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「俺、マジでサッカー好きなんすよ」松田直樹の突然の死から10年。「目の前で誰かが倒れたら…」遺族が願うこと

元日本代表選手の突然の訃報から10年。遺族は悲劇を繰り返さないため、心臓の救命装置「AED」の重要性を発信し続けている。

「俺、マジでサッカー好きなんすよ。マジで、もっとサッカーやりたい」

背番号3を背負ったその人は、16年に渡ってプレーした横浜F・マリノスを退団するとき、こう叫んだ。

Jリーグベストイレブンに選ばれ、ブラジルを破ったアトランタ五輪代表やワールドカップ日本代表でも活躍した名DFの松田直樹さんは、愛するクラブを退団し、JFL(当時はJリーグの下のアマチュアリーグ)の松本山雅FCへ。その移籍は大きな話題を呼んだ。

しかし、松田さんは松本山雅での初シーズン中の2011年8月、練習中に突然、倒れた。心肺停止の状態で病院へ搬送され、2日後に息を引き取った。34歳だった。

突然の訃報から10年。遺族は悲劇を繰り返さないため、心臓の救命装置「AED」の重要性を発信し続けている。

突然の悲劇

あまりに突然の出来事だった。

2011年8月2日9時58分、松本山雅FCの練習中に松田さんは「やばい、やばい」とつぶやきながら、その場に崩れ落ちた。

周辺は騒然となった。練習を偶然、見学していた看護師が異変に気づき、救急車が来るまで松田さんの心臓マッサージを続けた。

当時のJFLの発表によると、救急車が到着したのは10時13分。救急車は、心臓に電気ショックを与えて救命する自動体外式除細動器(AED)を積んでいた。救急隊員がその場でAEDを使った。

10時50分、信州大学病院救命救急センターに到着した時、松田さんの心肺は停止していた。

病名は急性心筋梗塞。人工心肺装置を使い懸命の治療が行われたが、意識は戻らなかった。搬送から2日後、34歳でこの世を去った。

この時に注目されたのが、AEDの重要性だ。

心臓に異変が起きたときの救急処置は一刻を争う。AEDは、作動させて機械から流れる音声の案内に従い処置をすれば自動で心臓に電気ショックを与えられるため、医療従事者でなくても使える。近年は公共施設や駅などに設置される例が増えている。

しかし当時、AEDはJリーグの所属クラブでは設置を義務付けられていたものの、JFLでは義務付けられておらず、松田さんが倒れた現場にもなかった。

JFLは松田さんの死後間もなく、各クラブに試合会場と練習場でのAED設置を義務とした。

「悲劇を繰り返してはいけない」姉の思い

松田直樹さんの姉・真紀さんは群馬県内で働く看護師だ。

10年前、突然の知らせに車を飛ばして松本の病院に向かった。

「弟が練習中に倒れて、命を失うなんて…まさか、ですよ。でも、同じようなことが誰の身に、いつ起きるかはわからない」

直樹さんの死後、真紀さんはAED普及のために講習会を開くといった活動を続けている。

「もう2度と悲劇を繰り返してはいけない」「救える命を救いたい」という思いからだ。

「弟の場合、あの場にAEDがあればどうなっていたのか、それは誰にもわかりません」

「もしもAEDがあれば…という思いはしたくない。そんな思いを抱く人をこれ以上、増やしたくはありません」

設置数は増えたが…伸び悩むAED使用率

AEDは、どんな装置で、どんな重要性があるのか。

AEDの普及・啓発活動を行う公益財団法人日本AED財団で「減らせ突然死プロジェクト」に携わる本間洋輔医師に聞いた。

「日本では、年間約7万9000人が心臓突然死で亡くなっています。その多くは心臓不整脈が原因とされており、その不整脈を治すうえで非常に有効な治療法が、電気ショックを与えることです。AEDは、一般の方でも安全に電気ショックを与えられるようにした機械です」

