• medicaljp badge

「あの日、捕まって本当によかったよ」 4年の執行猶予を終え、高知東生は幸せを噛み締める

逮捕された瞬間、口をついて出たのは「来てくれて、ありがとうございます」という一言だった。

覚せい剤取締法違反で逮捕されてから4年。俳優・高知東生さんは今、「生き直す」と力強く宣言する。

9月末で執行猶予の期間も明けた。『生き直す 私は一人ではない』と題した著書では自身の壮絶な生い立ちも明かしている。

バッシングを受け一時は命を絶つことさえ考えた彼は薬物依存を取り巻く「誤解」をなくすため、第二の人生を歩み始めている。

「変化はない」と言える幸せ

執行猶予期間が明けて、何か変化はあったのだろうか?

そんな問いかけに高知さんは「日常生活の中で大きく何かが変わるわけではない」と笑顔で明かす。

「でも、『変化はない』と自信を持って言えることが最大の幸せなんだなと今は思うんです」

今年、56歳になる。逮捕されるまでは「変化のない自分に怯えていた」。刺激ばかりを求めて虚勢を張ってきた。

「『参りました』『負けました』『すみません』なんて言っちゃダメだと自分に言い聞かせ続けていたんです」

どんなことにも、「できる」「やれます」「かかってこい」という姿勢で向き合った。高知県から上京したからには、成り上がる。その一心で何でもした。「成功」を掴もうと必死にもがいた。

「嘘だってついてきたし、かましてきた。裏切りもしたし、泣かせもした。どんなことも、チャンスになるなら飛びつかないといけないと言い聞かせてきた。だって、チャンスはむこうからやってきてはくれませんから」

俳優として成功し、有名な女優と結婚してサクセスストーリーは見事完結したかに思われた。でも、芸能活動を休止して取り組んだサイドビジネスが上手くいかず、辛い気持ちを忘れるために薬物を使うようになる。

薬物との出会いは20代の頃、初めは憧れの先輩に気に入られるため何となく始めた。その後は距離を置いていた時期もあった。しかし、ビジネスに関する悩みが深くなるほどに使う頻度は増え、気付けば自分自身が飲み込まれていった。

失敗を経験した今だからこそ、俳優の大先輩からかけてもらった一言が心に響く。

「高知よ、一生懸命やり過ぎるなよ。全て60%でいいんだ。40%の余白を常に持て。バランスを保てなきゃ、いい芝居もできないし、いい人間にもなれないぞ」

自殺した母、嘘をついた祖母。不信感すらパワーに変えた

何が高知さんをそこまで成功へ駆り立てたのか。生い立ちに、そのヒントがある。

「自分の生い立ちについて、芸能界で生きていく上で一人で抱え続けて苦しんできました」

本名は大崎丈二。「高知東生」は芸名だ。

物心が付いた頃、家には父母がおらず、祖母が親代わりだった。一つ屋根の下、叔父一家と暮らす幼少期。肩身の狭さを今でも覚えている。

その後、現れた実の母との2人暮らし、母の口から父親だと明かされたのは地元・高知を代表する暴力団の組長だった。母親はほぼ毎日、夜遅くに帰ってくる。何度もタバコを買いに叩き起こされた。学校から帰ると、机にお金だけが置かれている日も少なくなかった。

そんな母親も高知さんが高校3年生の時に自殺。その後、実の父親はそれまで言い聞かされてきた暴力団の組長ではなく、別の組の組員であることがわかった。

「俺は愛されていない」
「俺の周りにいる大人は嘘ばかりつく」
「ふざけんな」

いつしか、大人への不信感が胸の内に広がっていた。

「そんな苦しさや憎しみをパワーに変えて、俺は生きてきました」

過去の辛い思いすらバネにしてきたが、芸能界での生活が長くなるにつれ、いつ自分の生い立ちがバレるかわからないという恐怖心を感じるようになったという。

バレたところできっと大きな問題にならなかったに違いない。でも、当時はそんな「もしも」が頭の中にこびりつき、消えることはなかった。

「高知東生」を怯えながら演じていたと彼は言う。

なのになぜ、ひた隠しにしてきた生い立ちを自分からさらけ出すことを決めたのか。

「あの日、薬物依存で捕まり、本当に大切なものをたくさん失って…『じゃあ、お前はこれからどう生きるんだ?』と自分に問いかけました。自助グループの仲間たちは俺に『生き直せ』って教えてくれた。なら、生き直すためにも自分がこれまで抱えてきた苦しさとしっかり向き合おうと思ったんです」

自助グループの仲間たちとつながり、それぞれの過去について率直に話をし続けるうちに「正直にありのままを話すことなんて全然問題ない」と考えるようになったことも背中を押した。

「そこまで話していいのか?」「なぜ、そこまで生い立ちを明かすのか」と思う人もいるだろう。そんな疑問を高知さんは「他の仲間に比べれば僕の人生なんて全然甘っちょろい」と笑い飛ばす。

「俺のお袋はたまたまネグレクトする状況に追い込まれていた」

何よりも僕は〈母に愛されなかった子供だった〉と証明されることが怖かったのです。〈母は母親であるよりも女であることを選んだ〉そう認めなくてはならないことが悲しかったのです。

