できない理由ばかり頭に浮かんでない? 「アマチュアの心」を持ち続ける科学者が伝えたいこと

    「『科学的』は武器になるだけでない。人を豊かにすると思うのです」

    物理学者、早野龍五。

    福島第一原子力発電所の事故後、情報が錯綜する中で、積極的に情報を発信してきた。

    東京大学を定年退職後、一転してビジネスの世界へ。株式会社「ほぼ日」でサイエンスフェローを、音楽教育に取り組む「スズキ・メソード」では会長を務める。

    コロナ禍で改めて「科学的」な姿勢が問われる今。BuzzFeed Newsは、新著『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』を出した早野さんに話を聞いた。

    「巻き込まれる人生というのも捨てたものではない」

    Yuto Chiba / BuzzFeed

    早野龍五さん

    ーー新著『「科学的」は武器になる』は、ビジネス書というジャンルで、科学的な事柄についてもわかりやすく記されています。なぜ、このような形式となったのでしょうか?

    実はね、僕はもともと、自分がどのようなキャリアを歩んできたのかを書いたところで、誰が読むんだと思っていたんですよ。

    この本の企画は、僕の東大での最終講義からスタートしています。

    あの日の最終講義は今でもYouTubeで見ていただくことができますが、小柴ホールという非常に大きなホールに、様々な方が集まりました。

    半分は僕の専門分野である物理学の関係者。でも、残り半分はそうではない人々でした。

    そこで、僕は65歳で定年するまで、自分はどんな研究をしてきたのか、その道のりはどのようなものであったか、そして震災後にどのような取り組みをしてきたのかをお話させていただきました。

    僕は長年でジュネーブのCERN研究所を舞台に、世界を相手に研究者として戦ってきました。しかし、10年前にいきなり世間に引きずり出されて、人生が変わった人間です。

    高井潤

    世界から世間へ、あの日の最終講義でもお話した要素がこの本には記されています。

    「アマチュアの心で、プロの仕事をする」ということ、面白がりながら仕事をすること。これは、最終講義でお伝えしたメッセージですが、この本を貫くひとつのテーマになっています。

    そして、もうひとつが「巻き込まれる」ということです。

    科学者が書いた本には往々にして、最初から「これがやりたい」という明確なゴールがあり、そこに向かって一直線に進み、その道を究めるというストーリーが登場しますよね。

    それはいかにもなサクセスストーリーですが、僕の場合は決してそのような道のりではありませんでした。

    研究している最中に、他の誰かに巻き込まれ、本来取り組むつもりでなかった事柄に取り組むということが何度もあった。

    だからこそ、言えるのは「巻き込まれる人生というのも捨てたものではないぞ」ということです。

    「これをやりたい!」という目標を明確に持って、それを追求していく人生というものを良しとする風潮がありますが、社会のあらゆる人がそうした道を歩むわけではない。

    世の中の人の役に立つというのは、必ずしも自分がこうなりたいと思い描いていた形で実現するとは限りませんからね。

    それにね、「巻き込まれる」ためにも、それなりの要素を自分の中に持ち合わせていなくてはいけないんです。

    僕は「人からお声がかかるうちが華だ」と思うので、何かに巻き込まれそうになったときには、なるべく逃げないようにしています。

    「それは何の役に立つのか?」と問われ…

    早野龍五さん提供

    1978年、バンクーバーとロスアラモスを往復していた早野さん。現地で一緒に働いていた研究者との写真。

    ーーてっきり早野さんは順風満帆な人生を送ってきたものだと思っていました。本の中でくすぶっていた時代のことが書かれていて驚きました。

    僕にだって、そういう時代はありましたよ(笑)

