僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの

    今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する社会学者・岸政彦さん。「よくあるイメージ」を壊して、「普通の大阪」や「普通の沖縄」を描くような仕事をしてきた彼が描く東京とは。


    「東京の存在を、ずっと忘れて生きていたんですよね」

    50歳近くなって、その社会学者は、東京という街と「出会い直した」と言う。

    大学進学を機に、大阪へ移り住んだ。大学院で調査のフィールドに選んだのは沖縄だ。観光で沖縄を訪れ、ハマっていった。20年以上経った今も、沖縄の階層格差や沖縄戦の記憶に、人々の語りを通じて向き合う。

    社会学者・岸政彦さんは今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する。耳を傾けるのは、今、東京に暮らす人々の語りだ。100人程度の語りを収録することを目指している。

    東京に生きる「普通の人」の語りが聞きたい。岸さんは、こう口にする。「普通」を定義しづらいこの時代に、それでも、あえて「普通な東京」を描くことに挑む。

    「東京タワーって本当にあるんだ」

    活躍の場を広げるきっかけとなった一冊『断片的なものの社会学』を世に送り出したのは2015年のこと。2016年には小説『ビニール傘』が芥川賞候補作に。あれから、5年。東京のイメージが変わった。

    5年ほど前まで、東京という街は僕にとって、ものすごく遠いものでした。

    足を運んではいたけど、東京はいつだって、ものすごく遠くにある街。自分とは関係なしに、そこで勝手にルールが決められ、そこで作られたテレビが大阪に流れてくる。メディアやイメージ、流行や経済がそこで作られる。僕らを支配するだけの抽象的な存在として捉えていたんです。

    僕、関西ってね、独立国家みたいなものだと思っていて。大阪は首都みたいなものなんですよ。そこでは、地べたで暮らす人々の肌触りを感じることができる。リアルな暮らしが、そこにはある。

    大阪に根を下ろして暮らして、京都の大学で教えて、調査をしに沖縄へ行く。そんな生活の中で、東京の存在をずっと忘れて生きていた。

    ただ最近、出版やメディアの仕事で、東京という街へ行く機会が急激に増えてきた。そこで僕は、東京を再発見したんです。

    ああ、新宿って本当にあるんだ。渋谷って本当にあるんだ。東京タワーって本当にあるんだ。登れるんだ、触れるんだなって思ったんです。ああ、ここにも人が住んでいるんだって。当たり前の話なんだけど、改めて気がついたっていうのかな。そうするとね、途端に「ローカルとしての東京」に興味が出てくるわけです。

    抽象的な記号の、ポストモダン的な何か。「メディアとイメージと記号の街」みたいなことに興味はありません。そうではなく、実際に人が住み、そこで仕事をして、恋愛をして、喧嘩をしていたりする。「地べたとしての東京」が見えてきて、「ああ、生活史をここで聞きたいな」って思ったんです。

    これまでもね、大阪や沖縄における「よくあるイメージ」を壊して、「普通の大阪」や「普通の沖縄」を描くような仕事をしてきたつもりなんです。いつだって、自分の目に入っている大阪や沖縄を描いてきました。

    例えば沖縄でも、いわゆる沖縄なイメージの、伝統文化や音楽やリゾートだけではなく、普通にマンションに住んでいる公務員の方の生活史を聞きたい。そういうものこそ、僕にとってのリアルです。

    小説を書く際、描くのは大阪の街です。でも、そこでもフォーカスするのは道頓堀ではなく、大阪の西側、荒涼とした港と埋立地の風景です。

    だから、「東京の生活史」を聞くといっても、港区のグローバル企業で働いているキラキラした人や下町でもんじゃ焼き屋をやっている地元の江戸っ子のような人だけに話を聞くのではなく(もちろんそうした方々の話も聞きたいですが)、普通に暮らしてる人に話を聞きたい。普通って何かようわからへんけど。

    工場や建築現場で働いている人や地方から移り住んだ人、小さな駅の小さな会社で働いている人。大学や専門学校に通いながら、コンビニでアルバイトをしている人。もちろん、いろんな意味での「少数者」の方々。

    描きたいのは映画「ブレードランナー」や漫画「AKIRA」の中で描かれているようなキラキラした、グローバルな東京じゃない。

    表現したいのは「何の特徴もない街の美しさ」

    彼の目に、東京はどのように映るのか。描きたいのはキラキラした東京ではない。提示されたのは思わぬ地名だ。

    僕ね、東京で一番よく行くのが浜松町なんです。浜松町にある小さなビジネスホテルを常宿にしていて、通っているうちに愛着が出てきた。いま、東京で一番好きな街なんです、浜松町(笑)。

