僕は“日本一恵まれた母子家庭”で育った。大企業の御曹司として生まれた作家が小説を通じて母へ伝えたいこと

    「母に対しても普通は直接言うようなことも、作品を通じて伝えたりして。母にとっては、この小説は僕からの手紙のようなものになっていたのかもしれません」

    「うちは『日本一恵まれた母子家庭』だって思うんです」

    こう明かすのは台湾在住の歌人で小説家の小佐野彈さんだ。帝国ホテルをはじめとするホテル事業やバス会社などを手広く手がけていた国際興業グループの御曹司として育ち、幼稚舎から大学院まで慶應義塾で学んだ。オープンリーゲイとしても知られている。

    4作目となる小説『僕は失くした恋しか歌えない』は自身の過去を交えた半自伝的な物語だ。きらびやかに見える経歴の影で、どのような体験を重ねてきたのか。

    小佐野さんに話を聞いた。

    「日本一恵まれた母子家庭」で育って

    ーー1年半ぶりの日本への帰国だと聞きました。

    そうですね。台湾は物理的に鎖国状態だったので、国内はすごく平和でしたが、台湾にとどまる日々でした。

    僕自身、旅が多い人生だったので、1カ所に1年半もとどまったのは人生で初めてでしたね。でも、むしろこれが定点観測をするチャンスになったのかもしれません。

    自分自身の過去について定点観測するという意味でもチャンスでしたし、家族について、自分の人生もしっかりと考えることができました。

    短歌の場合は色々な場所へ行って、色々なものを見て歌うことが多かった。旅をすることは短歌にとっては良い方向に作用していたと思うんです。でも、小説を書く上では一カ所に腰を押し付けて、定点観測することが良い側面もあるのかなとすごく感じましたね。

    ーー家族との関係についても、かなり細かく書かれています。ゲイであるということについて、「理解」しようとして空回りする母親と彈さんとのやりとりは非常にリアルです。

    世間一般で言えば、母子家庭は生活が苦しいことも少なくない中で、うちは「日本一恵まれた母子家庭」だって思うんです。

    ただ、どうしたって母親しかいないので、一人の親に依存してしまっている部分があるんですよ。心のどこかには、「この人に見放されたらどうしよう」っていう気持ちがあるのも事実だし、親子関係も共依存みたいになりやすい。

    正直、コロナで強制的に物理的な距離を得て、隔てられたことによって関係性も良くなったと思うし、客観的に自分のこれまでや家族との関係を振り返ることで自伝的小説を書くことができたと感じています。

    新しい小説や歌集『銀河一族』には、母がかなり多く登場してきます。

    母は連載中から小説や短歌を読んでくれていましたが、その度に「私ってこんな人だっけ?」とか「なんで私をこんなふうに書くの」「こんな内輪話を書いて、本当に面白いの?」って言うんですよね。

    実は母が近くにいる環境では、母に関することがなかなか書けなかった。

    それに母も自分の子どもが物書きになってしまった、ということを受け入れるためにも、この時間や距離が必要だったのだと思います。

    まったく連絡を取り合わないということはありませんでしたが、それでも電話はほとんどしなかった。

    たぶん母はこの連載を通じて、僕のことを見ていたんじゃないかと思います。

    もちろん小説を書くときは読者の方に向けて書いています。

    でも、母に対しても普通は直接言うようなことも、作品を通じて伝えたりして。母にとっては、この小説は僕からの手紙のようなものになっていたのかもしれません。

    自伝的小説が「母への手紙」に

    ーー小説を通じてコミュニケーションをする、というのはかなり特殊ですね。

    これは僕が歌人だからなのかもしれません。

    短歌って、「手紙」に似ているんです。

    古来から短歌は手紙として使われてきましたが、誰かに何かを伝える上では非常に婉曲的な方法です。そんな伝え方を日本人は万葉集の時代から続けてきた。

    僕も短歌を書くときは、誰かに宛てた手紙を書くように言葉を送り出しています。

    こういったバックグラウンドがあるので、今回の自伝的小説も母への手紙のようになったのかもしれません。

    ーー自伝的小説とはいえ、ここまで赤裸々な体験を書くには覚悟が必要だったのでは?

