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「家族の中での僕の評判は非常に悪かった」 仕事に“全集中”なアナウンサーが、病気になって気付いたこと

「病気をして、がんになって良かったと思うことはひとつもない。でもね、悪いことばかりじゃないとも感じています」

「悪性リンパ腫」を患い、闘病生活を送ったフリーアナウンサーの笠井信輔さん。

病気となった中、新型コロナの影響で頼ることができるのは家族だけの状態に。期せずして進んだのは、家族との関係修復だった。

闘病生活を著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』にまとめた笠井さんに、がんになって家族について考えたことを聞いた。

これまでは仕事に「全集中」だった

ーー著書ではご家族も度々登場し、笠井さんの闘病生活を支えています。病気を患い、家族との関係性に変化はありましたか?

実は50歳を超えた頃から、家族の中での僕の評判は非常に悪かったんですよ…

子どもは3人、うち2人はすでに成人しています。子どもたちが小さい頃は自分なりに育児も頑張ってきたつもりでした。

でも、子どもに手がかからないようになってくると、自分の気持ちはアナウンサーとしての立場やスキルをどうやって向上させていくかということへと集中してしまったんです。

話題の「鬼滅の刃」的に言えば、まさに仕事に“全集中”(笑)。

そうやって家族のことを振り返らずに仕事をしていました。

「何でそんなに働くのか」「お父さんはとても頑固になってしまった」と家族には言われ続けてきました。

そんな中で突然の入院です。家族みんな優しくなりました。やっぱり家族は大病をすると優しくなるものなのかと思って、妻にその話をしたら「そうじゃないよ」と言うんです。

ーー何と言われたのですか?

「あなたが変わったから、みんなも変わったの」と。

僕が病気になって、家族の中で一番弱い存在になってしまった。コロナの影響もあって、家族以外は誰もお見舞いに来ませんから、家族しか頼る人がないんです。

だから、僕も気付かぬうちに家族に頼るようになり、彼らの言うことに耳を傾けるようになったようです。

そんな僕の姿を見て、そういうお父さんならば、と救いの手を差し伸べてくれました(笑)。

セルフロックダウンの日々の中で

僕は今回、悪性リンパ腫になって家族というのは「合わせ鏡」なのだと知りました。

自分がきつく当たれば、むこうもきつく当たってくる。自分が優しくなれば、むこうも優しくなる。

結果的に、家族関係はかなり修復されたんです。

ーー退院してからも家族との関係は変わらず順調なのでしょうか?

はい。退院後も、新型コロナウイルスへの感染を防ぐために、部屋から出ることを避け、自主隔離生活を送っていました。

お風呂とトイレ、それから散歩以外では自分の部屋からは出ない。

そんな生活を送る中でも、子どもたちがマスクをした上で、僕の部屋に入ってきて、ゲームをしたり、会話をしたり、ただただ無駄な時間を過ごしてくれたんです。

子どもたちも家にいる時間が長くなっていました。妻はちょっと厳しい人なので、子どもたちも息が詰まってしまう瞬間があったのかもしれません。

子どもたちが大きくなってからは、そんなことをしたことはなかった。いわゆるセルフロックダウン状態の中で、「家庭の幸せ」というのはこういうことを言うのかもしれないなと気付かせてもらいました。

がんになり、「悪いことばかりじゃない」

ーー他にも何か変化はありましたか?

家族との向き合い方で言えば、ちょっとしたことに気を付けるようになりました。

今までは「ご飯ができたよ」と声をかけられても、後から行くから先に食べていてって伝えることも少なくなかった。

でも、今はもう走ってリビングへ降りていきます。もう、すっかり変わりましたよ。

病気をして、がんになって良かったと思うことはひとつもない。でもね、悪いことばかりじゃないとも感じています。