「どこ見てんのよ!!!!」
この人と言えば、最初に頭に浮かぶのはやはりこの決め台詞だ。
ブレイクしたのは2003年。「ロンドンハーツ」「エンタの神様」「ロンハー」「笑っていいいとも!」出演してきたテレビ番組は数知れない。
2008年に結婚、2年後に出産。離婚し、今は娘と2人で暮らす。
青木さやかさんは8月、パチンコがやめられず借金がかさんだ過去を明かし、注目を集めた。
今はギャンブルを「やめている」。何かの拍子に再びハマる危うさを自覚しているからこそ、決して「やめられた」とは口にしない。
「パチンコ屋さんへ行くとすごく気持ちが落ち着いたんです」
かつてパチンコのことばかり考えていた時代がある。25年くらい前、実家のある名古屋(本当は名古屋市ではない)にいた頃から。毎日ダルくてバイトに行くにも起きられなかったのに、パチンコを打ちに行く時は違う。新台オープンの為に張り切って早朝に起きた。目覚まし時計より早く起きることができたものだ。
パチンコにハマっていた20代の日々を振り返り、青木さんはこうエッセイに記した。
「特にギャンブルに関しては、『すごい、こんなことまで言うの?』って友達に言われたり、『イメージが変わりました』と言っていただくこともあるんですけど、別に私にとっては大したことじゃないですよ(笑)」
インタビュー中、彼女は何度も笑顔を見せる。意外なほどにあっけらかんとしていた。
パチンコは恋人の影響で始めた。名古屋で芸人デビューを果たした頃、付き合っていた男性とより換金率が高い店でプレイするため、朝早くに起き、電車を乗り継いで店へ駆け込むことも少なくなかった。
その後、彼と一緒に上京。家賃8万5000円の中野のアパートで東京生活がスタートした。
「とにかく芸人として売れたかったけど、仕事はない」。時間だけが過ぎていった。
「とりあえずネタを書かなくてはいけないけど、宿題みたいなものでやりたくないわけですよ。ネタを考えるぞと言ったところで、急に出てくるものでもないし」
「でも、同い年の女性で集まって恋愛の話をするような楽しい気分でもないし、お金もない。何となく孤独で。そんな時、すごく賑やかで、1人だけどみんながいるパチンコ屋さんへ行くとすごく気持ちが落ち着いたんです」
身も心も乾ききっていた私を温かく迎えてくれる場所はあった。夏は涼しく、冬は暖かく、席を用意してくれている。人はいるが私には特に興味もなく、その距離感が実に居心地のいい場所。中野南口のパチンコ屋である。常連中の常連といっても過言ではない。
(『34 だから、私は、結局すごくしあわせに思ったんだ』, 青木さやか)
気が付けば朝からパチンコ屋へ足が向いていた。朝9時に起き、パチンコ屋の前に並ぶ。「常連中の常連」だった。
家にいて暇な時にはパチンコのプレイ動画をずっと眺めて時間を潰した。
一緒に朝からパチンコをしていた先輩が先に売れ、忙しい先輩に代わってパチンコを打ってお金をもらったことも。
ギャンブルまみれの日々だった。
100万円を超える借金、約束を破り続けた日々
ギャンブルにはまり、あっという間に借金は100万円超に。
親からの借金だけでは足りず、消費者金融からもお金を借りた。消費者金融で「おろしてきた」3万円はすぐに消えていく。
いつしか消費者金融でお金を借りては別の返済にあてるようになっていたという。
生活費すらままならない中で、消費者金融で借りたお金がなくなる。その時は「意識が遠のくくらいわけがわからなくなった」と振り返る。
だが、パチンコで当たった瞬間だけは、絶望が希望に変わった。その興奮が好きだった。
気付けば、付き合っていた彼氏に嘘をついてまでパチンコを打つように。見つかれば「もうパチンコへは行かない」と約束するが、すぐに破る。彼の言葉を「真剣に聞いてはいなかった」。
「当時、またパチンコへ行って、見つかってしまっても『約束を破ってしまった…』なんて反省の気持ちはありませんでした。嘘をついて、パチンコを打ち続けていた。あの時の自分は最低だったなって、今では思います」
「パチンコ屋の前で見つかってしまったりすると、もうね笑っちゃうんですよ。『また見つかってるよ、私』って。だって、当時はパチンコをやめる気なんてない。そんな私の態度に彼も我慢できなかったみたいで、気付けば私の元から離れていきました」