    それが意外と、折り合いはすんなりついたんです。

    これまで書いてきた小説にも、僕っぽいキャラクターを登場されてきました。だけど、どこかのタイミングで、作家は自分を見せ尽くす作品に取り組まなければならないとは常々思っていた。

    もちろん、いつまでも自分をネタに書き続けるわけにはいきません。小説家であれば自分が体験したことがない世界、経験したことのないことについても書けるようなる必要があります。

    でも、日本の小説文化においては、名だたる文豪たちも数々の私小説を書いてきた。プロの作家として生きていくのであれば、内面の告白は一度は通らなければいけない道なのだとも思います。

    ただし、短歌との違いを感じる瞬間はありました。

    短歌は告白性が強い媒体ではありますが、言葉に余白が多いので解釈を読者に委ねるところが多いのも事実です。読者には想像力を働かせてもらい、そこに書かれていない余白を埋めてもらう。

    だけど、小説はそうはいきませんよね。どうしたって告白は告白ですから。

    ーー作中では、主人公が高校時代、自分のセクシュアリティに悩む中で、友人の「アイコ」と多くの時間を過ごします。アイコは高校3年の夏に亡くなってしまいますが、このエピソードも実話をベースにしているのでしょうか。

    彼女のモデルとなった女性は、今はこの世にいません。

    亡くなって20年以上が経って、もう書いても許されるかもしれないと思い、今回の小説に彼女のことを書きました。

    同窓会でみんなが集まっても、もう彼女の話題って誰も口にしないんですよ。

    同級生が100人以上入っているLINEグループもあるけど、そこでも彼女の名前は一度も出てこない。どこか「腫れ物」のようなものになってしまっているんだと思います。

    アイコさんのことを書くべきかどうか、正直葛藤もありました。だけど、彼女がそこにいたんだということ、ハチャメチャなんだけどすごく魅力的な美しい女性がいたことを、僕は書き残したいと思ったんです。

    ある意味で、この小説は僕の心の中の棚卸しを助けてくれたのだと思います。

    離れ離れだった彼氏に伝えた「ごめん、ただいま」

    ーー自分のセクシュアリティがゲイであるということが、サークルの先輩づたいに思わぬ形で家族へ伝わるシーンも描かれています。もしも、時間を巻き戻すことができたなら、別の方法で伝えたいと思いますか?

    難しいですね。当時の自分には、わざわざ家族へ打ち明ける勇気がなかったのも事実ですからね。そういう意味では先輩に感謝している部分もあります。

    母はカミングアウトをする前から、僕のセクシュアリティについて薄々気付いていた部分がありました。そんな僕に対して「なんでこうなっちゃったんだろう」「わたしが悪かったのかしら」ってポロッとつぶやくこともあったんですよ。

    こういう言葉はじわりじわりと胸に迫るし、酸性雨で溶かされていくように心を削られていきますよね。

    だから、僕の場合は、ああいった形で自分がゲイであることが伝わり、むしろ救われた部分もあったのかもしれません。

    ーー現在のパートナーも小説の最後には登場しています。母親にも紹介することを決めたと書かれていますね。

    人物はデフォルメしていますが、あれもほぼ実話です(笑)

    3年間以上付き合っていて、うち1年半はコロナで離れ離れでしたが。こんなに腰の座りの悪い人間をずっと支えてくれる彼には、本当にめちゃくちゃ感謝しているんですよ。

    歌集に収載した「ごめん、ただいま」という連作でも帰国の場面をうたっています。

    帰るべき場所なれど未知なる故郷TOKYO 2020ゆき飛び立てり

    「友人が迎へに来ます」あたらしい嘘をかさねた舌乾きゆく

    一年半会はざる君よまだ僕の恋人であることをかなしめ

    上下左右五輪まみれの空港を統べるがごとく君は立ちをり

    付き合って三年(ただしそのうちの半分が嘘)ごめん、ただいま

    (『銀河一族』所収「ごめん、ただいま」より)

    俺の死に顔を看取るのはこの人だろう、この人と生きていくんだろうなという実感があります。