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生き残った私は幸せになっていいのか? ある小説家が罪悪感を抱く人にこそ届けたい言葉がある

「どうしておれが残った?」震災を経験し、作家は生き残った人々の罪悪感に向き合うことを決めた。

誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたのか…
青年は、全国を放浪し、各地で死者を悼む。

『悼む人』、作家・天童荒太の代表作の1つだ。天童はこの作品で直木賞を受賞した。

執筆にあてた期間は7年あまり。死を悼む人の姿を描くことに没入し、作家自身もあらゆる死に向き合う時間を過ごした。

そんな天童だからこそ、書くことのできる物語がある。

2020年5月に刊行された新刊『迷子のままで』に収録された短編小説「いまから帰ります」。

大切な誰かを失ってもなお、なぜ私は今も生きているのか?直木賞作家は再び、生きることにつきまとう罪悪感と向き合った。(敬称略)

「どうしておれが残った?」

「いまから帰ります」の舞台は福島県浜通り。小説には、福島第一原発での事故以降、今も続く除染作業に従事する作業員たちが登場する。

ある人は家族と離れ離れになりながら、ある人はその地で暮らしていた日々を思いながら、作業を続ける。

天童は東日本大震災が起きて以降、幾度となく東北に足を運んだ。福島第一原発の中にも入り、現地の様子を見聞きする中で2015年に福島の帰還困難区域を舞台にした小説『ムーンナイトダイバー』を書き上げた。

なぜあれが起きた?どうしておれが残った?なぜあっちの町がなくなって、こっちの町は平気だ?誰が選んだ?何が違うと言うんだ?

(『ムーンナイトダイバー』)

2011年3月11日14時47分。その瞬間を境に、日常が一変した人々がいる。あの日から喪失を胸に抱いて生き続ける人々の物語を、天童は書いた。

今作の中にも、人々の心の中にある様々な喪失が静かに描かれている。ある人は息子を津波で失った。ある人は未だに故郷に帰ることができない。

幽霊でもいい、一目会いたい。そう願いタクシーを走らせ続ける人も登場する。

「自分の中で、『ムーンナイトダイバー』で語り尽くすことのできなかった何かがあったわけではないんです。でも、より普遍的なもの、生き残ったものの罪悪感である『サバイバーギルト』について表現したいと思いました」

「そうした罪悪感を我々はどう償い、そして次のステップへと穂を進めることができるのか。それが、今回の作品のテーマです」

作業員たちはタブーでもなければ、聖人でもない

そんなサバイバーズギルトを描く中で、除染作業に取り組む人々の姿を取りあげた背景にはある思いがある。

「原発の中も取材させていただく中で、そこで働いている労働者の息遣いを間近に感じました。防護服を脱げば、汗だくで、ぜえぜえと息をしている人もいた。そうした人々を間近で見て、この人たちの"真実"は誰が告げるのだろうかと思っていたんです」

福島第一原発やその周辺を取材する中で目にしたのは、原発の可否といった政治的な判断とは全く異なるレイヤーで、そこで暮らす人々の姿だった。

「除染作業も1つの労働で、その仕事をして生きている人がいる。彼らの存在はタブーでもなければ、聖人でもありません。彼らはその作業でお金を稼いでいるのも事実です。そんな彼らの姿を誰が表現して届けるのか、そこにこそ問題の本質があるのではと考えました」

辛いことは忘れて、前に進むべきなのか?

東日本大震災の被災地を訪れ、現場を目にするたび、「被害の大きさに圧倒された」。被害にあった人々の声に耳を傾けるたび、「この現場を描くことができるとしたら、それはノンフィクションだ」という思いが強固なものへと変わっていったと振り返る。

しかし、震災から3年が経過した頃、様々な報道を目にする中で小説が果たすことのできる役割を天童は見出した。

「3年が経過した頃から、辛いことは忘れて、次に進もうといったメッセージが少しずつ増えきた。テレビには以前のように店を構えることができた方が登場し、『がんばろう東北!』と声を上げる。そして、それを見て、日本中が『ああ、東北も元気になったんだね』と思うわけです」

