「『それっぽくて格好いい一小節』は今の世の中誰でも作れます」中田ヤスタカが音楽づくりに見出す楽しさ

    「賑やかな『街』には近づけなかったから、一生懸命だった」

    中田ヤスタカといったらどんなイメージがあるだろうか?

    人気アーティストのプロデュースはもちろん、人気DJとしても活躍する「仕事の早い天才」というイメージが浮かぶかもしれない。

    実際、今年に入ってから自身初のソロアルバム『Digital Native』を発表し、8月にはPerfumeの『Future Pop』9月にはきゃりーぱみゅぱみゅの『じゃぱみゅ』を手がけた。

    一体いつ休んでいるのだろう?

    中田自身、「今年に入ってからは、ずっと曲作ってる」と振り返る。4年ぶりにリリースすることになったきゃりーぱみゅぱみゅの『じゃぱみゅ』は、「これまでのシングル曲を上回るぐらいの、主役級楽曲が多い」と笑いながら話す。

    これだけのスピードで、作品を生み続けられる秘訣とは何なのだろうか?

    EDMが壊した常識

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    『原宿いやほい』 / Via youtube.com

    ――「中田さんの雰囲気が変わった」ときゃりーさんが言ってました。何か変化が?

    CAPSULEでやってきてはいたものの、伝わりきらなかった感覚や技が『原宿いやほい』の時代ではできるようになった、みたいな変化はありましたね。時代的な面だと。

    EDMが流行したことによって音楽の聴かれ方が変わった。このジャンルって、浮ついたイメージがあると思うんですけれど、他のジャンルではできなかったことが一個だけあって……。

    ――どんなことでしょう?

    みんなが歌える部分に「歌がない」。

    ボーカル曲であれば、サビにもわかりやすい歌がないと売れない。この常識を破ったのはEDMだと思うんです。音サビ、ドロップが一般層に刺さった。

    『原宿いやほい』はAメロ、Bメロときて、サビは「ほい」しか言ってない(笑)。この曲の展開を「聴きづらい」と思う人は、今は少なくなった。

    音サビ自体は、CAPSULEの時からやってきたんですけれど、まだ一般的な感覚でなかったと思います。

    その後EDMという言葉が生まれて、世の中にそれが浸透したことによって違和感のなくなった曲、それが『原宿いやほい』だったりします。

    EDMのサウンド面だけを取り込んだPOPSは世の中にいろいろあると思いますが、そうではなく、構造の部分こそが面白さだっだりします。

    ——でも、きゃりーさんの『キズナミ』や最近のPerfumeの楽曲って、EDMとはまた少し違うような。

    ソロの『Wire Frame Baby』、Perfumeの『Fusion』、きゃりーの『キズナミ』はセットですね。基本、縦ノリなんだけど裏でノる。今はそれが心地いい。

    こういう楽曲は10代の頃によく作っていたんです。でも、CAPSULEがデビューした頃に飽きちゃって(笑)。

    『じゃぱみゅ』には、CAPSULEのカバー『恋ノ花』もいれてるんですけれど、今の自分にとっては、20年前なので逆にフレッシュ。大人になった今の感覚で、昔のゲーム遊んでるみたいで。

    面白さの方程式:「ネタ」×「ルール」

    ――王道は行かない。

    「こんな曲ってあるんだ」と思われる方がやりがいがあります。クセが強くないと面白くなくないですか? 普通を全然求めていないです、僕は。

    究極、遊ぶように創作活動したい。人のために曲を作るのなら、全然やる気が起こらない。自分が楽しみたいから。

    ――どんな風に音楽の中に遊びをいれるんですか?

    きゃりーは真剣にふざけられる場所。すごく貴重です。例えば、元素記号を並べた『演歌ナトリウム』っていう曲は「こんなふざけた楽曲を歌うために頑張ってきたわけじゃない」と思うアーティストもいると思うんですよね。

    でも、彼女はそんなことない。面白い曲を世の中に届けるバランスを作れる人なんです。

    きゃりーが歌うことによって、普通じゃない音楽が、違和感なく聴ける。その時代を生きている人の体験として残っていく。これが僕のやりたいことなんです。

    ――そういえば、中田さんは『求人バニラ』の楽曲をマッシュアップしてますよね。

    仕事の待ち時間にヒマだったので遊びで作ったやつですが(笑)。みんなが知っている「ネタ」とクラブミュージックの「ルール」の掛け合わせは楽しいですよね。

    「わかるもの」と「わからないもの」が同時にあったり、何かルールを感じさせるからこそルールを壊している感じも出せたりすることがあります。

    ――自分が楽しみながら作ることと、誰かに聴いてもらう気持ちっていうのは、相反しないんでしょうか?