電気ショックが1分遅れるごとに、救命率は10%ほど低下する。

救急車を呼んでから現場に到着するまで、日本での平均時間は8分40秒ほどだ。

本間さんは「単純計算ですが、8分で救急車が到着すると仮定すると、救急車を待っている間なにもしないと救命率は80%程度低下します。救急車を呼んで待っているだけでは間に合いません。現場に居合わせた人がAEDを使うことが重要です」と言う。

松田さんの場合、AEDを積んだ救急車が到着したのは、倒れて約15分後だった。

全国では今、約60万台のAEDが設置されていると言われている。普及率はこの10年で格段に上がった。しかし、ハード面の設備が進んでも、使える人がいなければAEDは役には立たない。

2020年度の総務省消防庁のデータによると、心臓の病気が原因で突然倒れた約7万9000人のうち、誰かが目撃している場所で倒れたのは、3分の1にあたる約25000人。

そのうち救命処置を受けたのは約14700人で、うちAEDを使用したのは1311人にとどまる。

2020年時点でのAED使用率は5.1%にすぎない。もしAEDが十分に活用されていれば、現在の4倍の人の命を救うことができるとの試算もある。

「AEDを使えば、もっと多くの人が助かったかもしれない。ですが、社会ではまだまだAEDが活用されていない状況です」

「一歩踏み出す勇気を」医師が願うこと

なぜ、AEDの使用率は伸び悩むのか。

本間さんは

1)AEDがどこにあるのか知らない

2)AEDの使い方がわからない、使うのが怖い

といった要因があると分析する。

「例えば今、AEDはどこにあるかと聞いたら、場所がパッと思い浮かぶでしょうか。AEDの存在自体を知っていても、どこにあるのか知らないといったケースは少なくないのではないでしょうか」

自宅で、あるいは職場で、もしくは外出先で、人はいつどこで倒れるかわからない。AEDが必要となる場面は突然訪れるからこそ、どこにAEDがあるのかを誰もが、すぐに調べられる必要がある。

AED財団は2019年に「AED N@VI」というサービスを公開。アプリ、もしくはブラウザからAEDが設置されている場所を写真と一緒に投稿でき、設置場所を検索することもできる。

AEDは設置しても、どこかで一括して登録する義務がないため、どこに何台あるのか現状を把握するのが難しい。こうしたサービスを通じて情報を集めてシェアし、誰もが瞬時にAEDを探すことができるようになることの重要性を本間さんは強調する。

しかし、AEDの設置場所がわかったとしても、いざというとき救命活動に取り組むハードルは依然として高い。

コロナ禍の今、対面での救命救急講習の多くが中止されている。

このためAED財団は、オンラインでの救命講習に力を入れている。8月9日には「全国でPUSH!」運動の一環で、1000名規模のオンライン講習会も開催される。

本間さんは「一歩踏み出す勇気を出してほしい」と訴える。

「誰かが倒れたとき、一番悲しいのはその出来事から目を背けてしまうことです。胸骨圧迫(心臓マッサージ)やAEDの使用はもちろんお願いしたい。ですが、出来ることはそれだけではありません」

「大丈夫ですかと声をかける、AEDがどこにあるのかを探す、そのAEDを取りに行く。救急隊を誘導する。もしくは救助している周りを取り囲んで人の壁を作る。一つひとつは些細なことですが、これらが誰かの命を救うことにつながります」

突然の知らせに「頭が真っ白に」

サッカー選手としての足跡を振り返ると、松田さんの活躍は「伝説的」という言葉しか思い浮かばない。

アトランタ五輪代表として日本の28年ぶり五輪出場に貢献。ブラジルの攻撃陣を封じ込め「マイアミの奇跡」の立役者の1人に。2002年日韓W杯で全試合にフル出場し、史上初のベスト16入りに大きく貢献した。そして、マリノスで長くチームの顔だった。