    もう、浜松町に住みたいとすら思う。

    浅草や月島のような情緒ある下町でもなければ、世田谷の住宅地でもないし、港区のタワマンでもない。ファストフードやチェーン店しかない浜松町が良いんですよ。

    モスもあって、マクドもあって、上島珈琲だってある。吉野家の隣にすき家や松屋も並んでるしね、そこがすごく好き。特徴がないのが好きなんですよ。昔から、そういうものに惹かれますね。

    銀座や新橋で飲んで酔っ払うと、よく浜松町まで歩いて帰るんです。周りは何の特徴もないマンションやオフィスビルだけが並んでいる。その道を一人でポツンと、とぼとぼと1時間くらい歩く。

    途中にはファミマがあるし、タクシーも通っていて、浜松町へと近づいていくと、ビルの間から東京タワーもチラチラと見えてくる。いつもたまらない気持ちになります。

    僕が描きたい東京は六本木や銀座、丸の内、渋谷でもなければ、中野や下北沢でもない。あの浜松町なんです。あまり表現されることのない、何の特徴もない街の美しさ。あの街には、そんな美しさがあると思う。

    僕の小説の舞台はいつも大阪です。そこでも「普通の大阪」を描いてきた。

    最初の小説『ビニール傘』を書いた時も、「文学でこの辺を書いた人はいなかった」「大阪の西半分、埋立地が続く殺伐とした風景を描いた作品はなかった」って言われました。みんな、大阪らしいところを描いてしまうんでしょうね。

    自分でも忘れていたけど、20代の頃、当時すでに絶滅しかかっていた8ミリカメラで映画を撮ろうとしていたことがありました。その作品は途中まで収録をしたのですが、主演の女の子と連絡が取れなくなってしまって……。それっきり撮れなくなった。

    そのロケ地はね、大阪港の埋立地が続くエリアでした。たぶんね、俺、殺伐としたところが昔から好きだった。「普通の大阪」って、それだけで美しいんです。

    沖縄でも、再開発された「おもろまち」のエリアを歩くと、ああ、沖縄だなって思う。何の情緒もない、シネコンとショッピングモールと、あとマクドが並んでいる通りがすごく好き。

    「いいな」と思うところが、人と大幅にズレているんでしょうね。

    「かけがえのないその人本来の語り」はあるのか?

    だから、実は「本当の大阪」「本当の沖縄」みたいなものには、あんまり興味がないんです。「本当の〇〇」というものを追求し始めると、どんどんと原理主義になって行きませんか?

    大阪であれば道頓堀とかヨシモトとかだんじりとか。沖縄なら、伝統文化やディープなところ。どれだけディープな〇〇を知っているかを競う人たちっているでしょう。

    でも、そうした本質的とされるところに興味はないですね。だって、そんなに個性的じゃないやん、僕ら。みんな、そんなにドラマチックなとこで生きてないですよ。

    独自の道を歩んでいる人なんて、そんなにいない。それに、他の誰かに独自の道を歩めとも言えないでしょう。やっぱり、みんな、大抵は人から認められる「普通の幸せ」になりたいんじゃないかな。

    世の中一般における、ドミナントな価値観には抵抗していきます、抵抗していかなくてはいけないとも思う。家父長制やジェンダー規範はその最たるものです。

    でも、同時に、「世の中の規範から外れたところに、かけがえのない個人の人生がある」という言葉もすごく嫌いです。

    そもそも、僕は「かけがえのないその人本来の語りを聞き出そう」だなんて思って、生活史を聞いてない。だって、その人の「本当の気持ち」なんてわかるわけないやん。そうやろ?

    「たまたま出会った人から、どうやって本当の気持ちや人生そのものを聞き出すんですか」ってよく聞かれますよ。どうやっているんですか、と。

    いや、技術なんてね、ないんですよ。俺、うなずいているだけだし(笑)。

    80歳、90歳の人に3時間話を聞いて、わかるわけなんてないやん。90年一緒に生きないとわからない。90年かけないとわからないでしょ。

    だから、俺は人間の本質とか、その人の人生そのものを聞こうなんて思ったことはない。たまたま隣り合ったおっさんの話が面白い。それでいい。たまたま出会った人から、たまたま聞いた話。それで十分やん。

    別にね、かけがえのないものを求めて、生活史を聞いているわけではないんですよ。

    私たちは、それぞれの調査のなかで、さまざまな人びとに、そして語りに出会ってきた。語りというものは、切れば血が出る。それは生きているのだ。私たちがおこなっているのは、そこで暮らし、生活している個人に直接お会いして、その言葉を聞き取るという作業である。もちろんトラブルも多いし、相手を傷つけてしまうこともある。また逆に、自分たちが傷つくこともある。しかしそれでもなお、フィールドワーカーたちは現場に赴き、人びとと出会おうとする。

    それは、人びとの声というものが、思想や理論の言葉よりも、「よりリアルで、おもしろい」からである。(『atプラス28号 <特集>生活史』)

