人生って一回だけなんだけど、まぁ仕事についたら、なんとなく「この道」で生きていくんだろうなぁって思っていたのですが、案外そうでもないみたいです。
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サントリー「南アルプススパークリング」の新しいCMでは、「スイッチしよう」をテーマに著名人たちのターニングポイントを紹介しているのですが、なんだかすごいのです。
1. フィリップ・トルシエ:サッカー監督/ワイン醸造家

1998年から2002年までサッカー日本代表監督をつとめたトルシエさん。
2014年からワイン造りをはじめました。かなりかけ離れた仕事に見えるけれど…?
「監督とワインづくりはよく似ています。ベストバランスを見極めるために、忍耐さが必要だし、どれだけ準備しても結果がわからない」
「ブドウの育成、ワインの生産、販売と、いかにチームで最高のものを作れるかを考えます。だから、同じ仕事を別のフィールドでやっているという感じですね」

1998年から2002年までサッカー日本代表監督をつとめたトルシエさん。
2014年からワイン造りをはじめました。かなりかけ離れた仕事に見えるけれど…?
「監督とワインづくりはよく似ています。ベストバランスを見極めるために、忍耐さが必要だし、どれだけ準備しても結果がわからない」
「ブドウの育成、ワインの生産、販売と、いかにチームで最高のものを作れるかを考えます。だから、同じ仕事を別のフィールドでやっているという感じですね」
1998年から2002年までサッカー日本代表監督をつとめたトルシエさん。
2014年からワイン造りをはじめました。かなりかけ離れた仕事に見えるけれど…?
「監督とワインづくりはよく似ています。ベストバランスを見極めるために、忍耐さが必要だし、どれだけ準備しても結果がわからない」
「ブドウの育成、ワインの生産、販売と、いかにチームで最高のものを作れるかを考えます。だから、同じ仕事を別のフィールドでやっているという感じですね」
2. 藤巻亮太:ミュージシャン / 登山写真家

デビューしてすぐにブレイクしたレミオロメンのフロントマンをつとめた藤巻さん。
激動の20代を過ごし「このままでいいんだろうか」と悩んだ31歳のときにターニングポイントが訪れました。雑誌対談企画で知り合った野口健さんに誘われてヒマラヤ山脈へ。これがきっかけになり、登山写真家の道に進みました。
「世の中にいろんな価値観が溢れていて、『こっちのほうがいいんじゃないか』とか、『あっちのほうがいいんじゃないか』って言ってるうちに時代が変わってしまう。結局振り回されていくんですよね」
「だから自分の外側にあるものに振り回される人生じゃなくて、自分の中に自分オリジナルの価値を築いていかなきゃいけない」
「何か、いつもと違うことをちょっとだけしてみる。いつもと違う生き方で、いつもと違う景色を見るだけでもいい。それが僕にとっては、たまたまヒマラヤでした。遠い場所を訪れたことで、逆に自分の原点を意識するようになった」

デビューしてすぐにブレイクしたレミオロメンのフロントマンをつとめた藤巻さん。
激動の20代を過ごし「このままでいいんだろうか」と悩んだ31歳のときにターニングポイントが訪れました。雑誌対談企画で知り合った野口健さんに誘われてヒマラヤ山脈へ。これがきっかけになり、登山写真家の道に進みました。
「世の中にいろんな価値観が溢れていて、『こっちのほうがいいんじゃないか』とか、『あっちのほうがいいんじゃないか』って言ってるうちに時代が変わってしまう。結局振り回されていくんですよね」
「だから自分の外側にあるものに振り回される人生じゃなくて、自分の中に自分オリジナルの価値を築いていかなきゃいけない」
「何か、いつもと違うことをちょっとだけしてみる。いつもと違う生き方で、いつもと違う景色を見るだけでもいい。それが僕にとっては、たまたまヒマラヤでした。遠い場所を訪れたことで、逆に自分の原点を意識するようになった」
デビューしてすぐにブレイクしたレミオロメンのフロントマンをつとめた藤巻さん。
激動の20代を過ごし「このままでいいんだろうか」と悩んだ31歳のときにターニングポイントが訪れました。雑誌対談企画で知り合った野口健さんに誘われてヒマラヤ山脈へ。これがきっかけになり、登山写真家の道に進みました。
「世の中にいろんな価値観が溢れていて、『こっちのほうがいいんじゃないか』とか、『あっちのほうがいいんじゃないか』って言ってるうちに時代が変わってしまう。結局振り回されていくんですよね」
「だから自分の外側にあるものに振り回される人生じゃなくて、自分の中に自分オリジナルの価値を築いていかなきゃいけない」
「何か、いつもと違うことをちょっとだけしてみる。いつもと違う生き方で、いつもと違う景色を見るだけでもいい。それが僕にとっては、たまたまヒマラヤでした。遠い場所を訪れたことで、逆に自分の原点を意識するようになった」
3. 前田有紀:元アナウンサー / フラワーアーティスト

