【ろくでなし子裁判】スプツニ子!さん「芸術家にとって『女性器を扱うな』は『この絵の具の色を使うな』と同じ」

    「性器イコールわいせつ、と短絡的に判断している1審判決は、芸術家の活動の可能性をあまりに狭めるもので、表現活動にとって大きな弊害となる」とスプツニ子!さん

    女性器をかたどった作品や3Dデータの「わいせつ性」をめぐり、東京高裁で争われている「ろくでなし子裁判」に、マサチューセッツ工科大学メディアラボ助教で、アーティストでもあるSputniko!(スプツニ子!)さんの意見書が提出された。【裁判の概要はこちら】

    意見書でスプツニ子!さんは、女性器をスキャンして作った3Dデータも、アート作品の一部と位置づけるべきだと指摘。そのうえで、作品の一部分を切り取ってわいせつ性を判断するのは間違いだ、と主張している。

    そして、「性器イコールわいせつ、と短絡的に判断している今回の(一審)判決は、芸術家の活動の可能性をあまりに狭めるもので、表現活動にとって大きな弊害となる」と、3Dデータをわいせつだとみなした一審判決を批判している。

    なぜ意見書を書いたのか——。新進気鋭のアーティストはBuzzFeed Newsの取材に次のように語った。

    芸術家にとって、女性器をテーマとして扱うなと言われることは、「この絵の具の色を使うな」と言われるようなものです。それは、「この絵の具の色は使ってはならない」と言われたまま、絵を描き続けなくてはならないのとすごく近い。

    女性器は、色々なもののシンボルとされています(男性器もそうですが)。ジェンダーの違いを表すシンボルとして、何かものが生まれてくる場所として、それを形として使えないままというのはおかしい。

    私自身にも、女性器が関わるアートのアイデアが10個も、20個もあります。このままだと、それを日本で発表できないというような、萎縮の要因になってしまいます。

    今回の裁判はすごく意義があるものだと思ったので、意見書の話をいただいて是非、と思いました。

    意見書ではもし今回、有罪になってしまったら、日本の芸術の未来はすごく悪くなる、という話を色々な芸術作品を例に挙げながらしました。

    これまでも大勢のアーティストが、男性器・女性器をテーマとした芸術作品を作っています。重要なテーマなので、自然と出てくるものなんです。そういった作品が日本に来たとたん、制約を考えなければいけないというのは、アーティストにとってつらいことです。


    以下、意見書全文を、スプツニ子!さんの許可を得て転載する。

    意見書 2016年8月16日

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    私は、現在、マサチューセッツ工科大学メディアラボで、メディアアートを研究対象としており、デザイン・フィクション研究室を主宰し、芸術家としても活動しているメディアアートの専門家です。メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用したり、新たな技術的発明によって生み出される芸術のことです。新しい3Dプリンターの技術を利用した女性器の3D画像を元にしてカヤックを制作するマンボートプロジェクトもメディアアートの一種であると言えます。私の略歴につきましては、別紙記載のとおり(省略)です。

    ろくでなし子さんに対する東京地方裁判所の判決が、メディアアートの分野に与える悪影響を懸念し、控訴審において是正されることを祈念して、以下のとおり意見を述べます。

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    私は、芸術の専門家でない裁判官が芸術性を判断することができるのか自体疑問に感じてはいますが、その点は、さておき、東京地方裁判所の裁判官が、アートの作品という概念を非常に狭く理解していることは、現代アートの常識から言えば明らかな間違いです。

    しかしながら、今回のろくでなし子さんの判決においては、裁判官は、「本件各データ自体からは、被告人が当時進めていた創作活動の一環、すなわちプロジェクトアートないしプロセスアートとしての芸術性ないし思想性を直ちに読み取ることはできない」「弁護人は、被告人による本件各データの提供以外の活動をも考慮して、本件各データの提供についての思想性や芸術性を判断すべきと主張するが、わいせつ性の判断はわいせつとされる電磁的記録自体について客観的になされるべきであり、電磁的記録外に存する事実関係がわいせつ性の判断の基準外に置かれる」と述べていますが、この記述は、担当した裁判官が現代のアートにおける作品の概念を全く理解していないことを明らかにしています。

    ろくでなし子さんのマンボートプロジェクトは、企画の立案、女性器のスキャニング、マンボート制作のための資金集め(クラウドファンディング)、ボートの制作、進水式に至るプロセス、プロセスを巡るコミュニケーションをそれ自体がアートであり、3Dデータの頒布はアートの一部を構成するものであり、3Dデータそれ自体と頒布行為だけを見て芸術性を判断することは間違いです。このような認識は、アーティストの間ではほぼ争いのない共通のものであると思います。

    裁判官が、ろくでなし子さんのマンボートプロジェクト全体を作品と捉えることなく、その一部の3Dデータだけを見て有罪判決を言い渡したことは大きな過ちであり、日本の芸術分野の危機だと考えています。

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    例えば、イギリスの巨匠アントニー・ゴームリー(Antony Mark David Gormley)は、2009年、トラファルガー広場に置く彫刻の依頼を受けたときに、広場に台座だけを用意し、インターネットで集めた2400人もの人に台座の上で10分間好き勝手に主張するなどのパフォーマンスをしてもらい、それをインターネットで中継するという作品を作りました。これは、彼自身の造形はないけれども、インターネットで集めること、集めた人が台の上に立ってパフォーマンスなどのコミュニケーションをすること、それを中継したこと、そのアーカイブや本が出来上がったこと、というプロセス自体が残りました。「one & other」というタイトルで行われたこのプロセス自体が作品なのです。

