父子家庭で育った私は、父と会話をほとんどしない。それでも良いと思う理由

    ブラックコーヒーを美味しく飲めるようになったはいつからだろう。甘いカフェオレやコーヒーゼリーは小さいときから口に入れていた。けれども、ブラックコーヒーはそれらとまったく違う存在で、初めて飲んだときは文字通り「泥水をすすっている」ような感覚になった。誰にでもありそうな思い出。

    コーヒーを初めて飲んだのはいつだろう。いや、ブラックコーヒーを美味しく飲めるようになったはいつからだろう、というほうが正しいかもしれない。1人でカフェに行くのも好きだし、仕事の合間に飲むのもコーヒーだ。コロナ禍でアルコールを摂取する機会は激減したが、カフェインの入ったコーヒーだけはやめられなかった。それぐらい、自分にとって欠かせない飲み物になっている。

    物心ついたときから、コーヒーの香りで目を覚ましていた。父は毎朝電動ミルで豆をひき、自分用にコーヒーを淹れていた。母親のつくる味噌汁の匂いで朝を知るーードラマやCMでよく見るような経験とは無縁だった。なぜなら我が家は父子家庭で、朝食はパン派だったからだ。

    甘いカフェオレやコーヒーゼリーは小さいときから口に入れていた。けれども、ブラックコーヒーはそれらとまったく違う存在で、初めて飲んだときは文字通り「泥水をすすっている」ような感覚になった。

    高校1年生ぐらいのときだったと思う。コーヒーメーカーに残っている茶色い液体を指して「私もコーヒー飲んでも良い?」と聞くと、父はテレビを見ながら「ああ、いいよ」と快諾してくれた。父は超がつくほど無口で、家にいるときはテレビか新聞ばかり見ているタイプだ。膝をつきあわせて会話したことは、恥ずかしながら一度もない。

    だからきっとこのときも、必要最低限の言葉しか発しなかったはずだ。はじめのころはカフェオレのように甘みを足して飲んでいたものの、次第にミルクを入れるのをやめ、砂糖の量を減らし、舌を慣らしていった。混じり気のないコーヒーの香りが、口の中から鼻までを満たすのを「豊かだ」と感じるようになったとき、大人の味覚を手に入れたのだと思った。

    父子家庭というと「お父さんとはどういうコミュニケーションをとってきたの」と聞かれることがある。生理などの女性特有の悩みをどんな風に相談してきたのか、疑問がわくようだ。我が家のような父子家庭でなくとも、思春期の子どもは親を拒絶したり、反発したりするので、親を悩ませるらしい。特に異性の親子関係は難しいイメージがあるようだ。

    結論から言うと、何も話していない。経血で下着を汚したら自分で洗うし、ナプキンも自分で買ってきた。生理が止まったときは、学校の帰りに近所の産婦人科に足を運んだ。「大変だったでしょう」と心配もされるが、自分の環境をつらいと思ったことは一度もない。父に限らず他人に生理の話をするのは嫌だったし、自分の問題は自分で解決するものだと思っていた。

    高校生になると夕食も別々に食べるようになった。仲が悪いのではない。見たいテレビ番組が違ったのだ。父はチャンネルを譲る気は一切ないし、私だってクラスメイトの会話についていけないと困る。学校で繰り広げられる「昨日のドラマ見た〜?」という会話は、女子高生にとっては大事な社交ツールだった。個別に食事をとる光景は、親子に距離があるように見えるかもしれないが、各々が好きなように過ごしていただけだ。

    父との接点は、朝に飲むコーヒーだけだった。しかも、父は早朝に家を出てしまうので、一緒に飲むわけではない。私は父が淹れたコーヒーを飲みながら支度をして、家の鍵をしめて電車に揺られて学校へ向かっていった。

    コーヒーを飲んでいるうちに「豆変えた?」とか「今回はどんな豆なの」という会話がはじまり、休日には一緒にコーヒー屋に出かけることも増えた。父がよく飲んでいたのはグアテマラだ。ブラックでも飲みやすく、私も気に入っている。

    たまに奮発してブルーマウンテンを買ったり、モカやコロンビアを試したりもした。コクがあるものよりもすっきりした味わいが好きなのは、父の影響だろう。コーヒーショップに行ったとき、店員に豆の種類を聞けるのは、高校生としては少し大人な行為で、背伸びしている気分になった。

    親との会話はどれぐらい必要なのだろう。例えば、母が生きていたら違っていたのかもしれないが、私は父とはコーヒーを飲む間柄で、それ以上のことはほとんど話してこなかった。

    娘に無関心なわけではないと思う。父は母が他界してから、飲みに行くことはほとんどなかったし、働きながら家事までこなしていたが、文句や嫌味を言われたことは一度もなかった。

    学校で配られた家庭環境調査書という親向けのヒアリングシートにあった「教育方針」の項目が「のびのび」の4文字で終わっていたのを見たときは、子どもながらに「もっとあるだろ」と思った。が、今考えてみればその言葉通り、本当にのびのびと育てられた気がする。

    「勉強しろ」と言われたこともなかったし、テストの点数を聞かれたこともない。社会人になってから休職したときにも何も言われなかった。会社をやめたときも無言のままだった。世に言う「結婚適齢期」を迎えても、苦言を呈されることなく、のんびり過ごしてきた。私はいつも自分の好きな選択をして、無言のままそれを承認されてきたのだ。

    親子だから、家族だからといって、何か特別な会話が必要なわけではない。ただ、コーヒーを一緒に飲み、コーヒーの話をするだけでもいい。特に大人の階段を登りたい思春期にとって、コーヒーはとても引きの強い飲み物だ。キッチンに置いてあるだけで、勝手に飲み始めるだろう。多分、思春期の私が欲しかったのは、一人の個人としてフラットに扱われることと、適度な距離だったように思う。

    今でも実家に帰る度に、父の淹れたコーヒーを飲む。父は相変わらずテレビと新聞ばかり見ていて、特に会話はない。コーヒーの香りを部屋に漂わせながら、各々のペースでカップに口をつける。この習慣がいつまでも続けばいいと思う。私はこの時間に豊かさを感じるのだ。



    10月1日は国際コーヒーの日。コーヒーを飲みながら、ゆったりとしたひとときを。