そんな松田さんの姿を、姉の真紀さんは、こう振り返る。

「直樹は小さい時は本当に可愛くて…でも、直樹が中学生の頃に私は勉強のために東京へ出たので、前橋育英高校そしてJリーグでサッカーをしていた彼は、弟というよりは、『別の誰か』のように感じるんです」

「お正月とかに会った時はやっぱり弟なんですけど、日韓W杯の時に応援に行って目にした姿は、プロサッカー選手そのものでした」

2011年6月12日のJFL前期第16節、アルテ高崎と対戦するため松本山雅は群馬を訪れた。

試合後、真紀さんは直樹さんと言葉を交わした。これが弟との最後の会話になった。

8月2日の朝、携帯を開くと母からの不在着信が何件も溜まっていた。折り返すと、それは直樹さんが練習中に倒れたことを伝える知らせだった。

「電話口で直樹は心肺停止状態だと聞きました。でも、その言葉が意味することがよくわからなくて…私は看護師なので、その言葉が何を意味するのか勉強していました。でも、その瞬間は頭が真っ白になりました」

松本へ車を飛ばす道すがら、頭の中にあったのは「目が覚めたときに何をしてあげるか」ということばかりだった。まさか、2度と目が覚めないとは思ってもいなかった。

群馬から松本へは3時間。向かう間、何度も真紀さんの電話が鳴った。誰かから連絡が入るたび、最悪の知らせではないかという思いがよぎり、体が震えた。

病院へ到着すると、主治医から「急性心筋梗塞」と病名の宣告を受けた。そこからの記憶は断片的だ。

「看護師さんだって泣いていんだからね。無理しなくていいんだよ」

入院先の看護師からかけられた言葉が、真紀さんを支えた。

「完璧でなくていいので、自分にできる事を」

直樹さんが倒れた直後、命を救うために懸命に胸骨を圧迫してくれた看護師がいたことを後から知った。

チームの仲間は救急車が到着し、搬送を開始するまで、ずっと直樹さんの名前を呼び続けていた。

「弟の命に誠意を持って対応していただけたということが、私にとってはせめてもの救いになりました。皆さんには本当に感謝しています」

そして、こんな出来事を繰り返さないために、せめてもの願いを口にする。

2度と悲劇を繰り返さないため。そして「もし、あの時AEDがあれば」という思いを持つ遺族が出るのを防ぐために、AEDの普及を進めることだ。

人間だれしも突然、心臓の不調の襲われる可能性があるのだ。

「うちの弟と同じようなことが誰の身に、いつ起きるかはわからない。目の前で誰かが倒れたとき、きっとその人は誰かにとっての大切な人なのだと思い出していただきたいんです」

「もし、目の前で誰かが倒れたら。それは誰かにとって大切な誰かです。その場に遭遇したら、とにかく一人ひとりが無理なく、できることをしてほしい。それは救急車を呼ぶことかもしれませんし、AED持ってきて!と叫ぶことかもしれません。もしくは胸骨圧迫をすることかもしれません。完璧でなくていいので、自分にできる事をして下さい。あなたの行動で救える命がある、と知ってほしいんです」

世界が目撃したAEDの力


2021年6月12日、世界のサッカーファンが、AEDの重要性を目の当たりにする場面があった。

各国で生中継された欧州選手権(EURO2020)のデンマーク対フィンランド戦。試合中、デンマークのMFエリクセン選手(29)が突然、ピッチ上に倒れたのだ。

チームメイトらが周りを囲んで回復を祈るなか、医師とスタッフはその場で、AEDなどの救命措置を施した。

エリクセン選手の命は助かった。病院に搬送された後に容態を回復し、数日後に退院した。

BBCによると、欧州ではこのあと、AEDが飛ぶような売れ行きを見せているという。


日本でのAEDの利用率は現在、5.1%。私たち一人ひとりがAEDについてしっかりと知り、何かが起きた時に使えるよう準備をするだけで救える命が増えます。

松田直樹さんの死から10年。BuzzFeedではこの夏、改めてAEDの普及を進める大切さを伝える記事を配信します。