    単純に好きなことだけやってうまくいかない場合「自分のセンスが尖りすぎている」と思うこともできますが(笑)。

    例えば3秒間聴いて良い感じのサウンドでも、1曲通して聴いてさらにいい曲だと思ってもらえるようにできていなければ、それって工夫が足りないと思います。

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    CAPSULEのカバー『恋ノ花』 / Via youtube.com

    多くの人にとって今まで馴染みのなかった部分があるような曲を「これなら聴ける」という状態にするのは、本当は一番難しくて楽しい作業なんですよ。僕もそこに一番苦労しています。

    ――どういうことでしょう?

    わかりやすいサウンド面だけを注目したりアレンジするのではなくて、新しいメソッドというか仕組みをひっくり返すのが一番難しいんです。

    「それっぽくて格好いい一小節」は今の世の中誰でも作れます。でも、「それっぽさ」に辿りつく構成とか、仕組みそのものを作り出している人はすごい。

    自分のルーティン化に悩むことはない

    ――手癖がつくことってないのでしょうか? 20年も音楽を作っていると。

    手癖も年々変わっていて(笑)。昔、手癖だったものが出てこなくなったりするんですよ。例えば、ボサノバみたいなコード進行は、今は手癖にない。

    新しい技を覚える時は、ゆっくりでいい。面白そうなものを試すうちに、手元に残ったものだけが手癖になっていく。

    「手癖になっていく途中の技」と「いつでも使える技」を両方打てるようにしたいんです。いつでも。

    ――でも、そうすると制作にすごく時間がかかりませんか?

    やっぱりゼロをイチにするのは大変ですね。今まで作ったことあるような楽曲ならいくらでも作れますけど、それは楽しくないので。

    さすがに20年も経つと自分の感覚から当時の手癖がなくなっているから面白い。

    僕にとって作曲は遊びの延長線上にあること。逆に、曲を作ったときに自分の人生がどう楽しくなるのか想像ができないとやる気が出ない。

    少し話が違いますが、リスナーの経験として「この音楽家は、もしかしてこの曲も作っているのでは?」って気がつく楽しさってあるじゃないですか。

    知識ではなく耳で気づく楽しさ。僕は自分の体験としてそれがあるので、10代の子たちにもそういう経験があればいいと思ってます。耳で判別するのって、要はセンスが結びついたってことなんです。

    賑やかな「街」には近づけなかったから、一生懸命だった

    ――センスで繋がる。

    そう。僕は人間関係もそれが一番好きです。立場とかジャンルとか年齢は関係なく。

    10〜20代の子から僕の音楽に影響を受けて音楽を始めたという話を聞いたり、同じフィールドで活躍している若い人も増えてきて嬉しいです。

    前は共通の感覚を持った人が本当に少なくて苦労しましたが、どんどん自分と同じような感覚の人も増えてきて「シーン」みたいなものも見えてきました。

    新しいMac買ったとき自慢できる友だちが欲しいし、同じような機材作ってる人たちと話したい。センスで人が集まっていると思うと楽しい。

    ――仲間が増えた、という感覚でしょうか?

    例えば、ネットに音楽をあげて、アイドルとかアーティストに楽曲提供したいと志す人。これが普通になった。僕が10代の頃は仲間も少なかったんですよ。

    自分で山を開拓して、なんとか生活する場所を作っていく。賑わっている街には近づけないから、一生懸命切り開く。

    前しか見てませんでした。でも、20年経って自分が通ってきた道を振り返ると、後ろに小さな村ができてると最近気がつきました(笑)。すごく嬉しいですよ。

    村みたいな小さなシーンって、それぞれの時代にあって、でもすぐに過疎化しちゃうんですよね。就職と同時に集まれなくなって消えてしまうとか、大きな時代の変化に飲まれたり。もちろん違うジャンルで活躍している人もいますけれど……村は油断できない。

    街ぐらい大きなシーンになると、ムーブメントが終りを迎えた後も記憶として残るし、受け継ぐ人がずっといるジャンルになれる。

    今までの一般的な感覚なのか慣習なのかわかりませんが、アーティスト自身も、応援する人も、何かオンリーワンじゃないといけない、みたいなところがあって。これは、もったいないと思います。

    どれか一つを選ぶよりはシーンで捉えた方がいろいろ楽しいし、同じセンスを共有しているなと思ったら一緒に楽しめばいいと思う。チャンスも広がるし。少しづつそういう感覚もだんだんと増えてる感じはします。

    同じセンスを共有しているなと思ったら一緒にやればいいと思う。似てるってことは、世界中の人に小さなシーンを見つけてもらえるチャンスが広がるということ。

    そして僕も今までにないものが見たい、と思っています。