たとえ最初の出会いは偶然でも、興味を持っている人が周りにいなくても、何かに夢中になると、案外奥が深かったり、さらなる出会いをもたらすことがある。
東京・東神田の人通りの少ない路地に、ひっそりと佇む、アンティークボタンの専門店「CO-」。店主の小坂直子さんは、偶然の出会いがきっかけで、アンティークボタンがライフワークになった。
「何かが降りてきた」
もともと古いものが好きで、アンティークの世界に興味があった小坂さんは、18歳の頃から頻繁にイギリスに通い、蚤の市などを巡っていた。イギリスが好きで、何か古いものを紹介する仕事がしたいと、一般の企業で働きながら、徐々に独立へ向けて動き出していた。
不思議な出会いをしたのは、小坂さんが30歳の頃だった。

ある日、イギリスでアンティークのものを探していた時に、アンティークの缶を買ったんですよ。その缶の中にボタンが入っていました。
よくアンティークの缶は、クリップが入っていたり、釘が入っていたり、そういうのがそのまま売られていることがあるので、その時は気にもとめませんでした。
それから2日後くらいにロンドンを歩いている時に、見知らぬ人から「これ、あげる」と言われて、手を出したらボタンをくれて。道端をあるている時に、知らない人から物をもらうなんて初めてだったんです。
帰ってきたら2日前に買った缶の中に入っていたボタンと、このボタンが一緒だったんですよ。“はぁー!”と思って、何か降りてきたような感覚を初めて経験しました。

「ボタンってちょっと不思議だな」と思った小坂さんは、次の日からアンティークボタンについて調べ始めた。
その1センチや2センチの小さなボタンに、時代ごとの最先端の素材や、職人の手仕事が凝縮されていることに気付き、「これはすごく面白いかもしれない」と、次第にアンティークボタンを集めるようになった。
それと同じ時期に、Webショップをオープン。2010年に、今の実店舗を開いた。

調べていくと、アンティークのボタンは、服を留める道具というよりドレスを飾るためのものだったようで、シルバー製のものだったり、七宝焼きのものだったり、いろんなものが作られていたんです。
今で言う所のブローチとかに近い感覚だと思うんですね。そういう物を今の時代に、ブローチにしたりとか、アクセサリーとして取り込んで使えばオンリーワンのものができる。
アンティークボタンを衣服の材料として考えた時にも面白いですよね。そういう考えに同意してくれたり、面白いと思ってくれる人が、いっぱいではないですが、集まってくれるお店っていう感じですね。
ボタン屋で食べていける?
ビジネスとして捉えると、ボタン屋なんて、誰も選ばない。
(運命のような偶然の出会いがあったから)続けてきたっていうのもあると思います。「これが私のやること。仕事かな」って思い込んでいる。
思い込みはすごく大切で、思い込みがあるからできることがある。
これまで、「こんな店をやりたいけど、どうすればいい?」という相談を何回か受けたが、実際にやる人は誰もいなかったという。
一方で、チラシを配ったり、宣伝をしていたわけでもないが、小坂さんの活動は徐々に広がっていった。
お店を始めて3年目の時に、アンティークボタンの本を出したんです。出版社さんが声をかけてくださったんですけど、すごい人に声をかけていただいたんだと思います。
あと、ラジオとかテレビとかもちょこちょこ紹介してもらったりとか。すごくありがたいですよね。
あと外のイベントは、自分で出店料を払って出るイベントも、もちろんあるんですけど、お声かけをいただいた上で出るイベントもあって、そういうのも結構お声かけいただくことが多かったので。
そうやって人に恵まれて、みんなに育ててもらった感じですね。
それは、“不思議なボタン”に出会うRPGのような旅……
日本には、それほど多くはないが、ヨーロッパではコレクターの協会があるほど、アンティークボタンのファンは多いという。海外のコレクターが出している辞典のような本を読んだり、実際のコレクターと交流していく中で、ボタンの素材やその時代背景について知識を深め、仕入れ先を開拓していった。
ボタンのコレクターと一口に言っても、人によっては収集する範囲がまったく違うらしい。
ボタンって本当に幅が広いんですよ。ゴージャスなものを集めている方もいるし、そうでない方もいるんです。
私が個人的に好きなのは、ドイツでボタン屋さんをやっている人なんですけどね。「穴があいてるものが、ボタンに見えてしょうがない」って言っているんですよ。
「これが、僕のボタンコレクション!」と、見せてもらった中には、それも本当に不思議なんですけど、ただの石なんです。雨風で、穴があいてしまったものなんですね。
そういう、自然が作ってしまった、穴があいたものをいっぱい集めているんですよ。「この人、面白いなー」と思って。
みんな、発想が自由なんですよね。
戦時中に作られていたボタン
小坂さんが一番好きだと語るのは、ビミニ社のガラスボタン。戦時中にイギリスで作られていたボタンだという。戦時中にオートクチュールのボタンが作られていて、それが食器よりも売れていたというから、驚かされる。

「ボタンが唯一売れるものだったから」という言い方をするんですよ。イギリス人は。
食器とかもいらないし、そんなにあれこれもいらない戦時中。でも、ボタンは売れたらしいんです。不思議じゃないですか?私は何度聞いてもわからないんですけど。
陶芸家で、日本でも人気のある、ルーシー・リーという女流作家は、ウィーンの出身なんですけど、イギリスに移住して、ずっとロンドンで過ごしていて、ビミニ社の手伝いもしていたんです。
その人は、陶芸家なんだけど、器が売れないから生活のためにボタンを作った、と言われているんですよ。すごい不思議ですよね。
その頃の人々の気持ちを味わう
現代では、衣服すら、大量に生産され、使い捨てのように、次々と新しいものに取り替えている。
普通の生活をしていて、自分が身につけている洋服のボタン一つに注目したことがある人は、今、どれほどいるだろうか。
昔のヨーロッパの人たちにとっては、ボタンは楽しいもの、だったわけじゃないですか。生活を豊かにするもので、彩を添えてくれるものだった。
日本も考えたら、戦後の、既製品がそんなになかった時代は、お給料が出たら、布を選んで、ボタンを選んで仕立ててもらいにいってたんですよね。
私はその時代を知らないけれど、ちょっと前の世代の人たちにはすごいワクワクするものだったわけですよね。
古いボタンは1個でもすごい存在感を持っていたりとか、「わー。なんでそんなものを作ったのかしら!」っていう形だったりとか。
今からは考えられないデザインのものや、しっかりデザインされたものが作られています。やっぱり、そういうのを見ていると、その頃のみんなの気持ちを味わえるような気がしますね。
小坂さんは、どうして、16年もの間、ボタンに夢中になれたのだろうか?
途中でくじけたりする日もあったと思うんですよ。もちろん。
「大丈夫?私、こんなことやってて」って思うけど、これ(ボタン)をもらった時の不思議な感覚が残ってて、「でも、なんか大丈夫な気がする」と思うんですよね。
今となっては、「これしかできないわ。私」と。死ぬ日まで、お店に立てたらいいなって思っています。