「しかし、東北へ行く中で感じるのは、テレビに出ることができる人は元気になった人だということです。裏を返せば、まだ出てくることができない人は少なくない。テレビになんて映りたくないと思う人は山のようにいる。でも、その人たちのことは、忘れられていくんです」

テレビは映りたくないと言う人を映すことはできない。マスコミも、語りたくないと言う人の話を聞いて、書くことはできない。「それができるのは、小説だけだ」。

まだ光の当たっていない人々の声を可視化する。それが震災についての物語を書いた理由だった。

あまりに強い、元へ戻ろうとする力

私たちは喪失を分かちあうことができたのか?
天童は問いかける。

「復興」という言葉を掲げ、元に戻ろうとする力ばかりが強く働く。しかし、元に戻ることは不可能ではないか…

「あの日を境に、何かを失った人たちは、もう元には戻れないですよ。しかし、社会は失ったものを数字で捉え、過去の出来事にしてしまうことを求める」

「人々は元の生活に戻ろうと、土木工事などにお金を注ぎ込んだ。震災を1つの契機に、もっと違う形の生活を作ることができないかという方向には議論は進みませんでしたね」

立ち止まり、大切なものは何か向き合い、語り合うことは「全くできていない」。天童は言う。

復興という名の下、元通りの日常へと戻る力が強く働いた。そこで何よりも大きな力を発揮したのは経済合理性だ。復興すら「経済の一コマになってしまった」と考えている。

「生きている人たちは、幸せになっていい」

死は辛く、悲しいものなのか。

いや、「むしろ、もっとオープンに語るべきではないか」。

誰かの死を話題に上げないような配慮ばかりが行き届き、周囲は必要以上に慮る。そんな空気に、抵抗がある。

「誰もがいずれは死を迎えるし、家族や友人で誰も失くしていない人間なんて、まず誰もいないですよね。みんな、誰かしら失くしている。だから、きっと僕らは共有感覚を持って死を語り合えるはずなんですよ。死を通じて、僕らはもっと近づけるかもしれない」

2016年、テレビ番組のロケで宮城県気仙沼市を訪れたとき、ピリついた空気を肌で感じた。それは自分が生きていることへの後ろめたさなのではないかと振り返る。

重い空気を背に、その日、天童は言葉を発した。

「大切なあの人は、亡くなったのに、あるいはまだ行方不明のままなのに…私だけが幸せになっていいのかと、自分を責めるように考えていらっしゃる方がいます。でも、私は、生きている人たちは、幸せになっていいし…むしろ、幸せになることこそが失われた命に向けての、誠実な祈りになる、と思っています」

幸せになることが、死者への誠実な祈りになる。ふいに口をついて出た一言だ。その思いは今も変わらない。

たとえ書き方が変わっても…

生き残った人々が幸せになることを肯定したい。そんな思いはいつしか、天童の作風をも変えていく。

今作『いまから帰ります』の中で人々は後ろを振り返るためでなく、前へと進むために過去や他者の死と向き合う。読み終えたとき、残るのは、登場人物たちがそれぞれ未来に向けて歩み出す、たしかな予感だ。

震災を描くことや死を描くことと、暗い結末は決してイコールではない。

「きっとこれからも書き方は変わると思うんです。『いまから帰ります』で、こうした書き方ができたことは、自分にとってはすごく大きなことでした。1つの成長だと思う。深刻な話を深刻に伝えるのではなく、そこには明るい一面や楽しい一面もいっぱいあるんだという感覚の中で書くことが、これからは増えていくことを予感させています」

「でも、表現の形態が変わっても、扱うテーマは常に人間や社会にとって一番大切な部分もしくは一番脆弱な部分です。なぜなら、そこにこそ、我々が本当に幸せになるための鍵が隠されていると思うから。幸せになるためにも、そこにあるものを可視化し、見極め、何が必要かを語ることは避けては通れないと思っています」

直木賞を受賞し、ベテラン作家の域に達した今も、天童は表現する者として成長し続けたいと願っている。

「次に挑戦するのはSFです」、取材の最後そう打ち明けた作家は笑顔だった。