ジャーナリスト常岡浩介さん単独インタビュー「イスラム国に全く共鳴しない」「もう交渉できない」

    「イスラム国司令官のWhatsAppはもうずっとオフラインです」

    イラク北部のクルド自治政府に一時拘束されていたジャーナリスト・常岡浩介さん(47)が帰国した。常岡さんは11月10日、BuzzFeed Newsの単独インタビューに応じた。

    常岡さんによると、現地入りしたのは10月19日。クルド自治政府の軍事組織ペシュメルガに許可を取って、密着取材をしていた。過激派組織「イスラム国」の拠点である、イラクの都市モスルの奪還作戦を取材するためだった。

    ところが、10月27日、イラク大統領の記者会見に出席するため保安検査を受けた際、「イスラム国」のロゴが入ったキーホルダーを所持していたことから、クルド自治政府に拘束され、そのまま12日間、引き止められた。

    ——なぜ、イスラム国のキーホルダーを持っていたのですか。

    2014年9月に(イスラム国支配下の)ラッカを訪問しました。キーホルダーはそこから帰る途中、同じバスに乗り合わせた義勇兵にもらったものです。

    現在、中東には、イスラム国支持者が大勢います。その支持者やメンバーに会うかもしれない。何か役に立つ場面があるかもしれないと思って、ロゴが入ったキーホルダーを、バッグのポケットに入れたままにしてしまったのです。

    そんなキーホルダーを持ったまま、大統領の会見取材をするためのセキュリティチェックを受けるのは、全く間抜けでした。私はそれが原因で、クルド自治政府からISメンバーなのではないのか、と疑われて連行されました。

    ——イスラム国を取材するようになったきっかけは?

    私は当初、イスラム国を取材するつもりは、全くありませんでした。今も関心があまりないです。私が取材しようとしたのは、シリアに入り込んだチェチェン勢力でした。その過程で、偶然イスラム国の司令官と知り合い、これはいい取材機会だと思いやりとりをしていました。

    ——ネットを見ると、常岡さんとイスラム国のメンバーとが、笑顔で写っている写真が見つかります。あれは何なのですか。

    あの写真を見た人が、非常識だと考えるのは当然だと思います。首を切られるのが怖いので、彼らと過度に親しげな態度をとりました。私はただ、首を切られたくなかった。写真を撮ったのは、緊急的な行為です。今でも、もし、イスラム国に迷い込んだら、同じことをやるしかないと思います。

    ただ、そうしたことがイスラム国側には、好意的だと受け止められました。それで湯川遥菜さんが捕まった際、イスラム国から招待されたのです。

    ——常岡さんは、湯川遥菜さんと後藤健二さんがイスラム国に捕まっていた2015年1月22日、イスラム法学者の中田考さんと記者会見をして、「イスラム国と交渉ができる」と訴えました。常岡さんはイスラム国と実際、どんな関係なのですか?

    あの記者会見は、湯川さんと後藤さんがこれから処刑されるという場面のものでした。私は当時、あの問題に関わっているイスラム国の幹部オマル・グラバ司令官と、連絡がつく状態でした。彼の上官が、人質問題を管轄していたのです。

    ——オマル・グラバ司令官とは、今も連絡がつくのでしょうか?

    いいえ。2015年の7月が最後の向こうからの連絡でした。内容は挨拶だけ。その後、こちらから何を聞いても答えてくれなくなりました。

    彼とはメッセージアプリのWhatsAppで連絡を取っていました。それも2015年10月を最後にオフラインです。ネットに接続している形跡がありません。もし今、イスラム国と交渉をしてくれと言われても、もはやできない状態です。

    ——それ以外にイスラム国とのつながりはなかったのですか。

    そうですね。接点は彼だけです。その彼がたまたま、湯川さんの問題と関わっていた。あの時点で望みは限りなく小さいという認識はありました。でも、ゼロでない限り努力すべきだと考えました。

    ——常岡さんについては、現地メディアが「イスラム国の通訳を務めた」と報道したそうです。イスラム国に対して、どういうスタンスなんですか?

    私はアラビア語ができません。メンバーでも支持者でもありません。私がイスラム国に関心がないと言ったのは、その考えに全く共鳴しないからです。

    私はイスラム世界を訪問して、1992年ぐらいからコーランを読み始めました。

    イスラム法学者の中田考先生と一緒に活動したこともありましたが、その主義主張には全く共鳴できません。今は中田先生からツイッターでブロックされ、Facebookでもフレンドを解除されています。

    私はコーランを読んでイスラム教徒になりました。イスラム国は、コーランに書かれていないことを他の人たちに強制しています。彼らの考えは、私が信じているイスラム教と全然関係がないものにしか見えません。

    ——今回、どうしてモスルに取材に行ったのですか?

    今回は元々、他の国で用事があって中東に行ったのです。それが上手くいかず待たされている間に、モスルの攻略が始まりました。

    日本には他にもベテラン・ジャーナリストがいますが、たまたまその人たちが現地に行っていないという状況もあり、急遽ノープランから現地入りすることにしてしまいました。

    ヘルメット、防弾チョッキを持たず、キーホルダーがカバンに入っていたのも、そうした準備不足が原因でした。

    ——旅券を返納した、という報道もありましたが、どういう経緯ですか。

    クルド自治政府はまだ捜査中で、私は容疑者です。仮に私がパスポートを持ったままどこかへいくと、クルド側の顔を潰すことになります。

    そのため私はひとまず旅券を返納して、日本政府の発行する帰国のための一時書類を受け取り、日本に帰国しました。旅券はバグダッドの日本大使館が預かって日本に送り、11月17日頃には私の手元に戻ってくる、と説明を受けています。

    ——日本政府は、どんな対応でしたか?

    とても親切に対応してくださいました。大使館の方は、バグダッドから現地に来て、帰国のための交渉をしてくれました。本当に感謝しています。

    ——常岡さんは、なんども拘束されていますね。

    そうですね。ただ、私は当局に捕まっていますが、一度もインサージェントグループ(反乱軍)には捕まっていません。今回もインサージェントグループについては、捕まらないようにしていました。しかし私にとって、クルド自治政府は危険な組織ではない、という認識でした。そこに対する警戒が抜けていました。

    ——取材は続けるのですか?

    モスル奪還作戦が続いているので、現場に戻りたいと考えています。

    現地政府は、捜査で「白」と分かれば入れてくれるでしょうが「濃いグレー」とか「黒」だと判断されると、入国拒否になる可能性もあります。私は黒も白も、全くの無実です。どうにか、信じてもらいたいです。