たった1、2年で誰かの人生を変えることなんてできない それでも25年、若者の自立支援を続けた理由

    ボランティア時代も含めると25年、自立援助ホーム「あすなろ荘」で若者の自立に伴走し続ける恒松大輔さん。彼らが退居しても、毎年誕生日カードを送り続ける。

    「自分で出たいと思ったタイミングが社会に出るタイミングです。ここを出たからといって、縁が切れるわけではない。僕らの支援って彼らがここにいる間だけのものではないので」

    そう語る恒松大輔さんは、ボランティアとして11年、職員として14年にわたって自立援助ホーム「あすなろ荘」を巣立つ若者を見守ってきた。

    自立援助ホームは何らかの事情で家庭にいることができなくなった15歳〜20歳の若者に暮らしの場所を提供している。入居するかどうかは、あくまで個人の選択だ。

    児童養護施設を退所した後に入ってくる若者、何らかの事情で児童養護施設を離れて入ってくる若者、これまで施設や里親など社会的養護で支援されることなくきた若者など多種多様な人々があすなろ荘へ入居してくる。

    自立援助ホームに入居した若者は昼間は働いてお金を稼いで自立へ向けた準備を進めながら、寮費を払って生活をする。あるなろ荘の寮費は1ヵ月3万円。さらに毎月5万円の貯金をすることが、ここで生活する上でのルールだ。

    あすなろ荘のある東京都清瀬市の家賃相場が約5万円。退所した後も家賃のために働く時間を増やすといったことをしなくてもしないように済むための、ちょっとした工夫がそのルールにはある。

    関わることができるのは1、2年。そこだけで人生を変えることはできない。

    自立援助ホームへ入居する若者はここ4〜5年で大きく変わってきた。大きな変化の一つは、社会的養護の支援を受けることができなかった若者の入所が増えていることだ。

    これまでは児童養護施設から入居するケースが多かった。しかし、現在では自力で家を出て入居するケースが増えている。2013年に厚生労働省が発表した「児童養護施設入所児童等調査の結果」によれば自立援助ホームに入居する47.1%は他の社会的養護のもとで保護されることなく、家庭から直接入居している。

    そうした若者の多くが、児童相談所や福祉事務所がリーチできないところで長くネグレクトや様々な虐待に苦しんできた。発見が遅ければ遅いほど、負った傷もより深い傾向にある。

    「社会的養護を経て入居する子たちは心身の傷の手当をされてきたうえでここにたどり着きますが、これまで発見もされてこなかった子たちは何の手当もされることなく、いきなり働けと言われてしまう」

    「もう親に頼って生きることができない、頼れる場所はないと腹をくくっている子たちは、ちょっと心配になるくらい一生懸命働くんですよ」

    現在の入居者は男性1人、女性3人の合計4人。原則として20歳の誕生日の前日まで生活をすることができる。決められた期限のなかで、どれだけの時間をここで過ごすのか、いつ巣立つのかは人それぞれだ。

    「ここでその子に関わることができるのは、たかだか1年〜2年。そんな短い時間で誰かの人生を変えることなんて、できるわけがないんですよ。困ったときに相談できる、なんとなく連絡してみようと思える関係性になれればいいなって。実家みたいにね」

    あすなろ荘は毎年、住所がわかる退所した人々に誕生日カードを送っている。ある職員との1対1のつながりしかない場合、その職員が退職してしまった途端につながりが切れてしまう。だから、たとえ顔を知らない職員でもそこには祝福のメッセージを一言書くのが決まりだ。

    「退居した後でも、いつでも頼ってねって言っても、知っている顔の方が相談しやすいのは当たり前ですよね。それに、人間関係なので相性だってある。だからこそ、ここにいる職員みんながその子のことを知っている必要があるんです」

    「僕らはいつでも見守っている」そんなメッセージを一通一通に込めて、毎月送り出す。時には、こうした便りがきっかけで退所者と連絡を取ることもあるという。住所が変わってしまっていて送り返されてくるようなときは、小さなSOSだと捉えて恒松さんは見逃さない。

    「どうしても連絡をとらなくてはいけないときは、こちらからガンガンいきます(笑)。電話はするわ、メールは送るわ、LINEはするわ。いたるところから連絡を取ろうと試みます。そういうときって、たいてい都合が悪いときなんですけど」

    必死のアプローチの甲斐もあって、多くの退居者とつながり続けることができている。しかし、なかには行方不明になるようにパッタリ連絡が取れなくなってしまった人もいる。

    いまでもふと、そうした退居者の顔が頭をよぎる。思い出しては、ときどきGoogleやYahoo!の検索欄にその子の名前を入れてみる。もしかしたらFacebookくらいはやっているかも、そんな一縷の望みを託して。

    「ここにきてよかった」ある退居者のメッセージ。

    部屋を借りるときなど、施設の誰かが連帯保証人になることはできない。本当に必要な場合を除いて、お金を貸すこともない。辛うじてできるのは、緊急連絡先に施設の電話番号を指定してもらうことくらいだ。

    「この仕事を長く続けてきて、手応えがあったかどうかと言われたら…全くないですよ。この先、ここを巣立った子たちがどうなっていくか100%はわからない。答えなんてないですからね」

    それでも支援を続けてよかったと思える瞬間はある、と教えてくれた。

    25年という時間のなかで、退居者もそれぞれの人生を歩み続けている。そのなかには家庭を持ち、子育てをしている人もいる。子どもを連れて遊びにきてくれることも増えてきた。

    「あすなろ荘に来てよかった、って言ってくれる子がいるんです。ここと出会っていなかったら、自分はどうなっていたかわからないって。その言葉を聞くことができただけで、あと5年は頑張れます」

    愛されて育った子どもですら自立には20年かかる。だからこそ、施設を出た後も支援は続く。

    「独り立ちをするとき何よりも大きいのは、いざとなったら帰ることのできる場所があることですが、ここを巣立つ子の多くはそんな後ろ盾を持たずに社会へと出て行きます。出身の児童養護施設や自立援助ホームへ帰ってきて1日〜2日過ごすことはできても、そこにはもう自分の部屋もベッドもない」

    「後ろ盾がないぶん、彼らは毎日必死に前だけを向いて走っています。でも、それがふとしんどくなる瞬間がある。なんで、こんなに頑張らなきゃいけないんだ?って」

    仕事を休むこと、仕事を辞めることは収入に直結する。生活費を稼ぐことができなくなると住居を出て行かなくてはいけない、住所不定だと仕事が見つからない。しかし、仕事がなければ住居も見つからない。ひとたび負の循環へ足を踏み入れると、抜け出すのは簡単ではない。

    「児童養護施設であれば18歳、自立援助ホームでは基本的に20歳になれば出て行かなくてはいけない。でも、そこで支援が終わるわけではない」

    「愛されて育った子どもですら、20年かかってやっと自立することができる。本来であれば生まれた瞬間から、家庭での自立支援というのは始まっているんですよ」

    5歳で保護されればそこから20年、16歳で保護されればそこから20年とそれぞれのスタートラインから20年間は支援を続ける覚悟が必要だと語る。

    「結局のところ、アフターケアという言葉は施設にいるかいないかの線引きでしかありません」

    「あすなろ荘を出て行くとき、誰に対しても伝えるのはここを出てもあすなろ荘との縁は切れないということ。たとえ、彼らが縁を切ったとしても、こちらから切ることは絶対にありません」

    退居して巣立つ瞬間、恒松さんは決まって「いってらっしゃい」と声をかけて送り出す。巣立っていく若者がいつでも帰ってこれるように。


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