安倍政権で広がった社会の分断。ネットの「わかりやすい民意」に反応する政治は今後も続くのか?

    安倍晋三首相が8月28日に辞意を表明した直後、SNS上では安倍首相を支持する言説と、強く批判する言説の2つが鋭くぶつかり合った。政権の評価を巡る二極化した反応自体も、安倍政権下で生まれたものなのか。そして、今後はどうなるのか。

    安倍晋三首相が8月28日に辞意を表明したあと、SNS上では安倍首相を支持する言説と、強く批判する言説の2つが鋭くぶつかり合った。

    「第二次安倍政権の7年8カ月の間に社会の分断が拡がった」との指摘もある。それは事実なのか。事実とすれば、どのような分断なのか。政権の評価を巡る二極化した反応自体も、安倍政権下で生まれたものなのか。今後は。

    BuzzFeed Newsは、社会学者で東京工業大学准教授の西田亮介さんに話を聞いた。

    政権は対話に消極的。広がった分断

    西田さんは「第二次安倍政権以降、政治と社会を横断する形で2つの分断が生じていると懸念している」と語る。

    分断とは、どのようなものなのか。

    「やや模式的な説明ではありますが、1つ目が政治に関心がある層とない層の間に広がる、そもそもの大きな分断です。そして、2つ目が政治に関心のある層の中に存在する、与党支持層と与党非支持層の分断です」

    日本の国政選挙の投票率は、高いとは言えない。直近で行われた2019年の参議院選挙の投票率は48.80%となり、全国規模の国政選挙では24年ぶりに50%を下回った。

    こうした現状そのものが、投票へ行く層(政治に関心のある層)と投票へ行かない層(政治に関心のない層)との間にある分断を示している。

    こうした状況の中で与党・自民党は、比例区では4割に満たない得票率にも関わらず、選挙に勝ってきた。

    「与党が得票率4割に満たない程度の支持を集めて国政選挙に勝つということをこの7年8ヶ月繰り返してきました。相対的優位とはいえ国政選挙の強さが、安倍政権の政治的な求心力になってきたと言えるでしょう」

    「日本の総理大臣は自民党総裁を兼ねる状況が常態化していますから、やはり選挙の顔としての役割も大きい。選挙に勝てるということは、自民党の議員からの信頼や支持を取り付ける上での安心材料になっていたと考えられます」

    「その一方で、与党非支持層や政治に関心がない層に対して、積極的に政策や政治理念を語りかけ、対話するといった取り組みや森友学園やPKO日報隠蔽、統計不正問題などが指摘されながらも政治行政の透明性を上げるための取り組みはなされませんでした」

    こうして、与党支持層とそれ以外の間に大きな隔たりが生まれていった、と西田さんはみる。

    進む「イメージ政治」、議論はどこへ?

    2009年衆議院選挙(総選挙)で民主党が圧勝し、鳩山由紀夫政権が発足したことで、自民党は野党となった。

    衆議院選で一つの選挙区から1人の議員を選ぶ現在の小選挙区制度は、「政権交代が可能になる二大政党制の実現」「政治とカネの問題の温床となっている派閥政治からの転換」などを旗頭に、非自民連立の細川護熙政権下の1994年に関連法案が成立し、導入された。

    政権を失い、メディアの自民党関連報道も減るという経験が、自民党のネット世論へ向き合い方の基盤を作ることへつながった。

    これは、自民党に西田さんが出した質問状への回答からもうかがい知ることができる。

    2009年に野党に転落し既存メディアを通した発信量が減ったことで、独自の発信力を持つという意味でネットに力点を写したことは確かです。その流れの中で、ネット生放送番組「カフェスタ」をスタートさせ、新たなコミュニケーションツールの柱として情報発信やソーシャルリスニングとして活用し始めました。

    (「7月31日回答文書」、『メディアと自民党』、2015)

    野党となった自民党は2010年、「自民党ネットサポーターズクラブ」を発足、共感や支持をネット上で広げ、ネットの保守層を支持者に取り込むための取り組みを始めた。

    自民党を応援している方はもちろん、新しい時代の日本のために何か行動したいと思っている方、政治に関わってみたいと思っている方、他に日本を託せる政党がないという方、どちらかと言えば自民党と思っている方がボランティアで活動する組織です。

    毎週、自民党の情報を掲載したメールマガジンを発行する他、政策勉強会や議員へのインタビューなどを実施しています。

    (自民党ネットサポーターズクラブ公式サイト)

