「これが18歳の僕と…ライオンです」子どもが最初に犠牲になる社会の闇を映画に

    自らが生まれ育った街を舞台にした映画でアカデミー賞にノミネート。ドキュメンタリーを撮り続けてきた中で、なぜフィクションに挑戦することを決めたのか。

    自身初の長編映画で、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた監督がいる。

    フランスで生まれ育ったラジ・リだ。

    映画の舞台はパリ郊外モンフェルメイユ。ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもある。

    着任したばかりの警官と同僚らが街のパトロール中、誤ってゴム弾で少年を撃ってしまう。それが次第に大きなトラブルに発展し、やがて地域の少年たちは警察官へと牙を剥く。

    移民と、移民への潜在的な偏見を抱えた警察組織の対立を通じ、移民問題と格差などに揺れるフランス社会の緊張を描いたストーリーだ。

    監督自身、映画の舞台となったモンフェルメイユで育った。その過程で自ら見聞きしたことをもとに、現実に即したストーリーづくりにこだわった。

    「レ・ミゼラブル」、誰もが知る名作文学と同じタイトルを冠した、この作品に込めた思いは。

    「これが18歳の僕と…ライオンです」

    「僕自身が見てきた現実を、一人の証言者として正確にあぶり出すことを目指しました。自分自身が体験したことを、見たままに証言したかった」

    現実に起きたことをベースに映画を作ることにこだわった理由を、ラジ・リはこのように説明する。

    映画にはライオンをサーカスから盗むという描写が登場する。

    「これが18歳の僕と…ライオンです」、そう語り彼がiPhoneで見せてくれたのは1枚の写真だ。

    「当時はかなり大騒ぎになって、警察がきたり、メディアでも大きく取り上げられたり大変でしたね(笑)」

    一見、フィクションにしか思えないようなこのシーンすら、現実に起こったことをベースに組み立てられている。

    17歳でカメラを手にした

    リ監督は今作で初めて、フィクションに挑んだ。

    カメラを手に取るきっかけは2005年、フランスで起きた移民たちによる暴動だった。

    3人の移民の若者が警官に追われて変電所に逃げ込み、2人が死亡。この事件を発端に暴動はフランスの様々な都市へと飛び火していく。

    暴動にただ参加するのでなく、カメラを手に彼らの姿を撮ることを選んだ。

    「僕の中では、暴動の様子をカメラに収めていたことが単なる傍観者であることを意味していたとは思っていません。僕自身も暴動の一人の参加者として、あのうねりに寄与していたつもりです」

    「暴動を起こした人々と心は常に共にあった。あれが僕なりの参加の方法でした」

    いつかはフィクションの映画を撮影したい、幼い頃からの夢だった。そのためにも、ドキュメンタリー作品を撮ることでスキルを磨くことを意識してきたという。

    「ドキュメンタリーはなかなかテレビで放送してもらえない。放送してもらえたとしても、所々カットされてしまったり…オーディエンスに届きにくい現実を感じ続けてきました」

    そうした歯がゆさをこれまで感じ続けてきただけに、今作がアカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたことで感じる手応えもより一層大きなものとなっている。

    「アカデミー賞の賞レースに参加しただけでなく、様々な国で高い評価を得ることができました。これまでやってきたことが、これほど大きなインパクトと共に届いたのだから、これまでの道のりは間違いではなかったと確信しています」

    フランスではエマニュエル・マクロン大統領も鑑賞し、話題となった。政治家にもこの映画は届きつつある。

    子どもが最初に犠牲になる

    2018年のサッカー・ブラジルW杯で20年振りの優勝を果たしたフランス代表。映画は自国の代表チームの優勝に歓喜する人々の姿から始まる。

    同じ青色のユニフォームを着て、国旗を振りかざし、国歌「ラ・マルセイエーズ」を口ずさむ。

    ここが110分の中で唯一、人種を超えた結び付きを感じさせるシーンと言っても過言ではない。時計の針が進んでいくほどに、理想の姿とは程遠い現実があぶり出されていく。

    「実のところフランス人が人種に関わらず一丸となることのできるイベントは、W杯くらいなんですよ。終わってしまえば、みんなの心もバラバラです」

    リ監督は1998年のフランス代表優勝の瞬間も良く覚えている。この20年の間に社会情勢は「悪化したのではないか」。率直な思いだ。

    特に胸を痛めているのが、子どもたちを取り巻く環境の変化だという。

    映画の中で子どもたちは重要な役割を担っている。冒頭のシーンやクライマックスなど重要なシーンで常にスポットライトが当てられているのは子どもたちだ。

    「この映画は子どものことを語っています。子どもたちについての映画だ、と言っても過言ではない」、そうリ監督は断言する。

    イタズラをはたらき、笑顔を浮かべる子どもたち。一見、無邪気に見える彼らだが、目の前にある現実は想像以上に厳しいものだ。

    「モンフェルメイユという貧困地域に生まれ、どのような未来が彼らを待ち受けているのか。補助金がどんどんとカットされていく中で、彼らはどこに向かうのか。子どもたち自身も未来に不安を抱いています」

    「こうした社会で、最初に犠牲になるのが子どもたちなのです」

    悲惨な人々がいる現実を

    モンフェルメイユに住む人々の生活の悲惨さは、ビクトル・ユゴーの「レミゼラブル」で描かれた悲惨な人々そのままだと、リ監督は語る。

    だからこそ、悩んだ上で「おこがましいとは思いつつ、今作をレミゼラブルと名付けた」という。

    クライマックス、子どもたちは権力の象徴でもある警察に対して牙を剥く。だが、映画は明確な答えが示されることはないまま幕を閉じる。

    その真意とは?

    「映画を見る人も、テレビ番組を見る人も、全てを説明して欲しい人ばかり。わかりやすい答えを作品が示してくれたなら、観客は考える必要がありませんし、楽ですよね」

    「でも、僕はあのラストシーンの後に何が起こり得るのかをみんなに考え、意見を戦わせて欲しい。だからあえてガイドをすることはしませんでした」