ここまでパチンコにはまっていたのに、今では打つことはない。何が彼女を変えたのか。
ギャンブルへの依存を「抜け出せたわけではない」、青木さんはそう強調する。
「急に忙しくなって、行く暇がなくなった。だから、全然抜け出せたわけではないんですよね」
「テレビの収録の合間に六本木のパチンコ屋さん行ったりもしてましたよ。どこに行くの?ってスタッフの方に言われて、『パチンコ屋さんに行ってきます』って伝えると、『お前、売れてるんだからさ…』『一人で行かせられないよ』って言うから一緒にパチンコを打ちに行ったりもしました」
時間が許すならば「閉店までいたい」。1時間から2時間、パチンコ屋で束の間の時間を過ごすたび、そう思った。
そんな中、売れていくにつれて、いつしかパチンコに対する興奮も変化した。
「1日ずっと打ち続けて、勝った時には10万円くらい稼げる時もありました。でも、芸人として売れたら1日10万円稼ぐということの興奮が減ったのも事実です。もはや、その10万円によって生活が助かる!という喜びが減ったんでしょうね」
自分を受け入れてくれた騒がしい空間から、自然と足が遠のいていった。
パチンコには「今も行きたい」
パチンコには「今も行きたい」。青木さんは断言する。
だが、同時に「あの時、売れて、忙しくなって助かった」とも明かす。
「今もパチンコに行きたくないわけではない。だから、忙しくなってよかったとも思うんです。だって、あの先にはきっと破滅しかなかったと思うから…」
当時は性風俗の世界で働くことも考えるほど、借金の返済に追われていた。
「バイトで暮らしていたのに当時結構大きな借金を作っていましたから。30歳になる手前の頃かな、もう体を売るしかないと思って…でも、どの店の求人を見ても年齢的なラインを超えていた。今の自分は人妻系の店でしか働けないって知ったときは世の中ってシビアだなって思い知らされました」
ブレイクし、借金を返済。消費者金融の担当者は売れっ子芸人の「上客」を離そうとはしなかったが、もう消費者金融には頼らないと決めた。
消費者金融の店舗で担当者と一緒にカードにハサミを入れた時、こみ上げてきたのは悲しみだった。
「あの日は、なんかすごく悲しかったんですよ。何かが終わった感じがしてね。返済をしないと消費者金融の人たちは厳しかったけど、あのカードが私の命をつないでくれたから」
青木さんは自らの意思でギャンブルから距離をとったわけではない。だから、あえて「今はギャンブルをやめている」と表現し続ける。
「私はもうギャンブルをやめました!って胸を張って言えるほど立派な人間ではない。いつも自分で自分のことを見張っていないと、とても危ういと思っています。だから、『今はやめている』というのが正しい表現だと思います」
「私はギャンブルに限らず、自分がベストだと思っている以上の時間を何かに突っ込んでしまう危うさがあると思っています。でも、今は仕事もしているし、子どももいるし、いろいろなことを良い配分でやっていきたいって思っているんです」
「自分は役に立っているのか?」抱え続けた不安
テレビ番組に出ている頃、「自分が本当に役に立っているのか」と常に疑問だった。
「たとえ出演した番組での自分の仕事がよくなかったとしても、『今日はありがとうございました!』『またお願いします!』って言われる世界じゃないですか。それに視聴者の声も基本的には伝わってきません」
「役に立ちたいと思っていても、実際はどうかわからないですよね。だから、自分は役に立ってないかもしれないなと思いながら、やってきた。それは、つらかったですね」
バラエティ番組で「どこ見てんのよ!!!」と声を張り上げていた頃ですら、不安はつきまとう。自分のネタに自分が一番早く飽きた。
青木さんはこれまでの生き方を振り返る中で、その生き方を「他人軸な生き方」と表現する。「他人軸」とは自分が何をしたいのかということよりも、相手が自分に何を求めているのか、何を評価してもらえるのかを考えること。
周りから何を求められているのか、常に意識し続けた。
「誰かにお願いされたわけでもないのに、私は役割を演じる。なのにその番組の役に立ってすらいない。そんなわけのわからないルーティーンにハマってしまって悩むこともありました」
