母を早くに亡くすということ。残された父と娘はこう生きる

    コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんは、24歳の時に母を失った。80歳の父と45歳の娘で構成される自分の環境を「限界家族」と呼ぶ。

    「あのころの私は、実家は永遠に存在するのが当たり前で、無くなることなど想像したこともなかった。

    コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんは、24歳の時に母を失った。80歳の父と45歳の娘で構成される自分の環境を「限界家族」と呼ぶ。

    父は「親としてはダメなタイプ」だ。家庭を顧みず仕事をし、土日はゴルフ。家のことはすべて母に任せきり。気に入らないことがあれば激昂する。2人で暮らしてみたものの、「緩衝材」の母親がいない家には、争いが多かった。

    現在では、彼女が父の家の家賃を払い、別に暮らす。距離があった方がいい。それは、母が他界してから知ったことでもあった。同時に思う。

    「父のことを何も知らなかった」

    家賃を払う対価として「父に自分の人生を話してもらい、書く」ことにした。現在発売中の『生きるとか死ぬとか父親とか』には、そんな父と娘の付き合い方が記録されている。

    きっと誰もが迎える、「限界家族」の過ごし方が。

    一番近い人のはずなのに、私は父のことを何も知らない

    ――今は、お父様とどういう風に関わっているんですか?

    20代後半で一回実家を出て、そのあと出たり入ったりを繰り返して、実家の「完全撤収」があった。それから別々に住んでいます。今は、月に一度くらい会って、話を聞くという感じですね。母の墓参りがてら。

    ――ご高齢のお父様と別々に住んで、心配にはならないですか?

    ほとんど毎日LINEをしてますし、何かあったら電話がかかってくるので、それほど。死ぬ死ぬ詐欺みたいで、大げさなんですよ。それに物理的に距離が近いと、絶対に喧嘩になる。別々に住んで父とうまく付き合えるようになりましたから。

    母が他界したとき、私自身が若すぎたこともあって、彼女のいろんな側面を見られなかったことを後悔したんです。それを父では繰り返したくないと思いまして。

    学校時代の生活、友達づきあい……一個人として自分自身にもそういう思い出があるわけじゃないですか。父にも母にもそういう思い出があってしかるべき。でも、今まで一切聞いてこなかった。だから、話を聞こうと思ったんですね。

    ――照れはなかったのでしょうか? もしくは葛藤とか。

    なかったですね。でも、あと10歳若かったら恥ずかしかっただろうし、喧嘩腰になってたかも。40代になると角も取れてくるんですよね。父が老いて、私が大人になって。

    目に見えて「老い」を感じる相手には、ごく自然に手を差し伸ばしてしまうんです。これを繰り返していくと、打ち解けていく。

    悪態をついてきながらも、ご飯を食べると「今日はごちそうさまでした。ありがとうございました」っていうLINEを送ってくる。ちゃんとしようとする意志を感じられるんです。だからといって完全には信用できないのですが(笑)。

    ――親なのに、信用できないんですか?

    全面的には信用してないですね。ここに関しては信用する、あそこは信用ならない、みたいな。口は悪いし、女性が何人いるのかわからないし、本業以外にいろいろ商売に手を出して頓挫するし、最後は株で派手に失敗するし。

    でも、性格は別にして、私はずっと働いてきているのでわかる部分があるんで。時代もあったし、叩き上げで母と子を養えるほど稼ぐヘビーさもある。

    「信用できない」ところにフォーカスすると、不信感しか残らないんですが、世間体を盾に私のことを責めることは一度もありませんでした。「女だからこうしろ」「早く結婚しろ」というような。そこの信頼は絶大にありますね。

    実家とは「必要ではないけれど、ゴミではないモノ」の置き場所

    ――実家の「完全撤収」の話は衝撃的でした。借金が知らないうちに膨れ上がっていて、維持費がかかる家から出ていく決断をする。「実家の整理は葬式だ」と書かれていて。

    この箇所だけは、筆が重かったですね。父は貴金属業を営んでいたのですが、母がいなくなって経営はどんどん悪くなって。他の商売もそれほどうまくいかず、最後は株で大失敗。

    4億円コカしまして、私が知らないうちに家は人手に渡っていました。いつからかはわからないけど、家賃を払って住まわせてもらっていたようです。その家賃や家の維持費を払い続けるのが難しくなって、実家に戻って数年後、私が完全撤収を決めました。

