意外と知られていない原宿駅の歴史 建て直しの可能性も

    実は大正生まれの貴重な駅舎。

    2020年の東京五輪に向けた改良が発表された原宿駅。その先行きを不安視する声が、インターネット上に溢れている。

    大正生まれ、西洋建築の愛くるしい駅舎のゆくえは、まだ決まっていない。

    残すかどうかは「検討中」

    「(現駅舎を)なくすのか残すのかどうかは、決まっていません」

    BuzzFeed Newsの取材に対し、JR東日本の広報担当者は答える。なくなることを不安視する声も届いているという。

    「地域のみなさんと渋谷区の意見を聞きつつ、検討を進めていく予定です。ヒアリングするかはわかりませんが、何かしらの形で意見を伺っていきます」

    新しい駅舎は、いまの駅舎の南西部分に作られる。ここには、古い駅舎を「残したい」というJR東日本の意図が隠されているのだろうか?

    「そのような意図ではありません。工事をしつつ駅をご利用いただくのに、いまの駅舎を壊すというわけにはいきません。使いながら工事するために、場所をずらす予定なんです」

    明治神宮の緑との調和

    新しい駅舎は、ずいぶんと近未来的ないでたちだ。「景観に配慮」したうえで、JRのグループ会社が設計をしたという。

    コンセプトは「明治神宮の緑など、周辺との調和」。壁面緑化を施す予定もある。

    「いまの駅舎ではハンディを持った人が使えない」と、東京電機大学非常勤講師もつとめる建築家の片山惠仁さんは、駅の改良に理解に示す。しかしデザインについては「安っぽい」と辛口だ。

    「日本で一番多くの初詣客が来る神社の接続駅としては、さすがに。外壁のデザインだけでも公募にするとか、できることがあるはずです。もっとデザインに配慮して、世界に誇れるような駅をつくってほしい」

    そのためには、「行政側も協力するべき」と強調した。

    原宿のシンボル

    渋谷区まちづくり課には、報道を受け、「どうにかしてほしい」という要望が多く寄せられているという。

    担当者も「具体的に何も決まっているわけではないが、原宿のシンボルなので、当然そういう意見を聞いて、どうするかは判断していく」と語る。

    地元住民などでつくる「原宿神宮前まちづくり協議会」からは、これまでも駅舎を残すよう願う声が上がっていたという。

    戦災を乗り越えて

    交友社の発行している雑誌「鉄道ファン」(597,598号)によると、いまの駅舎が竣工したのは、1924年(大正13)年の6月。今年で92歳、都内に現存する木造駅舎としては最も古いとみられている。

    設計を担当したのは、鉄道省技師の長谷川馨。トレードマークとも言える八角塔は当時の西洋建築によく見られるものだ。細部は建設時と異なるが、全体的な変化はほとんどない。

    太平洋戦争中には原宿駅にも直撃弾が落ちたが、不発弾だったために被災を逃れたとの逸話も残る。焼け野原の中にひとつ、ぽつんと佇む駅舎。皇太子だった今上天皇も戦後、その姿に「強い印象を受けた」と評したそうだ。

    原宿の玄関口となって90年以上。思い入れが強い人も多いはず。それは、片山さんも同じだ。

    「あの場所って、みんなにとって、母校の校舎みたいなものですよね。そういう文脈として、個人的にも残せるのならば残してほしいと思っています」

    希少価値は高くても……

    しかし、気軽に保存ができるわけでもない。

    一番の問題はコストだ。保存した場合の維持費、管理費はJR東日本が負担することになる。

    愛されるランドマークだが、建築の観点から見て、文化財となるほど価値があるわけでもない。片山さんは言う。

    「大正時代のちゃんとした設計者がつくった木造建物はこの20〜30年でどんどん減ってきたから、希少価値は相当ある建物。それでも、建築として超一級に保存価値があるわけではない。だから文化財にも指定されていません」

    だが、仮に文化財だとしても、JR東日本が費用を負担することは変わらない。自治体は、そこに価値を見出して、手を差し伸べるのか。「都なり、区なりが費用をある程度担保するのかどうか、という議論も必要になります」と片山さんは指摘する。

    さらに建築基準法の壁もある。

    「国鉄だったころの駅舎は、建築基準法の適用外。つまり、それが駅舎としての機能を失うと、法に合致するのかという議論が始まることになる。法律的に残せない可能性もある」

    「記憶の遺産」を残すために

    価値はそれほどでもない。だが、人々の記憶に残る遺産。これをどう残せばいいのか。

    「世論が必要になる」と片山さんは力を込める。

    「原宿駅のような『みんなの記憶の遺産』を残そうという発想は、いままでの文化財保護にはない考え方。都民や国民が残したいという声が大きくなり、『これは文化財です』と宣言ができれば、それは残すべきだとなるはずなんです」