    下世話な言葉で言ってしまえば、「この道で食っていけるのか」と30代後半までは悩んでいました。

    僕のような基礎研究に取り組む科学者は、必ず誰かに「それは何の役に立つんですか?」と尋ねられます。

    「役に立たないでしょうね、きっと」

    今ならば、こう答えるでしょう。

    研究を続けていると、上手くいけば、時々仲間内で褒めてもらえる結果を残せたり、メディアの方に面白がっていただけることがある。

    でも、そうではない時期が続くと…「自分の存在意義はどこにあるんだろうか」と、どうしたって考えてしまうものです。

    Lionel Flusin / Getty Images

    スイス・ジュネーブにある「欧州合同原子核研究機構(CERN)」で、早野さんは長年、反物質を探究する国際共同実験グループのリーダーを務めた。

    物理学の研究のサイクルはそれほど短くありません。2年から3年かけて、ようやく結果が導き出されるようなものばかりです。

    2年から3年、自分の時間を費やしたのに空振りした時には…もう「どうしたものか」と考え込んでしまうんですよ。

    僕らの場合、大抵の研究は国の予算や大学の予算などを使って行います。ですから、尚更プレッシャーも重くのしかかる。

    そして科学の場合、研究を行う前に何を検証するかを公に宣言してから取り組みますから、失敗してしまえば一目瞭然です。

    ダメだったならば、思うような結果は出ませんでしたと、正直に言わざるを得ません。

    世界の中で自分が今どれくらいの位置にいるのか、ということもわかります。

    例えば、臨床現場のお医者さんなら、目の前にいる患者さんをどう治療するかということに毎日向き合うわけで、そこにはより確かな手応えがあるのではないか…

    一時期は、そんなことばかり考えていた。隣の芝生はいつだって青かったんです。

    僕は大学時代、何度も医学の道へ進もうか悩みました。ですから、何度も「やっぱり医者の道へ進むべきだったか」と後悔したものです。

    アマチュアの心を失うと、出来ない理由ばかり頭に浮かぶ?

    Yuto Chiba / BuzzFeed

    ーー本の中には「アマチュアの心で、プロの仕事をする」という言葉が何度も登場します。指導教授であった山崎敏光さんのこの教えが、腑に落ちたのはいつ頃のことでしたか?

    この言葉は、それはもう何度も擦り込まれたもので、この瞬間にパッと腑に落ちたというものではないんです。

    プロになる過程で、様々な辛いことがあり、その中でじわじわと理解していった言葉でした。

    誰しも最初はこれをこうやれば面白いかもしれない、なんて考えてはワクワクするでしょう。でも、多くの人は徐々にそういった気持ちを失っていきますよね。

    なぜそれを始めたのか、といった根っこの部分をキープすることは思った以上に難しい。プロになっていくうちに、できるかどうかを考えるよりも先にできない理由を説明できるようになってしまう。

    なぜこれはダメなのか、なぜこれはすべきでないのか。こういうことがまず頭に浮かんでしまったら、それはアマチュアの心を失っているということなのだと、僕は思います。

    どんな仕事であっても、誰だって最初からプロであるはずがありません。誰しもアマチュアを経てプロになる。

    プロになっていく中で、「面白がる」ことを忘れないことが僕は大切だと考えています。

    科学の世界でも、何か新しい取り組みをしようとすれば、「それは〇〇だからダメだ」と指摘する人の方が圧倒的に多いのも事実です。

    でも、それが人生の一部をかけてでもやる価値がある、これは本当に面白いと思ったのならば、走り出せる力を持つことも大切ではないでしょうか。

    面白いね、と言えるというのは実は相当に高度な才能で。僕はその能力を磨きたいと、ずっと思ってきた。

    色々な仕事に就いている人と話していても「ああ、この人は面白いことを面白いと言える人だ」と思う人からは様々な感動を受けるので、自らもそうあり続けたいと思っていました。

    「科学的」は武器になるだけでない

    早野龍五さん提供

    1994年、米国ブルックヘブン研究所にて撮影。一番右が早野さんの恩師・尾崎敏さん。

    ーー「科学は間違えるが、いずれ『間違っていた』と必ずわかる」とも書かれています。「科学的」であるために、この点は非常に重要なポイントであると感じました。

    科学も決して万能ではないということです。

    「科学」という箱があり、そこに何かを入れると自動で正しい答えが出てくるようなものではありません。人間の営みである以上、バイアスがかかることもあれば、間違えることもある。

    同時に科学は不断に検証されながら進歩していくものです。間違いであったとしても、それは多くの場合、無駄ではありません。進歩していく中で、間違いはいつか正されていきます。

    それが科学の素晴らしいところであり、そのような営みを積み重ねていくことが非常に重要です。

    僕はこの本の中で「文学部物理学科」ということについても書きました。

    先ほどもお伝えしましたが、科学も人間の営みなのです。

    例えば僕の場合、幼少期に取り組んでいたバイオリンや大好きな歌舞伎、日本画、古典文学といった様々な要素が一体となって、「早野龍五」という科学者を形作っています。

    これまで、他の科学者と一緒に共同研究に取り組む際も、僕はその人の科学的実績「のみ」を判断基準とすることは避けてきました。むしろ、その人が醸し出す人柄、教養のようなものを大事にしてきた。

    日本では、高校時代に文系と理系に分かれることが一般的です。そして、文系へ進んでしまえば「科学とは無縁」と信じ切っておられる方が実に多い。

    でも、文系の道を選んだ人であっても「科学の進歩で、そんなことがわかるのか!」と科学に感動する場面はあるのではないでしょうか。

    少なくとも僕は、そうやって感動する瞬間があってほしいと願っています。

    「科学的」とは、理系の人間のためだけのものではないのです。

    僕のような「理系人間」も文学作品を読んで涙を流し、音楽を聴いて心を揺さぶられます。

    同じように「文系人間」を自認する方々も、科学が積み上げてきた成果に驚き、感動することがもっとあっても良いのではないでしょうか?

    「科学的」は武器になるだけでない。人を豊かにすると思うのです。



    Contact Yuto Chiba at yuto.chiba@buzzfeed.com.

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