2003年にテレビ朝日に入社し、10年間人気アナウンサーとして活躍した前田有紀さん。退社後は、フラワーアーティストに転身しました。
順風満帆な中、ジョブチェンジをすることに対して自分でも「本当にあり得ない」と思いつつも、「趣味を仕事にする好奇心」が「レールを外れる不安」を上回ったときに退職を決意。
「下働きをいろいろして、水やりをしたり、雑草を抜いたり、もう言われるがままに『はい、はい』って感じで働いてて、ふと自分の姿を見たら、ものすごい汚かったんです」
「顔も、手の爪も、服も、全部泥だらけ。あれ、『自分ってほんとに数カ月前まではアナウンサー?』って思うくらい。でも『すごく自分らしいな』って思ったんですね」

2003年にテレビ朝日に入社し、10年間人気アナウンサーとして活躍した前田有紀さん。退社後は、フラワーアーティストに転身しました。
順風満帆な中、ジョブチェンジをすることに対して自分でも「本当にあり得ない」と思いつつも、「趣味を仕事にする好奇心」が「レールを外れる不安」を上回ったときに退職を決意。
「下働きをいろいろして、水やりをしたり、雑草を抜いたり、もう言われるがままに『はい、はい』って感じで働いてて、ふと自分の姿を見たら、ものすごい汚かったんです」
「顔も、手の爪も、服も、全部泥だらけ。あれ、『自分ってほんとに数カ月前まではアナウンサー?』って思うくらい。でも『すごく自分らしいな』って思ったんですね」
2003年にテレビ朝日に入社し、10年間人気アナウンサーとして活躍した前田有紀さん。退社後は、フラワーアーティストに転身しました。
順風満帆な中、ジョブチェンジをすることに対して自分でも「本当にあり得ない」と思いつつも、「趣味を仕事にする好奇心」が「レールを外れる不安」を上回ったときに退職を決意。
「下働きをいろいろして、水やりをしたり、雑草を抜いたり、もう言われるがままに『はい、はい』って感じで働いてて、ふと自分の姿を見たら、ものすごい汚かったんです」
「顔も、手の爪も、服も、全部泥だらけ。あれ、『自分ってほんとに数カ月前まではアナウンサー?』って思うくらい。でも『すごく自分らしいな』って思ったんですね」
4. 松岡充:ミュージシャン / 俳優

SOPHIAのボーカルとして人気を博した松岡さん。最近ではドラマや映画、舞台で俳優としての活躍も話題です。
もともと歌を生業としてきた松岡さんですが、「この役をやってほしい」と声をかけられたことで俳優の世界に飛び込むことになりました。
「一番最初にグランドミュージカルの主役をやらせて頂いた時、演出家から『私が欲しいのはSOPHIAの松岡充じゃないのよ。この役の松岡充が欲しいの』と言われた時に、今まで音楽の世界で表現してきたことが全否定されたような気がして…つらかったですね」
でも、俳優業を続けていくうちに、バンドマンならではの「観客の雰囲気に敏感に反応できる力」が強みになることに気づいたといいます。一方で俳優の「役にスイッチする感覚」は、ボーカリストにも役立っているそうです。

SOPHIAのボーカルとして人気を博した松岡さん。最近ではドラマや映画、舞台で俳優としての活躍も話題です。
もともと歌を生業としてきた松岡さんですが、「この役をやってほしい」と声をかけられたことで俳優の世界に飛び込むことになりました。
「一番最初にグランドミュージカルの主役をやらせて頂いた時、演出家から『私が欲しいのはSOPHIAの松岡充じゃないのよ。この役の松岡充が欲しいの』と言われた時に、今まで音楽の世界で表現してきたことが全否定されたような気がして…つらかったですね」
でも、俳優業を続けていくうちに、バンドマンならではの「観客の雰囲気に敏感に反応できる力」が強みになることに気づいたといいます。一方で俳優の「役にスイッチする感覚」は、ボーカリストにも役立っているそうです。
SOPHIAのボーカルとして人気を博した松岡さん。最近ではドラマや映画、舞台で俳優としての活躍も話題です。
もともと歌を生業としてきた松岡さんですが、「この役をやってほしい」と声をかけられたことで俳優の世界に飛び込むことになりました。
「一番最初にグランドミュージカルの主役をやらせて頂いた時、演出家から『私が欲しいのはSOPHIAの松岡充じゃないのよ。この役の松岡充が欲しいの』と言われた時に、今まで音楽の世界で表現してきたことが全否定されたような気がして…つらかったですね」
でも、俳優業を続けていくうちに、バンドマンならではの「観客の雰囲気に敏感に反応できる力」が強みになることに気づいたといいます。一方で俳優の「役にスイッチする感覚」は、ボーカリストにも役立っているそうです。
5. 森且行:元アイドル / オートレーサー