    人の人生は、切ったら血が出る

    振り返ってみた時、社会学者として、そして小説家として書いてきたものは常に一貫していた。今この瞬間も、人は「普通の人生」を生きている。だからこそ、あらゆる人の語りに耳を傾けたい。区別すら、したくないという。

    私には幼稚園ぐらいのときに奇妙な癖があった。路上に転がっている無数の小石のうち、どれでもいいから適当にひとつ拾い上げて、何十分かうっとりとそれを眺めてたのだ。広い地球で、「この」瞬間に「この」場所で「この」私によって拾われた「この」石。そのかけがえのなさと無意味さに、いつまでも震えるほど感動していた。

    統計データを使ったり歴史的資料を漁ったり、社会学の理論的な枠組みから分析をおこなったりと、そういうことが私の仕事なのだが、本当に好きなものは、分析できないもの、ただそこにあるもの、日晒しになって忘れ去られているものである。(『断片的なものの社会学』)

    この「東京の生活史」プロジェクトでも、ちょっと表現するのが難しいですが、「いろんな人々の、何でもない話」を聞きたいんですよ。

    僕みたいな仕事をしていると、うまく言えないけど、「マイノリティちょっといい話」を聞きたがる人がいる。そういう仕事は全部断ってます。あと、同時に、「マイノリティすごくかわいそうな話」を期待されることもある。そんな仕事も絶対にしません。

    自分では、自分なりに「差別」や「マイノリティ」の研究をしてると思ってます。だから、今回の企画も、できるだけいろんな人々に話を聞きたいと思う。でも、そういういろんな人々の、普通の語りを聞きたい。

    うまく言えない(笑)。本当に普通の語り。「普通」って何かわからへんけど。それは僕にとって、「小石」のようなものです。埋もれてしまうような、小さな、そして多様な。

    でも、それを「作為的」に、「意図的に」集めてしまうと、だいぶおかしなことになる。

    この企画のおもしろい、そして大変なところは、語り手じゃなくて聞き手を集める、ということです。それは大きく言って二つの意味があります。

    「東京の生活史」プロジェクトでは、100人くらいの人の語りを残したい。そう思った時に、1人では無理だなと思いました。沖縄戦の調査をしていますが、ひとりでやってて、5年の間に話を聞くことができた人の数は55人です。

    それに生活史のインタビューって、ぶっちゃけ誰にでもできる。俺じゃなくてもできるんです。だから、聞き手を公募することを決めました。それがまずひとつ。

    そして、この聞き手の公募には、実はもう1つ大きな理由があった。それは集める語りを作為的にしたくないというものでした。

    ここに登場する語りが、もしも全て健康な日本人男性によるものであったとしたら……。それは逆に非常にいびつな、偏ったものになりますよね。

    でも、その逆、例えばいろんな属性や指向性をもった「マイノリティ」を、たとえば人口から計算して比例配分するようなことをしたら、それは本当にダメでしょう。いろんな「マイノリティ」を並べて、何かの「見本市」のようにしてはいけない。

    人の人生っていうのは、やっぱり切ったら血が出るものです。とても重い。その重みを持ったものを軽々しく並べてはいけない。もちろん、それでもたくさんの生活史を「並べて」出すわけですから、その「責任」は私が取りたいと思います。それでも、どう言えばいいか難しいですが、東京という都市の「ミニチュア版」を作ろうとしたら、たぶん失敗するんじゃないか。

    代表性なんて、どこにもない。個人の語りなんて、偶然の集まりでしかないですから。だから、聞き手を集めてきて、その聞き手にお任せすることで結果的に集まった語りを並べるようにしようと。聞き手の募集には、そういう意味があるんです。

    どういう本になるかというと、集めた語りに、解釈も説明も一切つけない。語りだけの本です。そういう本になる。

    それぞれの語りをカテゴリーに分けることすらしたくない。聞き手の五十音順でもいいですし、何なら番号を振るだけでもいい。

    こういう本の目次って「26歳・女性・OL」とか、「58歳・男性・在日コリアン」とか、その属性や指向性を並べちゃう場合がある。でも、今回はそれすら一切書かへん。ジェンダーすら最後まで読まんとわからん感じにしたい。

    個人の語りが偶然集まった本。それはまさに、都市における出会いそのものじゃないですか。僕らの出会いって、それそのものがすごく偶然なもの。電車で隣に座ることも、カフェで隣に座ることも、仕事で一緒になることも、全て偶然。

    だから、出来上がる本そのものも、東京のあり方を、いわば「実行」するものにしたいんです。この本の作り方そのものが、「偶然で成り立っている」という都市の構造を反復するものになっている。そういう本にしたいと思っています。

    実際どうなるかまったくわかりませんが……(笑)。