そんな経験を積み重ね、少しずつ生き方を変えた。
「他人の評価を意識して生きることは悪いことではないと思います。でも、私は私の娘に誰かに評価されなくても自分軸で生きてほしいと思うから、私もこれからは自分が何をしたいのかを考えて生きていこうと思ったんです」
「私は1つでできていないと言える状態でいたい」
「昔は仕事しかしていなかったし、仕事が全てでした。仕事で成功するためには何もかも諦めないといけないとすら思っていた」
プライベートやその他の様々なことには少しずつ言い訳をして、妥協を重ねてきたという。
「『まぁ、これくらいでいいかな』『このくらいにしておこう』ちょっとずつ言い訳しながら生きてきたんですよ。でも、『いやいや、ちょっと待ってよ!』って感じですよね?そんなに簡単に諦めていいの?って」
「色々なものを諦めるのはやっぱり違うかも知れないな、と。だから今は仕事もプライベートも何もかもベストを目指したい一度の人生なんだから!と思って、もう一度チャレンジしているところです」
ちょっとでも社会の役に立ちたい。彼女の中に長年くすぶっていた思いは、仕事とプライベート以外の新たな関係性へとつながった。
娘の出産でお世話になった助産師のつながりで、今では犬や猫の保護を行うNPO・twfの会の活動にも参加している。それをきっかけとして「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」という有志での集まりを立ち上げ、「ペット関連に携わる人達をつなぐ接着剤のような役割になれたら嬉しい」と。
もっと犬や猫の保護について知ってもらうため、「今はもっと影響力がほしい」。仕事以外でのつながりが、目の前の仕事に専念するためのエネルギーをくれた。
「いつか仕事を卒業し、娘も巣立った時に、友達もいないし、やりたいこともないとなるのは淋しいです。だから私の横には色々なものがあって、いろんな関わりがあるという状況を作っていきたいんです。それは犬や猫のこと、近所付き合い、ボランティア、学校関連。その一つひとつはとても大切です。私は1つだけでできていないと言える状態でいたいんです」
今も昔も、「本当の自分」を出して生きる
自身の体験を赤裸々に伝えることはマイナスなイメージにつながるのでは?
そんな率直な意見を周囲の人からもらうこともあったのは事実だ。だが、むしろ、この選択が自分にとってはプラスだと青木さんは捉えている。
「私は過去の自分がギャンブルに依存していたことを認めることで自分を見張ることができる。それに芸能界で活動している分、公表すればもっといろんな人が見張ってくれるじゃないですか(笑)。私にとって、いろんな人が見張ってくれるのは良いことなんです」
「ああ、また今日もやっちゃった」
「10万円も使っちゃったよ」
ギャンブルをするたび積み重ねた後悔は二度と味わいたくはない。
「後悔ってすごく長引くんです。あの気持ちを味わうくらいなら、誰かに常に見張られているってありがたい。それくらいギャンブルに関しては、自分はダメだなと思っています。やり過ぎ注意なだけで、本当はうまくギャンブルと付き合っていきたいんです」
「本当の自分を出すこと」に躊躇はない。むしろ、これまでやってきたことと何も変わらないはず、と青木さんは笑う。
インタビュー中、質問を何度も反芻し、時に考え込みながら言葉を口にする姿が印象的だった。「本当の自分」を伝えることへの強い気持ちが、そんな姿勢にも垣間見える。
「そもそも、青木さやかというタレントはすごく曝け出して生きてきたじゃない、もともと本当の話をしてきたじゃないって思うんですよ」
「未熟なりに、タレントとしていつでも『本当の自分』を出してきた。だから、タレント・青木さやかは支持して頂けたのかなと思うんです。ならば、ギャンブルに関しても曝け出してしまった方が良い。それに、『ギャンブルにハマりやすい人間です』ということは隠すほどのことでもないでしょう。弱い自分を見せることは自分がラクになることでもあります」
【ギャンブル依存等で悩む人のための相談窓口】
・公益社団法人ギャンブル依存症を考える会:070-4501-9625(相談専用電話)
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