人気アイドルグループのメンバーとして一世を風靡していた1996年。突然の脱退に驚いた人も多いのではないでしょうか。
森さんがアイドルを卒業した理由はただひとつ。年齢的にオートレーサー試験が受けられる最後の年に、奇跡的に身長制限が緩和されたのです。
「幼稚園生のときから、なりたくてしょうがなかったオートレーサーの道が、初めて拓けたんです。本当に夢だったので、もう、前に進むこと以外考えられませんでした。迷いは一切ありませんでしたね」
もちろん、賛否両論あり、不安を覚えることもありました。
「オートバイ乗って、整備してると、好きすぎてそういう不安もどっか行っちゃうんですよね。20年経った今でも、すべてが楽しいです」
「好きなことをやってると、負けて帰ってきたらそりゃあ悔しいですけれども、また次に頑張ろうという気になれるんです。楽しいです、とにかく」

人気アイドルグループのメンバーとして一世を風靡していた1996年。突然の脱退に驚いた人も多いのではないでしょうか。
森さんがアイドルを卒業した理由はただひとつ。年齢的にオートレーサー試験が受けられる最後の年に、奇跡的に身長制限が緩和されたのです。
「幼稚園生のときから、なりたくてしょうがなかったオートレーサーの道が、初めて拓けたんです。本当に夢だったので、もう、前に進むこと以外考えられませんでした。迷いは一切ありませんでしたね」
もちろん、賛否両論あり、不安を覚えることもありました。
「オートバイ乗って、整備してると、好きすぎてそういう不安もどっか行っちゃうんですよね。20年経った今でも、すべてが楽しいです」
「好きなことをやってると、負けて帰ってきたらそりゃあ悔しいですけれども、また次に頑張ろうという気になれるんです。楽しいです、とにかく」
人気アイドルグループのメンバーとして一世を風靡していた1996年。突然の脱退に驚いた人も多いのではないでしょうか。
森さんがアイドルを卒業した理由はただひとつ。年齢的にオートレーサー試験が受けられる最後の年に、奇跡的に身長制限が緩和されたのです。
「幼稚園生のときから、なりたくてしょうがなかったオートレーサーの道が、初めて拓けたんです。本当に夢だったので、もう、前に進むこと以外考えられませんでした。迷いは一切ありませんでしたね」
もちろん、賛否両論あり、不安を覚えることもありました。
「オートバイ乗って、整備してると、好きすぎてそういう不安もどっか行っちゃうんですよね。20年経った今でも、すべてが楽しいです」
「好きなことをやってると、負けて帰ってきたらそりゃあ悔しいですけれども、また次に頑張ろうという気になれるんです。楽しいです、とにかく」
6. 若槻千夏:タレント / キャラクターデザイナー

バラエティ番組で活躍していた若槻千夏さん。今では、KUMATANのプロデューサーとしても多忙を極めます。
「もう芸能界いいやと思って、他のことを始めたんですけど、結果、両方やるのっていいなって気付きました。デザインを作っているときって、誰ともしゃべんないんですよ。すると、しゃべりたくなって、バラエティーでものすごくしゃべれる。そのバランス感覚がめちゃめちゃ最高で」

バラエティ番組で活躍していた若槻千夏さん。今では、KUMATANのプロデューサーとしても多忙を極めます。
「もう芸能界いいやと思って、他のことを始めたんですけど、結果、両方やるのっていいなって気付きました。デザインを作っているときって、誰ともしゃべんないんですよ。すると、しゃべりたくなって、バラエティーでものすごくしゃべれる。そのバランス感覚がめちゃめちゃ最高で」
バラエティ番組で活躍していた若槻千夏さん。今では、KUMATANのプロデューサーとしても多忙を極めます。
「もう芸能界いいやと思って、他のことを始めたんですけど、結果、両方やるのっていいなって気付きました。デザインを作っているときって、誰ともしゃべんないんですよ。すると、しゃべりたくなって、バラエティーでものすごくしゃべれる。そのバランス感覚がめちゃめちゃ最高で」