    また、ミランダ・ジュライというアーティストは、インターネット上で、子どもの頃に着ていた服を今の自分のサイズに作り直してアップしてとか、自分のほくろを線でつなげて星座をつくってアップしてなどと呼びかけて、その全体を公表していますが、そのプロセス自体が作品です。

    また、ソフィー・カルという女性が恋人に手紙で振られたときに、その手紙を周りの女友達たちに送って、解析してもらって、その解析した結果を展示したりしましたが、これも彼女自身の造形物がない、プロセスアートです。

    私自身、2011年に、「Tweet Me Love, Sputniko!」展というのをしましたが、これは、「スプツニ子っぽいものを持って来て。」と呼びかけてそれを皆さんに展示してもらったというものです。これもプロセスアートです。

    ですから、ろくでなし子さんが、3Dプリンターを使うこと、インターネットで人や資金を募集すること、それによって皆が動く、ということ自体が、プロセスアートであり、作品に他なりません。

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    また、今回の判決は、「本件各データは、いずれも、女性器の各部位や肛門などの部位がその細かいしわやひだも含め忠実に浮かび上がっていることに加え、女性器及びその周辺部のみをその対象としたものであることをも考慮すれば、本件各データが閲覧者に対し、実際の女性器を強く連想させ、閲覧者の性欲を刺激することは明らかであって、本件各データによる性的刺激の程度も強いといえる。」と述べており、女性器を象っているから有罪、と簡単に判断しているようですが、女性器だからわいせつ、という判断はあまりに時代錯誤で、これ自体芸術活動に危機をもたらすもので、日本の文化を後退させるものですらあります。

    芸術家にとって、自らの身体は一番自由に気兼ねなく、実験的な創作行為ができる素材なので、自らの身体の一部である性器を用いた表現ができないというのは、芸術活動の幅を狭めるものです。特に、性器は、男性・女性の役割、ジェンダーを分ける部位ですから、芸術家にとっては、最も身近な素材であるだけではなく、自らのメッセージ性を込めやすい部位です。

    私が2009年に作った「チンボーグ」という作品がありますが、これは、フロイトの考えが正しいのか、女性が男性器を身につけると心境はどう変わるのか、ということを検証するために、心拍数あがったら勃起するという機械を2週間身につけたという実験です。

    また、私が2010年に作った「生理マシーン、タカシの場合」という作品がありますが、これは、男性であるタカシが、女性の平均月経量である80mlを5日間かけてタンクから流血し、下腹部についた電極が鈍い生理痛を装着者に体感させる生理マシーンを実験的に制作し、それを身につけた男性の主人公が登場する映像作品を制作しました。

    これらも、より精巧なものにすれば逮捕されてしまう、というのでは、表現活動の可能性は狭められてしまいますし、アーティストは日本以外の国において表現することを選び、我が国は、アートの分野において後進国になってしまうでしょう。

    私は、「生理マシーン、タカシの場合」をニューヨークのニューヨーク近代美術館(MOMA / Museum of Modern Art)の展覧会や議論イベントでも発表したりしていますが、これを日本でできないというのでは、あまりにも活動が狭められてしまいます。

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    また、その身体表現がテクノロジーの発達によってどのように変わっていくかということは、芸術家にとって極めて重要なことであり、アーティストが新しい技術、ろくでなし子さんの場合には、3Dプリンタで自らの性器をスキャンして、自らの創作に利用しようとすることは自然なことです。

    例えば、生まれ変わる、ということをバーチャルリアリティで表現しようとしたとします。オキュラスリフトという体験デバイスによって、「生まれる」ということの体験として、女性の産道の中を通る体験やそのプロセスを実現しようとしたときに、もし女性器が写っていたら逮捕されてしまうのか、ということになれば、表現すること自体躊躇してしまうことになります。女性器そのものではなく、生まれてくるプロセス自体を重視して表現しようとしているのに、逮捕を恐れて女性器部分だけデータを消さなければならないのか、ということになってしまいます。

    海外では、プロセスアートは常識ですから、日本にいては逮捕されない無難なものしか作れないとなれば、芸術家は日本では活動しにくくなりますし、住みにくくもなってしまいます。これが日本の文化にとっていいとは思えません。今後、3Dプリンターでもバーチャルリアリティでも、身体を使う表現はどんどん出てくると思います。1回きりのステージパフォーマンスが、バーチャルリアリティを使うことによって、他の場所で再現できるようになる可能性もあります。そういったテクノロジーの変化がある中で、日本でクリエイティブコンテンツの規制があるから海外の作品は展示できないとか、日本国内ではこの作品は作れないということになってしまうことは、芸術家の自由な表現活動に極めて大きな支障となります。

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    このように、性器イコールわいせつ、と短絡的に判断している今回の判決は、芸術家の活動の可能性をあまりに狭めるもので、表現活動にとって大きな弊害となるものです。

    裁判官におかれては、日本の芸術分野を後退させることのないよう、芸術の重要性に十分配慮した基準を示していただきたいと思います。

    以上