このマグカップ、何に見えますか? ここには人生の哲学がつまっている

    教えてくれたのは、Amazonで買ったマグカップだった。

    このマグカップは一度死んだ。よくある話だろう、気に入って毎日使っていたけれど、ひょんなことから割ってしまう。

    割れた器は戻らない。モノを壊さないようにする一番の方法は、使わないこと。私たちはそのことをよく知っている。だからきっと、失敗が怖いのだ。

    落とされたマグカップは陶芸の修繕方法である「金継ぎ」で蘇った。持ち主の名前はフィル・リービン。Evernoteの創設者だ。

    Evernoteは「すべてを記憶する」と謳う、メモや画像をストックできるクラウドアプリだ。世界で2億人のユーザーを抱える巨大サービスでもある。

    日本の伝統技術である金継ぎは、ロシア出身の彼に"失敗の可能性"を教えた。日本には縁もゆかりもない彼が、一体なぜ?

    粉々に砕け散った「CEO マグカップ」

    Evernoteは2007年に創業して以来、爆発的にユーザー増やす。そんな中、CEOであるリービン氏は決断に迫られた。

    「2010年に経営者として大きな決断をしなければなりませんでした。当時社員は50名ほど。そこから数年以内に社員数を10倍にする。大企業への道へ歩んでいくことを決めたのです」

    このときに、自分を奮い立たせるため購入したのがスターウォーズのマグカップだった。

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    打ち合わせや取材を受ける際も「CEOマグカップ」を持っていたため、いろんな媒体に登場しているそうだ。

    「会社を世界的にグロースさせると決めた日から、毎日このマグカップを持ち歩きました。Amazonで買った、安いものなんですけどね」。

    スマートフォンの普及も相まって、会社は大きくなった。しかし、2015年、リービン氏はその任を突然退く。

    ユーザー数は多いものの、ほとんどが無料会員。サービスとして成長させるため機能を追加していったが、それが逆にユーザーから不評を買い、経営は悪化――「Evernoteはよく使うけれど、いつまでもつんだろうか」という話も耳にした。リービン氏がCEOを退任したのはそんな時期だった。

    今までいたオフィスを去り、新しいマンションに引っ越した際に、ある事件が起きる。ダンボールを動かした拍子にマグカップを落としてしまったのだ。彼のアイデンティでもあった「CEO マグカップ」は脆く砕けていった。

    砕けたマグカップの意外な末路

    CEOを退いてから1年ほど経ったとき、リービン氏は福島である出会いを果たす。それが「金継ぎ」だ。

    金継ぎとは、破損部分を漆でつなぎ合わせ金属粉で装飾する、陶芸の修繕技法のひとつだ。親日家であるリービン氏は、この概念自体は知っていたものの、あまり馴染みがなかった。

    「友人から福島の復興について話を聞いていたのです。そのときに金継ぎの概念をとりいれていると聞いてハッとしました。震災で壊れてしまった都市を修復させるときに、直した部分を隠すのではなく、あえて美しく目立たせる。直した都市をもっと魅力的にしよう、と。僕は感銘をうけました」

    このとき金継ぎ職人も紹介してもらった。家に帰り、久しぶりに粉々になったカップを見つめた彼は、その修復を依頼することを決める。それから半年後――。

    「ちょうど昨日、福島に行って完成したCEOカップを受け取ってきました」。

    Evernoteを抜けた日に壊れたカップは、全く新しい魅力を帯びていた。それが冒頭にある金色に輝くイナズマ模様のマグカップだ。

    「西洋的な考えだと、修復跡は目立たないようにします。けれども金継ぎは、直したところを目立たせることによって、より価値が高いものにする考え方です」

    「金継ぎ」が教えてくれた3つのこと

    金色の亀裂が入りながらも、しっかりと結合したマグカップを見て、リービン氏は起業家として3つのことを学んだという。

    ひとつめは、時代を渡って成長できること。壊れても直せばいい。一度失敗して壊れてしまうと「もう終わりだ」と絶望してしまうかもしれない。でも、金継ぎのように修繕することで、新しい魅力が生まれることもある。

    ふたつめは、失敗にこそ重要な学びが宿ること。「失敗するその瞬間、壊れる瞬間まで、自分の行いが間違いだと気が付かないのが人間です」。破片を集めて、つなぎ合わせたときに、マグカップの形の難しさを知ることができる、というわけだ。

    みっつめは、脆さに抗うこと。「組織が壊れないように注意するのではなく、壊れることを前提に仕事に取り組む方がいいと思います。強くて頑丈で壊れないことを絶対的な価値にするのではなく、脆く壊れた後にこそ、新しい価値が生まれる機会だととらえるのです」

    失敗を恐れず挑戦し続けろ――こんな言葉は本当によく聞く。リービン氏はそこに「金継ぎ」の概念を導入せよと語る。

    「日本は失敗を恐れる文化が強いと聞きます。非常に優秀な人たちが、失敗を恐れてチャンジしないと。金継ぎの文化を作った日本人が、こうなってしまうのはなぜだろう?」

    「僕は、Evernoteで失敗もしました。でも、金継ぎのように修復部分を活かして新しいものを作ろう。そう信じさせてくれる考えが日本にはあるのです。これはきっと人生においても大事な考え方だと信じています」

    リービン氏は、現在AIを取り扱うAll Turtlesを設立したばかりだ。アメリカに本社を構え、日本支社を準備中だという。

    「Evernoteを抜けた日に壊れたこのカップは壊れましたが、新しい魅力を携えて帰ってきたんです。新会社を作った僕のもとに」