    西田さんは、こうしたネット世論を取り込む動きはインターネットにおける分極化へとつながるとの認識を示した上で、インターネットを通じた現在の政治に関する情報発信は「感情に訴えかける、脊髄反射的なものを誘発するものが大半だ」と指摘する。

    2013年にインターネットでの選挙運動が解禁されて以降、政治におけるソーシャルリスニングやSNS活用の動きが加速している。しかし、そのほとんどが、「わかりやすい『民意』に対して即応的に反応する付け焼き刃的な取り組みだ」(西田さん)。

    そのような流れの中で、インターネットを通して議論を深め、多くの人たちの要望に耳を傾けようといった、「理性の政治」は行われてこなかったと西田さんは強調する。

    「憲法改正についても、ダーウィンの進化論を持ち出して説明する謎の漫画やビジュアルを作って出すだけで、自民党は改憲4項目を作っているのに、何について改正するのかといったことを強く打ち出すことはありませんでした。イメージを使って、感情に訴えかけるようなPRと連携した情報発信が中心となってきたと思います」

    このような「有権者が、知識や論理にもとづいて理性的に政局を認識することができず、また政治も印象獲得に積極的に取り組むことで、『イメージ』によって政治が駆動する状態」を西田さんは「イメージ政治」と呼ぶ。

    しかし、「イメージ政治」の傾向に拍車がかかってきたのは、政治の「強い悪意」によるものではないのではないか。それが西田さんの見解だ。

    政治と生活者の利害関係は常に合致するわけではないし、一般論でいえば政治の当事者である政党や政治家と比べると、生活者の政治への関心はとぼしいといわざるをえない。大半の生活者は日々の生活に追われている。彼らからすれば、そもそも「政治はわかりにくい」対象である。「わかりやすい」発信があれば、そこになびいたとしても不思議はない。

    (『情報武装する政治』, 2018)

    選挙活動や政治活動でインターネットを使うことが広範に認められるようになる中、SNSを活用しようとすることは自然な流れだ。他方、SNSは近年、テキストベースのものから画像や動画ベースのものへと主流が移りつつある。

    「SNSのスタンダードはどんどんとイメージへと移ってきています。インスタグラムやTikTokなど、ビジュアルを主とするものを利用者が好むようになってきています。そうした標準のコミュニケーションに政治が適応しようとすると、必然的にイメージを中心としたやりとりになっていかざるを得ないという問題があると考えています」

    結果として、様々なサービスも、そして政治に関するコミュニケーションも全体のベクトルとしてはイメージを中心としたものになりつつある。

    こうした要因が、「政策論争をする、政治的信念を表明すると言ったことを、より難しくし、古典的な民主主義像を揺るがしている」と西田さんは言う。

    態度変容許さぬネットの空気、その弊害

    SNSを開けば、与野党それぞれの支持者と見られる人々が論戦を繰り広げている様子が目に入る。

    多くのSNSやニュースアプリはユーザーの好みに基づいて、表示する情報を変えている。これらは、自分好みの情報や欲しい情報へのアクセスを容易にする一方で、自分と異なる指向の意見が見えづらくなるというデメリットも存在する。

    こうした「フィルターバブル」などアルゴリズムの問題は、分極化が進む1つの要因であると分析した上で、「現在のネット世論の分極化はアルゴリズムによるものだけではないのではないか」と西田さんは問題提起する。

    「ネットにおける議論は勝った / 負けたという捉え方と重なりやすく、『論破された』ということ可視化された結果ばかりに注目が集まります。しかし、古典的な民主主義観に基づけば、議論の末に態度を変容するということは当然ありうることです。しかし、ネットの空気はそうした態度変容を許さない。この点を懸念しています」

    「態度変容をしないことを是としてしまうと、支持する政党も政策も固定化してしまいます。勝ち負けと結びついてしまった段階で、それらは合理性とは関係ないものです。曖昧な状態を許さない、状況によって判断するということを許さない雰囲気がありますが、これは良くない傾向だと思います」

    Twitterの140文字で伝えることのできる情報には限りがある。そうした中で、「好まれるのは断言調の議論だ」(西田さん)。

    支持率の低下、その背景には…

    自衛隊の日報隠蔽問題。森友学園問題。加計学園問題。そして桜を見る会問題。

    様々な不祥事が、安倍政権下で浮上した。そのような中、安倍首相と政権幹部は「その指摘は当たらない」といった言葉を繰り返した。

    「安倍政権は国民に対し、言葉を尽くして説明したり、対話する姿勢を見せてこなかった」とした上で、西田さんは「その問題が噴出したのが、新型コロナ対応であり、その国民の評価だったのではないか」と言う。

