「夜の山には化け物が出るから近づいたらいかんに」
幼い頃に聞いた、祖父からの警告。
一体どんな恐ろしいものが棲んでいるのかと想像を巡らせたものですが、結局、その「化け物」を見ることはありませんでした。
しかし今でも、夜の真っ暗な山には、“なにか”がうごめいているような気がしています。
『山怪 山人が語る不思議な話』(山と溪谷社)は、そうした山にまつわるエピソードを集めた一冊です。
著者は、マタギや狩猟採集にくわしい、フリーランスカメラマンの田中康弘氏。四半世紀以上にわたり農林水産業の現場を取材している人物です。
本に収録されているのは、田中氏が日本各地の漁師や山とともに暮らす人々を取材してまとめた話。その多くは、「恐怖」よりも「不思議」を感じさせるものです。
田中氏は本の中でこう説明しています。
この本で探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話、そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である、または不思議であるという出来事だ。
創作の怪談とは異なり、必ずしも、はっきりとした起承転結や驚きのオチがあるわけではありません。
だからと言って、退屈なわけでもない。話の多くは、語り手の実名や地名が明かされており、誰がいつ頃、どこで体験した話なのかがわかります。
田中氏の淡々とした筆致も相まって、山に対する畏怖の念を抱かせる“リアルさ”に満ちた一冊です。
日本の山には「なにか」がいる
マタギ発祥の地として知られる秋田県・旧阿仁町(現北秋田市)から、山怪は始まります。
夜道に突如現れる謎の夜店、暗闇から手招きする美しい女性、なぜか裸で沢に入っている薬売り……。
秋山郷、白山連峰など全国の山中での体験談が山盛りで、「狐に化かされたのでは?」系のエピソードを中心に、狸、蛇、さらには小人に関係する話も登場します。
個人的に印象深かったのは、田中氏自身の体験談。田中氏が山中でのテント泊をやめ、車中泊に切り替えるきっかけとなった出来事を綴ったものです。これは純粋に怖い……。
いずれ消えゆく運命
田中氏は、このような話が語られる「場」が消えつつあると指摘します。
若者は老人の話を聞くよりも、テレビやインターネットを見たり、ゲームをしたりする方が楽しいというわけです。
こうした話が消えて困るか、といえば、生活する上では特に困らない。でも、形はなくとも、これまで人々の暮らしに寄り添っていたものが失われるのは、少し寂しい気がします。
2017年1月には続編『山怪 弐』が刊行予定。
予習がてら、今回紹介したこちらを先に読んでおくといいかもしれません。もはや絶滅危惧種となった妖怪の息づかいが感じられるはずです。