャーは強まった。
自民党県連や国会議員たちは相次いで「移設容認」へ転換。2013年末には、仲井真知事が辺野古沖の埋め立てを承認し、移設工事開始の口火を切った。
これを機に、沖縄の保守派は分裂した。
「結局、沖縄の自民党はこれまで以上に露骨に政府と協調する路線を選んだ。しかしこうしたやり方を是認せず、辺野古移設反対の姿勢を貫いたのが、いまの翁長知事です」
自民党県連の幹事長まで務めた翁長氏は、2014年の知事選に「オール沖縄」を掲げ、立候補。自民党県連が支援する仲井真知事との対決姿勢を明確にした。
そこに集った政治家や支援者の思想信条はバラバラだ。「オール」である、最大の一致点にして唯一の理由は「県内移設反対」であることだった。
争点は「移設容認・反対」に
「翁長さんは決して『革新政治家』に転向したわけではありません」と平良さんはいう。
「沖縄の現実が『基地もなく、平和で、豊かな沖縄県』という方向に向かっている状況のなかで、現実の変化をうまく読み、適応していったのでしょう。保守とは本来そういうものです」
しかし、沖縄の自民党には、それができなかった。
沖縄の選挙はこうして、移設容認・反対が争点となる構図がかたまった。容認する立場の自民党は、ここから敗北を重ねる。
知事選では、翁長氏が仲井真氏を圧倒。同じ年の衆院選では、小選挙区の公認候補4人が全員落選し、かろうじて比例で復活。今年6月の県議選も結果は48議席中15議席だった。
参院選でも、やはり自民党は勝てなかった。沖縄北方担当相の島尻氏が、翁長氏が支援する伊波氏に敗れた。
深まる本土と沖縄の「ねじれ」
6年前、「移設反対」を掲げて当選した島尻氏。公式サイトで掲げる20個の政策のうち、基地問題に触れていたものはない。
「安全・安心な島づくり」という項目に、「一日も早い普天間の危険性除去と着実な基地負担の軽減」という一文が添えられているだけだ。
伊波氏は対象的だ。公式サイトの政策では基地問題について、「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、辺野古新基地建設断念を求める」「オスプレイ配備を撤回させ、新たな基地は造らせない」などと強く打ち出していた。
「沖縄の自民党は県民に受け入れられる論理を構築できていません。戦後の沖縄保守の歴史をもう一度見直し、みずからをバージョンアップできなければ、主張にリアリティがなくなって消滅した90年代の社会党のように、沖縄の自民党自体が消えていく可能性も否定できません」
これは沖縄の自民党だけの問題なのか。
「本土側も、沖縄基地問題の本質、すなわち基地の過重負担の現実を改めて認識することから始めなければいけない。国を守る責任と負担は、国民全体で平等に負わなければいけません」
先の大戦において、日本の国土で唯一地上戦を経験し、18万8136人が犠牲となった沖縄。日本は、いまも在日米軍基地の74%をこの島に集中させ、「国を守る負担」を押し付けてきた。
でも、本土側だけではない。沖縄側の姿勢にも変化が必要だという。
「翁長氏も同様です。沖縄の現実が『革新的』な方向に変化しているなか、それに合った言葉で語ることが必要な面もありますが、沖縄とは逆に『保守的』な方向に進んでいる本土に対しては、それでは響かないところがあります」
「『革新政治家』とみられて頭から拒否される可能性もある。『基地問題は日本全体の問題』と訴えるには、それに合った言葉と論理を探す必要がある」
そう語る平良さんは、本土と沖縄の対立構造のさらなる激化を憂える。
「お互いがそうして理解し合わないと、このままでは本土と沖縄のねじれや対立は、本当に危機的なところまでいってしまうのではないでしょうか」