    引っ越しの日が先に決まって、急いで実家の整理をしました。その時に、実家って「必要ではないけれど、ゴミではないモノの置き場」だとわかりました。

    過去の思い出がつまっていたり、まだ使えたりする、ゴミにするのは忍びないモノをゴミにしていく作業って、心に掛かる負荷がすごく大きい。回復の見込みが乏しい病人の看病のような。

    ――お父様は抵抗するときもあったようで。

    抵抗というか、非協力的。私が片付けをしている横で、父はずっとテレビを見ていましたね。「じゃんじゃん捨てろ」とけしかけてくるときもあれば、突然「これは捨てるな」「お前は本当にいいものがわからない」って言ったり、嫌味も多かった。

    「いつか使える」って気持ちが強いんでしょうね。今でも、普通に謎の私物を私の家に送ってくるんですよ。自分では捨てたくないようで。

    ――娘に捨ててもらおうと?

    そう。いい加減ですよね。引っ越し当時も自分は何もやらないで誰かとご飯を食べに行っちゃうし。追い込まれたときには、人としての弱さがでてくるのかも。

    ――大量にあった写真も全部捨ててしまって。

    私が生まれる前の父とか、海外出張先とか、ゴルフをしている姿とか。どれを見てもいつくしむ気持ちは湧いてこなくて。ゴミ袋に投げ入れました。でも結局、後でゴミ箱から取り出したんですけどね(笑)。当時は、怒ってないとやってられない気持ちが強かったんだと思います。魂が吸い取られる作業だから。

    母の箪笥から出てきた「寂しさの塊」

    ――家族以外の女性の存在にも驚きました。

    腫瘍みたいな存在で、なんとなくわかるんですよ。中学生くらいのときから気づいてました。「父親は浮気をしたことがない」って友だちが話していて、「なんでそんなことが信じられるんだろう?」とびっくりしたのを覚えています。

    しかもうちの父の場合は、そういう存在が何人いるのかよくわからない。

    ――わかっていても、受け入れられないものなのでしょうか?

    「わかっていること」と「受け入れること」は全く別ですから。母の箪笥から値札が付いたままの高級なコートが出てきた時に、それが「寂しさの塊」に見えてショックでしたし。私の中で、勝手に紡いでいた「都合のいい結論」から外れてくる現実だったので。

    自分の家族に関しては、父がいい加減で、母が呆れていても、なんだかんだうまくいっている、コメディタッチのストーリーを描いていたんです。でも、「実は父のせいで母がものすごく傷ついていたのではないか?」という疑問が湧いた。

    今まで、そういうことは考えないようにしていたんですけど、母にも幸せとは言えない時期は確実にあったと実感しました。

    父は、今でも好きにやってますから。一方で、私が一緒にいなくても大丈夫なくらいには、その方々からサポートを受けているので、ありがたいとしか言いようがないです。

    ――本文にもありますが、久しぶりに家に行ったら、鰹だしがあごだしに変わっていたり。

    ですね。私が買い物にいかなくても冷蔵庫はいつも新鮮な食材で溢れていて。母の面影と私の居場所が削り取られていくように感じられることもありました。

    もちろん、母へ注がれたものと同じ愛情が父にあれば、敬意を払わなくちゃいけないんですけど、「便利」っていう気持ちが透けて見えたりして。おいおいおい…と思いますね。私にはうかがい知れない長年の感情のやりとりが、それぞれにあるのだとは思いますが。

    ――お母様に対する愛情とは違うのでしょうか?

    そう思いますよ。母の話は、いまだに毎日してます。「お母さんは俺のこと、どう思っていたのかな?」「なんで俺とずっと一緒にいたのかな」ってLINEが送られてきます。知らないし!(笑)

    結局、自分が母に対して何もしてやれなかったことに対する後悔なんだと思います。それを見ると、「やりきる」のは大事だなと思います。

    だから私も家賃を出したりするんだと思います。もちろん、暴力とか搾取とか、理不尽な関係性だったら親と縁を切る選択をとってもいい。私自身、何度も「親 縁を切る」でネット検索しましたし。

    でも、育ててもらったり、愛情あることがわかっているならば、やれることは全部やった方がいいと思います。やりきった感を自分の中で作っておくことで、葬儀の後、後悔が何年も続くようなことは避けられるかもしれません。

    ――死に近づいていく姿を見て、お父様の「老い」が受け付けられないってことはないのでしょうか?