    新型コロナで、日本の人口あたりの死亡者数、感染者数は、世界的に見れば相対的に低い。しかし、内閣支持率は低下を続けた。

    「コロナ対応の良し悪しもさることながら、森友学園や桜を見る会といった政治的インシデントが続出し、そこに国民と対話をしない姿勢による宿痾(しゅくあ)のようなものが重なり、内閣や世間に対する不信感が高まったとみています」

    安倍政権への支持率低下の裏には、こうした政治の構造的な課題と未知の感染症の流行が重なったことがあるのではないかと西田さんは分析する。

    「本来であれば、社会の混乱を引き起こしている原因は、ウイルスの感染拡大です。しかし、人々の意識の中では政治が無能だから、政治が無茶苦茶だから我々は行動を自粛しなければいけなかったという感覚が広がりました。こうした必ずしも実態と合致しない『被害者意識』が蔓延したことと、政治や行政への不信感は、無関係ではないと思います」

    「では、その『被害者意識』を抱いたのは国民一人ひとりの責任なのでしょうか。そうではない。メディアが2009年の新型インフルエンザ流行時の出来事を適切な形で紹介していたら、あるいは学校が一斉休校になることの意味をもう少し説明していたら、少しは国民の反応は変わっていたのではないでしょうか」

    ネット世論との向き合い方、なぜ安倍政権は失敗した?

    自民党はこれまでネットやSNSを積極的に分析し、発信を試みてきた。それらは国民との本質的な対話というよりも、「表層的なネット世論に適応していく取り組みだ。自民党に限らず、他の政党の同種の取り組みもほぼ同じです」と西田さんは説明する。

    その様子は、西田さんの著書『メディアと自民党』『情報武装する政治』などで描かれている。

    これまで自民党が取り組んできたアプローチは、今回のコロナ禍ではポジティブな方向に機能することはなかった。

    首相官邸はワイドショーでの取り上げられ方やSNSでの動向に強い関心を示していた、と朝日新聞は報じている。「政権はコロナ対策が国民に上手くいっていると受け止められているのかどうか、強い関心を持っていたのだろう」と西田さんは語る。

    なぜ、政府はワイドショーとSNSでの反応に、そこまで強い関心を持っていたのだろうか。

    「安倍政権が末期に差しかかっていることは明確だったからです。自民党総裁の任期は、現行の規定では3期まで。そのため、どこかで総選挙をやらなければいけません。そして、選挙を行うならば、高い内閣支持率のもとで実施することが好ましい。そのため、政府と自民党はこうしたワイドショーやSNSでの反応に、通常時よりも高い関心を持っていたと考えられます」

    そのような中で、日本では新型コロナ対応は後手にまわり、適切なものとは言えないという評価が広がった。

    「コロナへの初期の対応は少なくとも理解可能であったものであると捉えています。事前に整備されていた法律と計画があり、それに基づき対応を行った。それが結果として良かったのかどうかは検証すべきと思いますが、なぜそのような対応を行うのかについては概ね理解できるものであったと、かなり控えめに言っても言えるでしょう。しかし、世間の評価は実態に反して極めて低いものでした」

    「日本のコロナ対応は後手に回っていて、小規模で、世界各国と比較すると何の役にも立たないものであると多くの人たちが思い、そしてそのように報道されました。その結果として支持率が下がった時、政治はネットで可視化されたわかりやすい『民意』や、ワイドショーで可視化された『民意』、陳情の形で寄せられた『民意』に答えようとしたのでしょう。その結果として『耳を傾けすぎる政府』が生まれました」

    耳を傾けすぎる政府はとにかく「わかりやすい民意」に「反応」しようとする。説明と説得には多くの政治的コスト、それから時間を要するからだ。

    (『コロナ危機の社会学』, 2020)

    「耳を傾けすぎる政府」が生まれたことによる象徴的な出来事が、特別定額給付金を巡る混乱だ、と西田さんは語る。

    当初の生活困窮世帯などを中心に30万円を給付するという案は、二階俊博幹事長や公明党の突き上げにより白紙となり、全世帯に1人当たり10万円を給付する政策に変わり、補正予算案も見直された。