(『生き直す 私は一人ではない』, 高知東生)

著書には自分の過去と向き合うことへの恐怖心が綴られている。でも、過去と向き合う中で高知さんが再確認したのは母から向けられていた愛情だった。

「薬物依存から回復するために受けているプログラムの中で、俺のお袋はたまたまネグレクトする状況に追い込まれていたんだって、ようやく整理することができた」

「あの時代にシングルマザーとして生きるっていうことはどれだけ大変なことだったのか…それを思えば、お袋なりに俺を精一杯育ててくれた。今は母の思いを素直に受け入れることができるんです」

過去を受け止めた今の気持ちを「55歳で成人式を迎えたよう」と彼は表現する。

「これまでの人生で作り上げてきた価値観や考え方を全部取っ払って、親からの愛も素直に受け入れた上で、ここからまた改めて社会へと出ていきたい。俺は今年、ようやく20歳になったのだと思います」

何歳であろうと生き直すことはできる。自助グループの先輩たちの生き様から、高知さんは学んだ。

心の「防弾チョッキ」を外して…

大麻所持で逮捕された伊勢谷友介さん、道路交通法違反(酒気帯び運転)で逮捕された山口達也さん。

依存症なのではないかと疑われる人の逮捕が大きく報じられたび、バッシングをものともせず、高知さんは「自助グループにつながってほしい」と呼びかける。

「自分がバッシングを受けた経験があるからこそ、逮捕された直後はどれだけ孤独になるかがわかる。引きこもって過ごす中で、心に『防弾チョッキ』を身にまとってしまうことも少なくありません」

「でも、早い時期に誰とつながるかがとても重要なんです。自助グループには彼らの苦しみや痛み、誰にも言えない気持ちに共感し寄り添うことのできる仲間がいます」

人生も折り返し地点。高知さんはこれから、どのように生き直すのか。

依存症を経験した人がその体験を著書や作品で伝える「リカバリーカルチャー」が日本で少しでも広まるよう、今は楽しみながら様々なことに挑戦している。

「普通の人よりもちょっと面白おかしい、ジェットコースターのような人生を経験したからこそ酸いも甘いもよくわかる。今年、56歳になる男が人生を振り返ることが誰かの役に立つならば、と思うんです」

「昔はどんなに寂しくても、寂しいと口にすることができなかった。でもね、今は俺は寂しいって正直に言えるんです。そうやって自分の思いを包み隠さず伝えられるようになったらね、今が楽しくて仕方がないんですよ」

「捕まって本当によかったよ」

「高知東生は変わった」
「昔の高知東生よりも今の高知東生の方が好き」

Twitterで寄せられる正直すぎる声には思わず苦笑する。そして、「俺も自分が嫌いだった」と断言する。

でも、自分なりに芸能界で必死に生きてきた。当時の自分の生き方を否定したくはない。

「あのときは一生懸命だったんだよな」、あの頃の自分にもしも声をかけることができるなら、そう伝えたい。

「俺みたいな人間が本当に生きてきてよかったのか?生きている意味なんてあるのか?って思うこともありましたよ。でもね、今は自分のことが大好きなんです」

もう、サクセスストーリーをひた走る「高知東生」という人間を演じるつもりはない。

「だから、あの日、捕まって本当によかったよ」

演技ではない。それは心の底から絞り出された一言に聞こえた。


高知東生さんをゲストに招き、ライブ配信番組を放送します

薬物の使用で著名人が逮捕されるたび吹き荒れるバッシングの嵐…誤解に基づく批判が回復を妨げています。
薬物依存とはどのような病気なのか、ゲストと一緒に考えます。

【番組概要】

「依存症は孤独の病 俳優・高知東生に聞く回復への道」

日時:11月13日(金)19:00〜20:00
視聴方法:Twitter(@BFJNews)でライブ配信

【ゲスト】
高知東生さん(俳優)

1964年高知県生まれ。1993年に芸能界デビューし、映画やドラマ、バラエティに多数出演する。2016年6月24日覚せい剤と大麻使用の容疑で逮捕。執行猶予判決を受ける。2019年3月より依存症問題の啓発活動を始める。2020年5月Twitterドラマ「~ミセスロスト~インタベンショニストアヤメ」で俳優復帰。2020年9月自叙伝「生き直す~私は一人ではない~」刊行。

松本俊彦さん(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長)
1993年、佐賀医科大学卒業。2004年に国立精神・神経センター(現国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所司法精神医学研究部室長に就任。以後、自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年より現職。日本精神救急学会理事、日本社会精神医学会理事。『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『薬物依存症』(ちくま書房)など著書多数。

田中紀子さん(公益社団法人ギャンブル依存を考える会 代表)
公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会 代表。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 研究生。祖父,父,夫がギャンブル依存症者という三代目ギャンブラーの妻であり自身もギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持つ。全国各地で家族相談会やギャンブル依存問題の普及啓発のための講演を行っている。2018年12月にはローマ教皇主催の「依存症問題の国際会議」に出席し,我が国のギャンブル依存症対策等の現状について報告をした。著書に「三代目ギャン妻(高文研)」「ギャンブル依存症(角川新書)」がある。

YouTubeでこの動画を見る

youtube.com