    鋭さがなくなっていく様を見るのは、悲しいし受け止めきれないときもあります。でも、こっちが大人にならなきゃと。「親が老いていくのを見るのが嫌だから家に帰りたくない」という話もありますよね。それを聞くと「いつまで子どもやってるんだ」って思う。

    関係性的には子どもではあるけれど、個人としては大人ではあるので。父だって、老いたくて老いてるわけじゃないから。

    ――でも、お父様が亡くなられたら、一人になってしまう。怖さはないですか?

    戸籍上はそうなります。一人になっちゃったとは思うんでしょうけれど、今のところは怖さはないですね。母が他界してからの家族が盤石なものではなかったから(笑)。

    それに、今は「おじさん」と一緒に住んでますし、友だちもいるし、大丈夫じゃないかな。

    ――「おじさん」。

    パートナーですね。

    「結婚」は幸せになるシステムじゃない

    ――スーさんの話になるのですが、「おじさん」と、結婚は考えていないのですか……?

    考えないわけではないのですが、女性が結婚するのってめんどくさいんですよね。パスポートとか銀行口座とか、全部変えなきゃいけない。そんなことやってる時間ないなぁと思って今日に至ります。

    孫を産んだら喜んだかもしれないけれど、父は猫っ可愛がりするだけだと思うんですよ。申し訳なさはゼロではないけれど。

    おじさんとは家族みたいな関係だと、少なくとも私は思っていて。「紙切れ一枚で何が変わるんだ?」とも思ってしまう。いつまで経っても煮え切らない、アラサー男子みたいな気分ですよ。情けない(笑)。

    私も35歳くらいまでは、結婚したいと思っていました。独身なのは、自分に欠陥がある気がして嫌だった。でも、この年齢になるとポカーンですよ(笑)。

    今回、本を書いていて腑に落ちたことがあったんです。

    ――どんなことですか?

    結婚って、契約を結んで、最終的に幸せになるもの。一般的にそういう風に解釈されますよね。「結婚しても幸せになるとは限らない」という言葉は、「結婚したら今より幸せになる」という前提があるから出てくる言葉で。

    親の話を聞いて「結婚は幸せになるためのシステムではない」とわかりました。腐れ縁とでもいいますか。とにかくこの部品でやっていく覚悟の印でしかないんじゃないかな。

    「この人が死ぬほど好きだったという情熱的な記憶と、ある程度の資金があれば結婚は続く」と、生前の母は私の友達に言っていたようです。自動的に幸せに近づいていくシステムではなくて、日々を回すための契約って感じなのかな。無理になったときのために、離婚っていうシステムがある。

    父という一人の人間を、「父」の面でしか評価していなかった

    ――お父様にじっくり話を聞いて距離が縮まったりはしましたか?

    近づくために話を聞いたわけではないので、特に。距離を縮めると、相手に対する期待がどうしても大きくなります。つまり、裏切られたと感じる可能性が高くなるんです。距離を縮めなくても仲良くできると思うんですよね。

    私は、今まで父親を一人の人間を見ているつもりでした。でも、結局「父親」という面だけでしか見ていなかった。親として何点、と一面だけでジャッジしていたんですね。でも、父の他の側面の話を聞くことで、父を個別の人格として認めることができたと思います。

    「親」って、自分に内包された存在のように感じてきたんですけれど、違う。俗にいう「他人」とは違うけれど、自分とは絶対に交わりきらない存在だとはっきりわかりましたね。父の話を楽しんで聞けてよかったです。

    ――どうやって話を聞き出せば、いいのでしょう? 自分のことを話したがらない男の人って多い気がして。

    向こうが話しやすそうな、身近で小さな質問からがいいかも。「どんな子どもだった?」だと漠然としているので、「体育は得意だった?」「給食あったの?」とか。あるタイミングで、向こうから興が乗って話してくれると思います。

    ――最後に。どうやってお父さんを見送りたいですか?

    最近、自分の葬式は私が見送りたいと思ってるお寺じゃ嫌だって言い出して、親戚にまでネゴシエートし始めたんですよ。こっちの方がお金がかからないのに、娘が許してくれないって、メソメソと。それあなたが払うお金じゃないじゃん! と思いましたね。(笑)

    何が出てくるかわからない父ですから、不確定要素が多すぎてセンチメンタルになっていられないです。私は女友達にお願いして、せめてスクラム組んでおこうと思っています。鬼が出ても蛇が出てもいいように。

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