    「テレビとネットありきの社会になった」

    西田さんはコロナ禍で出版した『コロナ危機の社会学』の中で、テレビのワイドショーとSNSが「共犯関係」にあり、報道が不安を広げることにつながったのではないかと指摘する。

    「これは今に始まったことではない」と前置きした上で、こうした出来事の背景を以下のように説明する。

    「今の社会では、ネットやSNSがメディアの中心です。広告費を見れば、ネット広告が最も大きな割合を占めていること、若い人たちのメディアの可処分時間の投じ方等からも、こうした現状は理解することができます。そうした中で、新聞や雑誌、ラジオはメディアとしての力を失い、テレビとネットありきの社会になったと考えています」

    「テレビの制作現場が関心を持っているのは、ネットで話題のトピックです。そして、今や多くの企画がネットの話題を中心に組み立てられています。そして、ネットでは、テレビで取り上げられることはある種、権威づけされている。そうした中で、この共犯関係は生まれてきました」

    テレビ局では視聴率だけでなく、視聴の質を測ろうとする動きがあると西田さんは言及する。その質を示す指標の1つにはSNSでの評判が含まれる。その結果として、テレビ制作の現場ではますます、SNSで話題となるトピックを探る傾向が強くなってきているという。

    西田さんはこうした傾向に警鐘を鳴らす。

    「あくまで『べき論』にすぎませんが、政治は国民と真摯に対応するべきです。言葉を尽くして説明するということは言うまでもありません。同時に、民意に適応していくのではなく、その民意が間違っている場合には言葉を尽くして国民を説得しなければいけません。しかし、昨今、政治にはそうした態度が端的に見られなくなっていると思います」

    そうした中で、多くの国民にとって政治に関する情報を届けているのがメディアだ。全ての人が行政の発表や国会の答弁を常に観察することは現実的ではない。

    だからこそ、「メディアは市民のエージェントとして、権力を監視し、情報を収集し、デリバリーするという本来を役割を果たすべきだ」と苦言を呈す。

    そのために重要なこととして、西田さんが提示するのが「機能のジャーナリズム」という考え方だ。

    日々接する情報量が増え続ける現代社会において、整理と分析そして啓蒙を行うジャーナリズムが必要だと西田さんは言う。

    「情報が多い現代では、しっかりとその情報を整理しない限り、読み手にとってはわかりにくい。また、単に一次情報を出すだけでは混乱が広がりますから、分析をした上で伝えていく必要があるでしょう」

    「ここで提示する啓蒙とは、教え諭すことではありません。しっかりと情報を読者の元へ届けると言うことです。紙の新聞が読まれた時代には、宅配されえるので新聞を刷れば読んでもらえた。でも、ネットでは記事を出したとしても、読まれないなんてことは多々あります。だからこそ、しっかりと読んでもらえるようになるところまでデザインしてほしいのです。紙の新聞にはその良さがある。だけれども、メディア環境の変化にかかわらず、ネットありきになっていて、新聞を通じたメディア体験全体の刷新や更新が乏しすぎるのではないでしょうか」

    PCR検査能力の限界、重症者優先の病床確保、全国一斉休校や自粛の不足と過剰、マスコミの支離滅裂な報道など、メディアと世論はさも新しい出来事であるかのように新型コロナと派生する問題に対峙した。しかし、規模に違いはあるが、これらは日本社会がいずれも10年前の新型インフルエンザの感染拡大で直面した課題だった。

    (『コロナ危機の社会学』, 2020)

    同時にコロナ禍で浮き彫りとなったのは、現在進行形の問題が顕在化する中で、過去の出来事を振り返るという機能の弱さだ。

    西田さんは、混乱が広がるときにこそ、過去の類似事例では何が起きていたのか「リマインドする機能や報道も重要だ」と語った。

    この流れは変わるのか?

    政治に関心のある層とない層、そして与党支持層と非支持層の分断は今後も続くのか。

    西田さんは「はっきりとはわかりませんが、現在の傾向は大きくは変わらないのではないでしょうか」という。

    「政治の情報発信は、個々の政治家の取り組みに加えて、政党という組織による全体的なシステムのようなところがある。そのため、誰が次の政権のトップになったとしてもさほど変わらないのではないでしょうか」

    「国民と対話を積極的に行いたいと考える政治家がリーダーになれば変わる可能性はあります。ですが、そのような候補者が総裁選に立候補してるようには思えません。そして、メディアの報道を見る限り、そちらも変わる気配はありません。ですので、何かが劇的に変わるという望みは薄いだろうと思います」